東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱテモテ4章1-5節 「みことばを宣べ伝えなさい」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/09/11

Ⅱテモテ4章1-5節 「みことばを宣べ伝えなさい」

*** 9/9(水)祈祷会 説教概略 ***


 直接的には、 パウロが若い牧師、若い伝道者であるテモテに向けて語られたみことばです。しかし、この手紙は神の導きの中で、聖書として加えられ、世界のベストセラーとして多くの人に読まれるようになりました。そこに神様のご計画がありました。
 もし、テモテただ一人にに向けてなら、ベストセラーにする必要もなく、日本語に訳される必要もなかったでしょう。しかし、神様はすべての人に伝えるべきものとされたから、こうして私たちにも与えられているのです。
 自分は牧師ではない。伝道者ではない。だから関係ないと考えず、これらは広い意味で自分たちにも語られているのだとひとりひとりが覚えて、教えられていきましょう。


 単なるお勧めということではなく、こうあります。
4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。

 パウロは唯一、すべての人をジャッジすることができるお方、イエス・キリストを心に覚えながら、厳かに命じると言っています。
 よく神のみこころは何か?と疑問を持ちます。でも、みことばにおいて命令形で語られているのは、してもしなくても良いものではなく「すべきもの」としてハッキリしている点からすると、神のみこころであると理解しやすいかと思います。

 イエス様ご自身もマタイ28章18-20節で「大宣教命令」をなさっています。
 やはり命令ですから、みこころが明確に示されていると言えますよね。

 しかも、今日のみことばでは、キリストが終わりの日に再びこの地上に戻って来られる再臨を意識しながら。そして新天新地、神の永遠の御国を思いながら厳粛な思いで命じるとパウロは語っています。

 終わりの時は1日1日、確かに近づいています。この世界の終わりもあれば、私たちのこの地上での人生の終わりも必ずあり、近づいています。昨日よりは今日、今日よりは明日と確実に近づいています。

 そして、すべての人が神の最後の審判の前に立たされるものであり、しかもイエス様を信じるチャンスはこの地上で生かされている日々に限ります。

 だからこそ、誰一人滅んで欲しくない、誰一人ハデスの門をくぐって欲しくないと願い、みことばをお伝えしたいのです。


 その厳粛な命令とは?
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 

 みことばを宣べ伝えなさい。

 それは神の愛を伝えること。それは神の真実を伝えること。それは十字架を伝えること。それは救いの道を伝えること。
 
 しかし、私たちの目には今の時は悪い時と映るかも知れません。
 伝道集会もできません。食事会も難しく、子どもたちが密集するような集会を企画することが出来ません。そういう意味では悪い時かも知れません。

 でも、今の時が必ずしも伝道できない時ではないことも私たちは知っています。
 
 今だからこそ伝えられるものがあります。

 ネットでの動画配信など考えてもみなかったことですが、コロナの問題が起こったゆえに取り組む機会になりました。またそれだからこそ、普段礼拝に来られていない方々が、動画を視聴して、礼拝に参加される機会にもなりました。不思議なことです。
 ネットを用いることについては賛否両論あることは当然です。しかし、より大切なことどの道具を用いるか以上に「何を伝えるか」ということではないかと思います。神のみことばを伝えるということがはっきりすれば、それに相応しい方法もそれぞれ祈り求めることができるでしょう。
 

 そして、ここでは時が良いか悪いかを問題にしているのではなく、どんな時でもみことばを宣教せよと教えられているのです。あらゆる時に、みことばを伝えよ、それがあなたがたの使命であるとみことばは示しているのです。


 3-4節に悪い時代の人々の特徴が記されています。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。 

 これを読み改めて考えてみると、私はあることに気づきました。もし、ここにあることが悪い時代の特徴であるならば、人類の歴史の中の9割は悪い時代だったし、これからも同じなんじゃないかなということです。

 むしろ、みんなが真剣に真理を求めて、耳に心地よくないものを聴こうと一生懸命になっている時代などほとんどない。聖書を読んでいても、イスラエルの民はずっと悪い時代にも見えるのです。
 荒野を旅しているときも、カナンの地に入ってからも、王が立てられてからも、イエス様の時代のユダヤ人たちを見ていても、そして現代の日本を見ても・・・

 やっぱり3節、4節のことは、共通している問題のように思えてなりません。
 
 自分が聞きやすい話を語ってくれる人を求めてしまうんじゃないでしょうか?
 真理が語られているか、みことばが説き明かされているかよりも、感動するお話、自分がウンウンとうなずける回数の多い話を求めやすいのです。いつの時代もです。

 言って見れば、いつも時が悪いようにさえ見えるのです。
 でも時が悪くても、たま~に一時的に来る良い時であろうとも、みことばを語り伝えること。これがキリストによって救われ、キリストにある者として生かされている者の使命であるということがわかります。

4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。

 苦難があっても、それに耐えながら伝える人がいないと、救われる人もいません。

 皆さんは、どうやって救われたのでしょうか。

 少なからず、あなたにみことばを伝えてくれる方があったのではないでしょうか? 

 全く知らない方を通して、あるいは知人友人を通して、あるいは家族を通して、神の救いのみことばが忍耐深く伝えられた。愛をもって、拒まれることがあっても祈りつつ忍耐しつつ、伝えてくれる方があったでしょう。

 何度も何度も伝えられる。待って祈ってくれている。そういう人たちの存在があったはず。そうしていただいたのだから、私たちもそのようにして愛をもって伝える者とならせていただきましょう。

 今はコロナウイルスの特効薬やワクチンの完成が待たれています。完成次第、より多くの人にそれを広め用いていくでしょう。良い物ができれば大切に人に伝えたいのは当然です。嬉しいことがあったら、私たちは家族や友人に伝えたいです。

 美味しいお店を見つけたら、すばらしい感動と出会ったら、良い観光地と出会ったら、他の人にもぜひ!と勧めます。


 イエス・キリストというすばらしい方と出会った。
 みことばの真理という人生最高の特効薬に出会った。
 苦しみへの真のワクチンを知った。
 ならば、私たちはそれを伝えたいのではないでしょうか。

 ウイルスの脅威はそれで終わるわけではありません。人は生きている限り、あらゆるウイルスや病気、死の危険と戦います。

 最終的な、本当の意味での私たちの人生の特効薬は、キリストにある救いです。もはや滅びない。死がない。罪への解決、永遠のいのちをいただく恵みですから、この特効薬、ワクチンをこそ、すべての人にお届けしていきましょう。


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