なので、健全なかたちで承認欲求を満たしていくことを教えられましょう。
承認欲求の根っこにあるもの
承認欲求の根っこにあるものは、自分の確かな居場所を持てていないゆえの不安です。
見捨てられ不安であったり、私は必要とされているのだろうかと不安であったり。
ですから、親に捨てられた孤児や親から虐待を受けたり、十分に愛されなかったという経験が強い人はどうしても承認欲求がとても強く出てしまいがちです。施設などで育った子が、里親さんに迎えられる場合などに「試し行動」というものをします。それは、まさに承認欲求が強く出ているもので、自分を認め受け入れてくれるのかどうかを試すために、里親さんを困らせるような事をあれこれしてしまうのです。それはある種の生存本能的なものでもあると思います。
しかし、両親がいる家庭で育った人は確かな居場所を持てているかと言うと、必ずしもそうではありません。どんな素晴らしい親でも人間である以上不完全です。私たち自身の持つ歪みもあります。ですから、親から完璧に受け入れられた人はいないと言えます。
じゃあどうしたらいいのでしょう?
造り主であり、完全な愛を与える神様によって揺るぎない居場所を持つことです。
自分の存在価値を認めてもらい、受け入れられ、見捨てられないという確信がある人は必死に自己アピールして認めてもらわなくても大丈夫なのです。
人にはそのような確固たる揺るぎない居場所が必要です。
パスカルはまさにその問題をとらえて、人の心には神にしか満たせない空洞がある。神のかたちをした空洞があると指摘しました。
人には満たせないものなのです。
ですから、ポイントは・・・
無条件の愛でいつでも味方でいてくださる親=神様との親子関係を持つことです。
土台となる所属意識を神様との関係で築き、承認欲求は神様の深い愛によって満たすのだということです。
神様との親子の交わりを築くこと
ヘブル人への手紙12:9-10を開きます。
9節 さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
10節 肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。
ここには2人の父親が登場します。
「肉の父」とは、私たちのこの地上でのお父さん。足りないながらも一生懸命子どもを教育し、良かれと思って育てます。でも、10節にあるように不完全なのです。限られた期間、自分が良いと思う仕方でしかできない。自分が良いと思う仕方ですから、ミスもあるしかえって子を傷つけてしまうこともあるのです。それでも尊敬すべきであり、多くの良いものを受けているのだと語られています。
もう一人のお父さんは「霊の父」、すなわち全知全能の神様のことです。
霊の父、完璧な父なる神様は、私たちの益のためだけを願って、100%の愛で訓練し育ててくださいます。決して見捨てられることのない交わり。どんな時でも見放されない親子の関係。イエス・キリストを受け入れる者は誰でも、この方の子となることができるのです。
ローマ人への手紙8:31-33
31節 では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32節 私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 33節 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
父なる神様は、あなたを愛する故に大切な我が子を与えてくださいました。ひとり子キリストを与えるほどに、あなたに価値があると認めておられるのです。
キリストの犠牲こそ、あなたを愛し受け入れて下さることの証しです。他の人が何を言おうと、全知全能の神様の声を聴いて、この方のことばという鏡で毎日自分を見つめ直してください。
神様は「義と認めてくださる」のです。神様の高い基準において、あなたを「良し!」と認めてくださるのです。価値がある、尊い存在とし、誰があなたを批判して訴えようと、あなたを守り、あなたは大丈夫!と認めてくださるのです。
神様は私たちが必死に頑張っている姿を見えない部分までも知って、それを認め喜んでくださいます。ただし、私たちが一切頑張れない時でも、私たちを愛し受け入れておられるということも同時に覚える必要があります。
そして、健全に承認欲求を満たしていく上で、もう一つ大事なものがあります。
それは・・・
価値観や本音を共有できる交わりを持つこと
人との出会いも大切にしてください。神様が与えてくださっている出会いなのです。
浅い交わりでは満たされない。愛し合う交わりです。
ローマ人への手紙12:10、12:15
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
12:15 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。
これは、自分の承認欲求を満たすために関わるのではないということを教えています。
相手を自分よりすぐれた者だと認め、尊敬するのです。あなたがそうする。お互いにそうすることで満たされ合うようになります。自分のことしか考えない人は一生満たされないことになります。
このようにして健全な神の家族の交わり、本音を話せるようなグループにしっかり所属して、そこで必要とされているとお互いに感じられるような交わりを築いていきましょう。
常に帰ってくることができる場所、安心して本音が出せる場所。飾らない自分でいられる場所です。それがあることで土台となり、不健全に承認欲求を必死に満たそうとしないで済むようになります。
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