東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: レビ記26章3-13節 「あなたは、わたしの民」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

2021/04/26

レビ記26章3-13節 「あなたは、わたしの民」

*** 4/25(日)主日礼拝 説教概略 ***

レビ記26章3-13節 「あなたは、わたしの民」

 子どもの頃、ハムスターやインコなどを飼ったことがありました。皆さんの中でもペットを飼っている方、飼われた事のある方がいらっしゃるでしょう。では、そのペットたちが幸せな生涯を送れるかどうかは、何に左右されると思われますか?

 私は良い主人(飼い主)との出会いだと思います。ペットは結局ご主人様次第ではないでしょうか?いつも気にかけ、良いエサをくれるのか?運動はさせてくれるのか?住まいは綺麗にしてくれるのか?愛情を注いでくれるか?飼い主によるところが非常に大きいのです。



 そしてそれは人間も同じことが言えるのではないでしょうか?国のリーダー次第でその国の住みやすさは大きく変わるでしょう。独裁国家に住みたいと思う方は少ないのではないでしょうか。戦国時代、武士にとっても良い主君に仕えることが何よりの幸せであったとも言われます。良い社長、良い上司、良い教師、良い親の下にいる人は幸せでしょう。

 私たち人間には最高の主人である神様がおられます。先週は、神様ご自身が私たちの間に住まわれ、私たちの神となってくださっていることを教えられました。だから、偶像というニセモノにすり替えて自ら神を見失うようなことがないようにとのことでした。主の安息の礼拝、神中心の生活を大切にしましょうと教えられました。本日は、良い主人でいらっしゃる神様の下にいることがどれほど幸せなのか。この方の声について行く時、どんなにか養われ守られ幸せでいられるのかを教えられます。


1. 神の教えに生きるなら

 神様は、エジプトのファラオの支配下で奴隷状態にあったイスラエルの民を導き、解放してくださいました。そして神様ご自身がこの民の牧者となってくださったのです。

 今日の13節にこうある通りです。

レビ記26章13節
13節 わたしはあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたを奴隷の身分から救い出すために、エジプトの地から導き出した。わたしは、あなたがたのくびきの横木を砕き、あなたがたが自立して歩めるようにした。

 良い主人である神様だからこそ、奴隷的な支配ではなく、一人一人の人格を尊び、自立した者として歩めるようにと自由を与えてくださいました。この神様に導かれ、イスラエルの民はやがて約束の地カナンへと導かれます。そこには多くの誘惑もありました。偶像がありました。ですから、良い羊飼いなる神様を忘れて不幸にならないように「幸せへの道」を確認してくださったのです。3-4

レビ記26章3-4節
3節 もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、4節 わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。 

 ここにあるように、「雨ごい」をするのでもなく、儀式を行うのでもなく、神様の愛のみ教えに聞き従うのです。

 そうすれば、新しい地で恵みの雨も与えられ、豊かな収穫を得られるから大丈夫なんだよ!という神様の教えです。神様のお約束です。神様は前もって、こんなにも明確に伝えておられたわけです。神の教えに生きるなら、人は実り豊かな人生を約束されているのです。
明白です。

 ある姉はお金に困った時、神様に「現金をください」とダイレクトに祈りました。よくまあ率直に祈ったなぁと思いますが・・・するとほどなくして思いもよらぬところから実に現金が与えられました。必要なものは神様により頼んでいく時、与えられるのです。これは多くのキリスト者が体験してきた真理です。

祈りで5つの孤児院を経営したと言われるジョージ・ミュラーは、ある時こんな事を言ったそうです。「大金持ちの方にごくわずかなお金を寄付してくださいと言うのは失礼なことでしょう?」と。確かに億万長者に1000円寄付してくださいとは失礼過ぎて言えないですよね。彼は言います。「そうであれば、全世界の富の持ち主である神様に、大胆に大きく祈らないのは失礼ではないか」と。

神様に期待して神様に大胆に率直に祈らないなんて、むしろ神様に失礼だというわけです。これは神様の偉大さを知り、信頼しているからこその発言ですよね。この方には大胆に祈っても、それに余裕で応えるお力があるとの信頼です。

私たちは神様を小さくしすぎています。神の私たちへの愛を小さくしすぎているとも言えます。神様は与えてくださる方です。本気で求める者に与えてくださいます。少なくともみこころを行なうために必要なら、豊かにあふれるほどにお与えになる方です。祝福したいと願っておられる方。

こんな天国ジョークを紹介します。ある人が天国に行った。天使が出迎えてくれて「あなたのおうちコチラです!」と案内してくれた。しかし、ある倉庫を発見。「これは?」と聞くと天使は「あ、それは見ない方が・・・」と渋るので、ますます興味がわき。中を拝見。すると沢山のプレゼントが積んであった。「これは?」「それはあなたが地上で受け取れるはずだったプレゼントです。あなたがあまり祈らなかったので、ここに積まれたままでした」と。

私たちは神様にもっと信頼して、大胆に求め養われたらいいのではないでしょうか。


2. 良い羊飼い、悪い羊飼い

開かなくて良いのでぜひ頭にイメージしながら聞いてください。

詩篇23篇 ダビデの賛歌 

1節 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2節 主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。 

「乏しいことがありません」とは、羊が自分の主人の養いと導きに「満足している」状態です。今日も5節でも「満ち足りる」という表現がありました。満ち、足りるそれが「満足」です。「もう他にいらないよ~十分幸せ!」という状態です。そんな羊は本当に幸せですよね? 

