東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ローマ書8章15~25節 「神の子としての望み」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/09/14

ローマ書8章15~25節 「神の子としての望み」

*** 9/13(日)礼拝説教概略 ***

現代社会における希望、望みって何があるでしょうか?
楽しみにし期待してワクワクできるような望みがあるでしょうか?東京オリンピックも来年できたらいいですが、簡単ではないでしょう。政治、経済、これから良くなるといいのですが、期待感もあまりありません。若い人たちも、一体どんな希望を持って生きたらいいのか。望みを抱きにくい現代社会です。

けれども、じゃあ過去には望みがあったのでしょうか? 


高度成長期は出世し収入が増え、事業を拡大してと、目に見える望みがあったかも知れません。でも、それもバブルと言われるように「泡」のごとく、むなしく消え去ってしまった。投資したものの、大暴落で期待が裏切られ、地獄を見た人もいるでしょう。

この世のもの、目に見える物はやがて消え去ります。
確かな望みとは言いにくい。
我が家の車も購入して3か月で追突されて・・・という事件があったことを以前にもお話ししました。

ところが・・・聖書は確かな望みがあると語ります。
ヘブル6:19「私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨(いかり)のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。」 

 ここに「たましいの錨(いかり)」という表現があります。
 怒り(anger)ではなく錨(anchor)です。「錨」の役目とは何でしょうか?ご存知のように船の道具ですが、この錨を水中に降ろすことで、風が吹こうと潮の流れが変わろうと、船が同じ場所にしっかりと留まることができるということですよね

 それと同じように、どんな人生の大波が来ようとも、私たちのたましいがしっかりと神様の愛の中に留まり、神の国に根を張ることができるようにしてくれる望みであるということ。錨をしっかりと海底に降ろした船のように、動かされることなく神の国に確実に入って行ける望みであるということです

 苦しい時、しんどい時にも、この苦しみの先には必ず神様からの報いがある。栄光あるゴールに着実にたどり着けるという望みです!これを持っているか持っていないかでは、人生の荒波を歩んで行く上で全く違います。
 ぜひ、この希望を自分のものとして確信して歩んでいただきたいと思います。


1. 神の子とされる恵み


15節にはこのように語られています。 
15節 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。 

イエス・キリストを信じた者へのことばです。キリストを受け入れたその時から、神の子とされる御霊を受けたと言います。それはつまりイエス様を信じる者はみな「神の子」とされたのだと言うことです。

教会では○○兄、○○姉と呼びます。それはお互いが神の子同士であるという確信から兄弟姉妹と呼び合うわけです。そして、神の子とされたのですから、神様はお父さんです。だからこそ、私たちは神様と親しい交わりを持つことができます。 

そしてここでは、御霊によって神様を「アバ、父」と叫び求めることができるとあります。この「アバ」とはアラム語で「お父さん」という意味ですが、よそよそしい呼び方ではありません。小さな子が大好きなお父さんの膝の上にちょこんとのっかって、親しく呼びかけるような呼び方です。「お父ちゃん」「Daddy」「パパ」」という感じでしょうか。

以前、うちの次男がまだ小さかった頃に何かのアニメを見ていた時。ある場面になったら、急に私のところに来てあぐらの上に座りました。「どうした?」と聞くと、爆発するから怖いと言いました。アニメのそんなシーンでも怖いものなんだなと思ったものです。

でも、この時の息子の姿を見ながらこれが私たちと父なる神様との距離感だなと思いました。怖いと思ったら布団をかぶるのではなく、お父さんのあぐらの上に座る。父なる神様と神の子の関係はそういう親しいもの。恐れがあっても父なる神様の御腕に抱かれ安心して歩んで行く。遠くにいる神に大声で叫ばないと聴こえない!そういう関係ではない。あなたを腕に抱いてここなら大丈夫だと守ってくださるということです

全知全能の、偉大な造り主なる神様をそんなに親しくお父さんと慕うことができるとは、なんと恐れ多くも嬉しいことでしょうか。この世においてどんなに人から否定されようと、バカにされようと、この世界の造り主があなたのお父さんなのだと誇りを持っていただきたい。役に立たないとか、使えないヤツだと言われようと関係ない。神様が「私にとってあなたは価値ある大切な愛する子なのだ」と言われるのです。

