東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 使徒2章1-13節「聖霊が臨むとき」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/05/24

使徒2章1-13節「聖霊が臨むとき」

*** 5/23(日) ペンテコステ 主日礼拝 説教概略 ***

使徒2章1-13節「聖霊が臨むとき」

 本日はペンテコステです。この日は五旬節とも呼ばれます。元々は「過ぎ越しの祭りから50日目」という理解でありましたが、新約時代ではイースター(復活日)から数えて50日目という理解で定着しています。

 そして、このペンテコステの日は、イエス様が約束された聖霊が与えられた約束成就の日でもあり、実に最初の教会が誕生した日でもあります。

 きっと弟子たちは、「イエス様のおことばが、その通りになった!」と感動をもってこの日を迎えたことでしょう。


 この御霊によってキリスト者は真理に目を開かれましたイエス様のお心を深く理解できる力をいただいたのです。実際に経験されている方はわかると思いますが、イエス様を信じる前と信じた後では、聖書への理解度が大きく異なります。信じて祈って読む時、以前とは比べものにならないほど、みことばが心に入って来るようになった経験を思い出します。

 これは聖霊の助けによるのです。

 聖霊の働きは回顧的に理解できるものだとある神学者は言います。振り返って思い巡らした時に、あれは聖霊の助けだったのだなと示され感謝にあふれるのです。罪が示され、気づかされ、悔い改めることができた時も、まさに聖霊が示し立ち返るよう促してくださったと言えます。

 そして、世界中にみことばを伝える力が与えられ、事実世界中の人々が救われるようになりました。ですから、今の私たちの教会が存在できるのは、このキリストの御霊、聖霊のお働きによるのだということを覚えます。

 本日は、聖霊が与えられた恵みをともに学び、聖霊にゆだねて生きることをご一緒に教えられて参りたいと思います。


1. ペンテコステに起こったこと

 復活したイエス様と再会した弟子たちは異様に盛り上がっていました。それはそうですよね。死に勝利したイエス様を前にしたら怖い者などない。「今こそ、我らが祖国イスラエルを復興すべき時じゃないか!」そんな勘違いをする弟子もいたほどです。

しかし、盛り上がる弟子たちに向かい、主イエス様は言われました。
「まぁ、まぁ、待ちなさい」と言うのです。具体的には「わたしから聞いた父の約束である聖霊を待ちなさい」とおしゃったのでした。
私たちは何でも早ければ良いと考えがちですが、主の最善の時があるということです。

ではなぜ、聖霊を待つ必要があったのでしょうか。

それは、クリスチャンの力の源は人間的な能力ではなく、権力でもなく、神の御霊だからです。御霊なる神様のお力なしには、宣教のことばは力を持たず、人々も救われません。愛のある働き、真実な働きができません。ですから、約束の聖霊を待ちなさいと言われました。やがて天に昇られるイエス様を見送り、ついに約束の日が来ました。それがペンテコステの日です。

2章の1-3節にその出来事が明確に語られています。

使徒2章1-13節
1節 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2節 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。3節 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。

 この日、多くのキリストの弟子たちが集まっていたようです。そこで突然、天から激しい風の音が響き渡りました。驚いたでしょうね。さらに、3節にあるように炎のような舌が分かれて現れ、一人一人の上にとどまりました。こうしてこの日は特別に、耳でハッキリと聞こえ、目でハッキリと見えるかたちで聖霊が臨まれたことがわかったのです。この特別な出来事はこの日で終わりましたが、この時以来すべてのクリスチャンに聖霊の恩恵が豊かに与えられるようになりました。では、この聖霊が臨まれた時に何が起こったのでしょうか?
使徒2章4節
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 聖霊に満たされた人が、御霊が語らせてくださるままに、他国の様々な言語で話し始めたのです。驚くべき事。これらの出来事にどんな意味があるのでしょうか?2つの点を教えられます。(1)キリストの約束の成就 (2)キリストの福音が世界に!

