東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: レビ記24章1-4節 「絶えずともしびを」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/01/18

レビ記24章1-4節 「絶えずともしびを」

*** 1/17(日)主日礼拝 説教概略 ***

 今、礼拝に行きたいけれども、コロナ下の事情で行けないという方がいます。
 施設等の集団生活ゆえに外出制限がある方。持病のゆえに難しい方。職場の性質上、あるいはご家族から止められてというケースもあるでしょう。そして、教会自体が礼拝堂での礼拝をストップせざるを得ず、それゆえ集えないというケースもあります。

本来、教会は「来る者拒まず」で、いつでも集える場と思って来ました。しかし、必ずしもそうではない現実に直面し、改めて集まって礼拝をささげられることは当たり前ではなく、「特別な恵み」なのだと教えられます。

 やむを得ずインターネットでささげている皆さんとも、またゆっくりお茶でも飲みながらお交わりできる日、ともに礼拝できる日を祈り続けていきたいと思います。

 そして、礼拝に集えない、同じ釜の飯を食べる交わりも持てないというハンディの中にあって、とても渇きを覚えやすい状況ではないでしょうか。

 ですから、神様からの力強い励ましをともにいただきましょう。今日のテーマはともしびを絶やさずに歩むということです。そのともしびとは「霊的ないのち」、「信仰のともしび」です。これが消えてしまわないように。それどころか益々燃やされ、世を照らす光となるように。神様のいのちのみことばから油を注いでいただきましょう!


ともしびを燃え続けさせよ

 

本日のみことばでは繰り返しあることが語られています。

それは「絶えずともしびを主の前に灯しておく」ということです。では、この「ともしび」は何を示すのでしょうか? これは神礼拝の中心であった「会見の天幕」にある金の燭台のことでした。神様はその燭台に絶えず火を灯しておくようにと言われたのです。2節では「ともしびを絶えずともしておくため」とありますし、4節でも「絶えず整えておく」と繰り返されています。そして3節では「夕方から朝まで主の前に絶えず」と、一晩中絶やすことなくともしておくようにと言うのです。なかなかに大変な奉仕ですね?

 では、なぜ、ずっとともしておく必要があったのでしょうか? ①神様は暗いのが好きじゃないから ②油が余っているから ③ともしびは「神の民のいのちの光」であるから

正解は③ですね(いつも③なのは内緒です)。

このともしびが魂のいのち、霊的いのちだからです。「信仰のともしび」と言ってもいいでしょう。そもそもこの金の燭台は不思議な形をしていました。


それはアーモンドの花をイメージして造られているのです。
そしてアーモンドの特徴は、他の花よりも一足早く芽吹くことから、新しいいのちの象徴でありました。

それは燭台に灯す「ともしび」について調べても見えてきます。「ともしび」ということばが登場する聖書個所を調べてみると、人間の「たましい」や「霊的いのち」を現わす場合が多いことに気づきます

ですから、燭台のともしびを絶やしてはならないという主の教えは、私たちの霊的ないのちを絶えず燃やし続けさせよ!ということなのです神様に対する熱く燃える信仰のともしび、霊的いのちを決して絶やしてはいけない。燃え続けさせなさいと命じておられるのです。私たちは、どんな状況、どんな形であれ、礼拝をやめてはいけない。賛美を止めてはいけない。祈り続けるべきなのです。


燃え続けるのに必要なもの

  そして、このともしびが燃え続けるために、どうしたら良いのでしょうか。2節です。

2節 「あなたはイスラエルの子らに命じて、ともしび用の、質の良い純粋なオリーブ油を持って来させなさい。ともしびを絶えずともしておくためである。

 ともしびが燃えるために何が必要でしょうか。ここでは「純粋な質の良いオリーブ油」が必要であることがわかりますね。火は、それ単体で燃えているわけではありません。燃えるためには燃料が必要で、オリーブ油が用いられていました。しかも混ぜ物のされていない、純粋なオリーブ油です。これがないとともしびが消えてしまうからです。

 では、このオリーブ油が示すものとは何でしょうか?