何があってもわたしの義なる右の手で守ると言っていただける。「まったく、あなたの親の顔が見たいわ」なんて嫌味を言われたら、「あ、じゃあ教会来ます?私のお父さん神様ですけど」と答えましょう。この方が「わたしの愛する子」だと言ってくださるのだから胸を張って歩みましょう。


2. キリストとの共同相続人


 そして、「神の子」とされた以上、法的には「相続人」でもあります。17

17節 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。 

 これがその家の「しもべ」や「奴隷」との明確な違いです。しもべたちもご飯を食べたり、その家で生活をさせたりしもらいます。しかし「子」とされたということは「跡継ぎ」とされているということ長男であるキリストと共同相続人とされているとも語られています。神の栄光、永遠の御国をキリストと一緒にしっかりと相続できる者とされたのです。

 なぜなら、キリストと一緒に苦難を歩んでいるからです。私たちは「キリストの兄弟」とされ、キリストと一つになって、今もキリストのゆえの苦難をともにしている。その報い、その行き着く先が神の栄光、天国の祝福です。

 これが単なる使用人やしもべとの大きな違いです。だから使用人で満足しないで、神の子になっていただきたいのです。信じても信じなくても、この世で生きて行く上で苦労するのです。どうせなら神の子となって、希望を持って、苦労にも報いが用意されている道、永遠へと続く道を歩んでいきたいと思いませんか? 

 人間はやっぱり希望がないと生きていけないですよ。この苦しみの先に何もない!というのでは苦しみを乗り越えられない。色々苦しくてもやがて美しく輝く天の御国にて、その目の涙が拭い去られる時が来るという希望

 教会にも色々な課題があるけれど、傷つきながらもやがて美しく飾られた花嫁としてイエス様をお迎えする日が来ます。苦しみの先の栄光の素晴らしさを知れば知るほどに、今の時の苦しみは少しずつ「取るに足り小さなもの」へと見え方が変わるのです。

18今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。


3. 被造物もまた望みをもって待ち望んでいる


実はこの希望をもって待ち望んでいるのは人間だけじゃありません。

19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。  

 アダムの罪以来、他の造られた物たち・被造物もまた、本来の輝きを失い虚無に服していると言われます。実際この世界の環境汚染は甚だしく、人の自己中心の結果、大気汚染、海中汚染、砂漠化、地球温暖化と地球も悲鳴を上げています。

 ただ、神様の御手の中で、人の罪とそのさばきの下にあって虚無に服していてさえ、尚美しさ豊かさを保つ自然です。神の造られたこの世界を見て、深い感動を覚えます。

 しかし、そうであるならば、本来の姿を取り戻す時、神の栄光を受ける時、それらもまたどれほど豊かさ美しさを見せてくれることでしょうか。それも楽しみです。

 すべての被造物もまた、キリストを長男とする神の子どもたちが栄光を受けることを待ち望んでいます。救いが完成し、神の子らが栄光を受ける時に、被造物もまたあるべき栄光の姿を取り戻せるからです。

 その完成した姿の断片を垣間見させていただきましょう。
<イザヤ書11:6-9
6 狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。 7 雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。 8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。 

 こんな世界が来ることがとても楽しみです。今では考えられない様子です。今は「うめき」の時です。産みの苦しみをこの世界の自然界のあらゆる物、被造物たちと一緒に忍耐している時です。毎日のように人が人を殺し自然界を歪め、また大自然の脅威・災害が私たちを襲っています。でも、いつまでも続かない。この地上の日々は、色々な戦いがひっきりなしにあります。過酷です。

 でも、それで終わりではないのです。やがて狼と子羊が一緒に宿り、乳飲み子がコブラの穴でたわむれる日が来る。

 神の栄光に満ちる御国が来ます。神の子として望みをしっかりと抱いて、揺るがされることなく歩んで参りましょう。

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