 

(1) キリストの約束の成就

 

まず、この出来事は「主のお約束が成就した出来事」でした。古くは旧約聖書の時代から、聖霊が注がれる日が来ることが約束されていました。そして、イエス様はよりハッキリと弟子たちにこのことを約束さました。ご自分が十字架に死に、復活後に天に戻って行かれる。このことを弟子たちに話し、当然、弟子たちは深く悲しんでいました。しかし、悲しみ不安の中にある弟子たちにイエス様はこのような約束をされました。

ヨハネ16章7節
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。

 この「助け主」が聖霊のことです。イエス様のお話によれば、この助け主こそが「イエス様のことばを思い起こさせ、すべてのことを教えてくださる」と言うのです。

また、イエス様は「あなたがたを捨てて孤児にはしません」とも約束されました。それはこの「キリストの御霊」が、信じる者の心に確実に宿ってくださるからでした。Ⅰコリント2章のことばを引用するならばキリストの心持っているとの表現になります。

なんと嬉しいお約束でしょうか。弟子たちにはイエス様に置いて行かれたというさみしい思いもあったでしょう。しかしながら、ほどなくしてキリストの御霊(キリストの心)が与えられたのです。物理的に離れていたとしても、キリストの御霊によって主が信じる者とともにおられるのです。もはや信じる者とイエス様の心が一つに結び合わされているという恵みです。 

弟子たちもこの恵みを喜んで受け取っていました。使徒の働き233節です。

使徒2章33節
「ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」

 これはペテロのことばです。約束の聖霊が注がれたことを、あなたがたも目で見て、耳で聞きましたね!とペテロは主の約束の成就を説き明かしています。

 

(2) キリストの福音を世界に!

 

キリストの御霊はクリスチャン生活の「力の源」だとお話しましたが、その力は何のために与えられているのでしょうか。今日のみことばの6節に「大勢の人が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話す」のを聞いたと語られています。存在しないことばではなく、それぞれの国のことばでした。

8節以降には色々な民族が集まっていた記録がありますが、その彼らの母国語を正確に話したのです。ですから話している内容が良く分かりました。これは、福音のことばが世界にきちんと伝わり広がっていくことを象徴する出来事だと言えます。

創世記11章に有名な「バベルの塔」の出来事が記されています。まだ一つの共通言語で話していた時代です。人々は互いに話し合い、画策して高い塔を建てて自分たちの名をあげようとしました。高く偉くなりたいとの名誉欲、行き着く先は神のようになりたい。

しかし、神様はそれは正しくないと、彼らのことばを混乱させ、互いに通じないようになさった。それが言語が分かれていった起源です。

しかし、キリストの御霊によって、世界中のことばで語られる奇跡がこの時に起こったのです。それは散らされた人々が、キリストによってまた結び合わされて行くというしるしです。キリストの十字架は隔ての壁を壊し、国境や民族を超えて結び合わせる架け橋です。
ここでもう一つ重要な点は、その外国語で「語られた内容」はです。どんな内容が語られていたのでしょうか? 11節です。
使徒2章11節
ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」

その中身は「神の大きなみわざ」でした。聖霊はイエス様のお心を指し示すわけですから、イエス様が一番伝えたいものを私たちに示してくれるわけです。それは「父なる神様の大いなるみわざ」です。神の栄光です。神の愛です。
ヨハネ16章14節
御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです

 この聖霊を受けるときに、私たちは力をいただきます。勇気をいただきます。知恵も不思議に与えられます。でも、それは何のためなのかということが大切です。

それは、人々にイエス・キリストにある救いをもたらすためなのです。

自分の欲のためではありません。自己実現のために聖霊が力を与えてくれるのではないのです。神のみこころをなすために、キリストの心が導いてくださるのです。

神様ほどこの世界のすべての人に救われて欲しいと願っておられる方はいません。誰も滅んでほしくない。誰にも不幸になって欲しくない。だから、一番大切な方、ひとり子キリストのいのちまで犠牲にされたのです。神様は私たちの家族を、私たちの友人をどうしても救いたいのです。そのために、キリストの御霊を信じる者に与えてくださいました。この聖霊に導かれて歩みましょう。 

妻は人前で話すのが得意ではありません。しかし、人生で最も緊張するであろう日に、原稿も見ずによどみなく証しをすることができました。私たちの結婚式です。大勢の方の前で、ただでさえ緊張するこの日に、妻は用意していた原稿を開くことなく、神様がどのように私たちを導かれたのかを語りきりました。なぜ、できたのか?

自分自身のストーリーならあのようには話せなかったでしょう。彼女はただ「神様の大いなるみわざを少しでも皆さんに知って欲しい」と願って話したからです。それで、主の聖霊が働いてくださったのです。

 聖霊が臨むとき、私たちは力を受けます。

 それは神の大いなるみわざを世界中の人々に知っていただくための力です。

 このすばらしい無条件の愛を、この限りない恵みを、ここにある喜びを。知っていただくために、主は惜しみなく御霊によって力をくださいます。 



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