 それを考えるために、ゼカリヤ書41-6を参照したいと思います。

 可能な方はお開きください。ここでは預言者ゼカリヤと天使の対話があります。ゼカリヤが幻のうちに見せられたのは、今日学んでいるアーモンドの木を模した金の燭台とその両側に立っている2本のオリーブの木でした。

 しかし、ゼカリヤはこれらが何を意味するのかわからず「主よ、これらは何ですか?」と聞きます。燭台の幻を見せられても意味がわからなかったのです。
そこで天使が答えたのが4:6のみことばなのです。
ここは割とよく知られているみことばです。
 
4:6 彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。 

「これらは何ですか?」という問いへの答えが「ゼルバベルへの主のことばだ」というものです。ゼルバベルというのは当時の信仰のリーダー、指導者です。特に彼はバビロンの支配にあった時代に、イスラエルの民をエルサレムに帰還させ復興する役目を持っていました。民を導き、国を建て直す際の信仰のリーダーですから、本当に大変な責任です。それこそみんなの信仰が燃やされ、熱心に復興していけるように手腕が問われる働き。

そんなゼルバベルへの主のメッセージがこの「ともしびの燃える燭台」というわけです。

そして、説明として『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と語られます。つまり、この燭台の火が燃え続けるには、人の権力によらず、人の能力によらず、神様のくださる霊によるのだと言われたのです。ともしびが絶えず燃え続けるために必要なのは、あなたたちの権力ではなく、あなたたちの能力でもなく、ただ神の霊的な油注ぎなのだと。みことばを通して、主の御霊の満たしを通して、主なる神様との親しい交わりを通して油を注いでいただくのです。

 私たちの内から絞り出そうとするとすぐに燃え尽きます。まさに「燃え尽き症候群」と呼ばれるのがそれでしょう。ちょうど長女が大学で学んだそうで、それによると「教師やカウンセラー、医師や看護師などの対人援助職に特有のストレスで、長期に渡り人を援助する過程で極度の心身の疲労と情緒の枯渇をきたす症候群」ということです。

娘はこれを聞いて、まさに牧師夫妻もそうだなと思ったそうですが・・・。少し労わってくれるとありがたいものです。

そして燃え尽きるのには理由があります。燃料を補充せず枯渇するからです。油が絶えず注がれていないと燃え尽きます。使い切って尽き果ててしまうわけです。 

でもよく分かる気がします。妻が少し疲れているなと思う時があります。あるいは子どもたちも元気は元気だけれども、神様との距離はどうなのかな?と思える時があります。その時に私がすぐ考えるのは、アドバイスしてはっぱかけて、もっと信仰のともしびを燃やそうとする方法です。ついそんな風に考えてしまいます。でも、これは失敗に終わることが多いのです。 

今日のみことばを適用するならどうでしょう?

私が力んだところで家族の信仰が燃えないのは当然です。

なぜなら油を注ぐのは私ではなく、主ご自身だからです。
じゃあ、どうしたらいいのか? 

私自身がまず主によって油注がれることです!
大切なのはまず私たち自身が主からあふれるほどに油を注いでいただくことです。

私たちのともしびが燃えるなら、人々はここに油があることを発見できるのです。礼拝を導く者、みことばを語る者が霊に燃えていれば、それが皆さんに伝わります。家族に伝わります。夫として父親としてできることは「もっと信仰に燃えなさい」と上から目線で言うことではなく、誰よりも自分がまず主と親しく歩み、霊を燃やしていただくことです。

私こそが主の愛に憩い、安らぎ、感動し、心燃やされているなら、家族に伝わり伝播し広がります。


現代の燭台は教会である

  そして私たちは1人ぼっちでともしびを保たなくていい。

 ゼカリヤ書のみことばには、燭台を挟むようにして2本の木もありました。この2本の木は、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルの2人です。1人ではなく2人で助け合って、主のともしびを一緒に保つのだと分かります。

 実は、来週金神学生が説教してくださる黙示録117-20にも「金の燭台」が登場します。世の中ではこれを「偶然」と言いますが、私たちは「主の導き」と表現すべきでしょう。そして、この黙示録1章の燭台は教会を指していると説明されています。

 教会こそが霊的いのちのともしびを燃やし続け、世界を照らす光であれ!と主からゆだねられているのです。それは1人じゃないということです。ともしびには重要な役割がありますよね?周囲を照らすという役割です。

  兄弟姉妹、神の家族がともしびを一緒に燃やす時、より大きな光となり、世をますます照らすことができますよね。そうでありながら、教会がこのともしびを失ったり、火を弱くしてしまったりしたら、役目が果たせなくなります。

 ですから、私たちキリスト者の集まりである教会こそ、絶えず主の油をいだいて信仰のともしびを燃やし、この世界を照らす存在でありたいのです。夜の海で入り江を捜す船にここがたどり着くべき地ですよ!と示す灯台のように。

この時代だからこそ、ともしびをますます高らかに燃やして、ここに道があること、救いがあることを示していきましょう。


 


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