皆さんは、ご自身の人生に満足していらっしゃるでしょうか?? 「恵みによるのです」という賛美曲の中に「主に愛されて、罪赦されて、もう言うことないのです」という歌詞がありますけど、アーメンと思いながら歌っています。

46年も生かしてもらい、家族や友人を豊かに与えられ、いい教会に召していただき、すばらしい教会の兄姉に恵まれ、罪赦され天国にも行けるし奇跡も感動もあふれるほどに味わうことができ。いや、何よりも神様がわたしと一緒にいることを喜び楽しんでくれている。皆さんにもっとこの方を知っていただきたい! 誰よりもアナタを評価し、誰よりもアナタを心配し、誰よりも良い物を与え、誰よりも守り導いてくれる方。神様はアナタを大好きすぎて、夜も寝ないほどです。 

詩篇121:4にこうあります「見よ イスラエルを守る方は まどろむこともなく 眠ることもない」ウトウトすらせず、見つめ守り続けてくれている。

主が私の「羊飼い」であるなら、もうこれ以上ないほど適切に私に必要を与え良いものをくれる。満足以外の何ものでもありませんよね?

そこで羊がすべきことは羊飼いの声に聞いてついて行けばいいだけ。今日のみことばの通りです。神の教えに従って歩む、神のご命令を守り行う。幸せへの道を知っておられるこの方の導きに従えば与えられ、守られる。まさに緑の牧場に伏させていただき、憩うことのできる水際へと連れて行ってもらえます

逆に、民が神様を無視して歩むのなら、偶像礼拝に走るなら・・・14節以降にずっと書かれていますが・・・そこに祝福はありません。病が増し、収穫は減り、生活に困窮します。

かわいそうな羊の話があります。実際に羊飼いだった人の体験談があり・・・羊に対して無頓着で、愛情がなく、羊のために時間をささげない羊飼いがいる。その羊たちは、茶色のかわいた草を食べ、泥水を飲まされ、栄養も取れず、嵐や吹雪にもこごえていました。よわり、細り、病になる羊たち。いつも飢えている羊たちです。



3. 私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊
いかに良い羊飼いに牧されるかが大事であるかとわかります。

4-5節を改めて読みます。

レビ26章4-5節
4節 わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。5節 あなたがたの麦打ちはぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れは種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかに自分たちの地に住む。

神様はその民を養い導きたいのです。物理的にも、精神的にも、霊的にも、主は守り導きたい、幸いな歩みへと招き入れたいのです。そうでなければ、ご自身の愛する御子をまで与えるはずがありません。

さらに6-8節では、住むべき平和な地を与え、様々な外敵から守ってくださることを約束なさっています。主の声に聞く者は、平和な地を受け継ぎ、そこにある様々な争い、敵からも主が盾になり守ってくださる。力を与えてくださいます。

例えば6節にはこうありますね「また、わたしはその地に平和を与える。あなたがたはだれにも脅かされずに寝る。」 「おびやかされずに寝る」当たり前のことのようですが、安心してグッスリ眠れるというのは本当にありがたいことです。先ほどの詩篇23篇の羊と羊飼いの話を思い出してください。主が羊たちを緑の牧場に伏させてくださいます。羊は大変臆病な動物ですので条件が整わないと草の上に伏せることがありません。

①恐れが全くない状態、②羊同士の摩擦がないこと、③飢えていないこと等が必要だそうです。

神様が私たちに必要な一切を備え、安心して眠らせてくださるのです。しっかりと囲いを作って外敵から守り、おいしい牧草を与えられ、羊同士の摩擦からも守られるなら羊は草の上に安心して眠れる。

神様という良い羊飼いの下でしか、私たちはこんな風になれないのではないでしょうか?先週も味わいましたが、再度この12節のみことばを確認したいと思います。 

レビ記26章12節
12節 わたしはあなたがたの間を歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。

神様は、汚れた小さな私たちと、お互いがお互いのものとなるかのような親しい交わりを求めてくださっています。それはまるで、神様ご自身が父、御子、御霊の3人格を持ちながら、一心同体となっているかのように。私たち神の子となった者たちも、その三位一体の神の交わりに加えられていく、招かれていく。そんな親しさなのです。

 神様はその囲いにいる羊を愛しておられます。囲いからはみ出た羊をも愛しておられます。喜んでいのちを注ぐほどに。祝福し幸せにしたいのです。みことばという牧草を十分に与え、生けるいのちの水を与え、羊同士も仲良く幸せに過ごせるよう外敵からも守ってくださる。この方の民となりましょう。その御声に聞き、祝福を受けましょう。

詩篇100章3節

知れ。主こそ神。 主が 私たちを造られた。

私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。





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