Ⅱテモテ3:16-17「聖書 神からのことば」
聖書は英語ではバイブル(あるいはHolly Bible)と言います。このバイブルという言葉は、もともとはギリシャ語の「ビブロス」ということばから来ています。その意味は「本の中の本」です。いわば本の王様ですね。
そして、そこから生まれた「バイブル」ということば、現代では様々な分野で広く使われていますよね。少し調べてみただけでも「恋愛バイブル」、「サウンドバイブル」、「カレーバイブル」等もありました。さらには「ふるさと納税バイブル」なんてものもありました。
ただ、そうやって色々使われるということには、聖書の影響力の大きさを感じられます。これらの意味は拠り頼むべき基準・土台、「この本さえあえれば大丈夫!」といったものでしょう。では、本家本元の聖書は、どんなバイブルなのでしょうか。すべての人のあらゆる人生におけるバイブル。神様からのラブレターであり、人生の手引書です。
この聖書こそが、すべての信仰生活の基準、究極の権威です。皆さんにとって、聖書は「これさえあれば大丈夫!これこそ私の生活のすべての基準!」という書になっていただけたら嬉しいです。
そのためにも、今日、聖書というものがどのようにして人にもたらされたのか。「神様からのことば」であることを改めて教えられたいと思います。
こうして神様はへりくだって、人がわかる方法で教えてくださいました。それを「啓示」と言います。神様は少なくとも2つの方法で啓示してくださいました。
1つ目は「一般啓示」と言って、神様が造られたこの世界をご自分を自己紹介されたのです。詩篇19:1に「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」とあります。かつて自然豊かな場所で澄み切った夜空を見上げたことがあります。
こんなに星は多くあったのか。こんなに流れ星というものは頻繁に流れているものだったのか。驚くべき感動を経験しました。夜空の圧倒的な広がりを見て、自分がいかに小さな存在なのかと思わずにはいられませんでした。同時に、これらを造られた存在の偉大さを感じました。涙が流れて来たのを覚えています。
ロマ1:20「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」とある通りではないでしょうか。
3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
「聖書はすべて神の霊感によってもたらされた」と聖書は語ります。「霊感」とは幽霊を感じる能力ではありません。英語では「inspiration」と訳されますが、神様は、ある時代のある人々を選び、その人に霊的な息吹をもって働きかけ、神様のみこころを正しく完全に記させたということです。その人の人格全体が神の御霊に導かれ、誤りなく書かけるように導かれたのです。個性が表れていながら同時に、一貫性と正しさをもって記されています。
このように、聖書が神のことばだからこそ、私たちは聖書を信頼でき、この聖書のことばに導かれて歩むことができるのです。この世の情報はどうでしょうか?
私たちが今手にできる情報には、多くの間違いがあります。人由来だからです。
コロナウイルスの情報もコロコロ変わります。何が正しいのか、神様以外には正解を知る存在がないのです。コロナに関わらず、どんな本を読んでも正しいのか、事実なのか、それが本当に自分にとって有益な情報なのか。保証できません。
しかし、保証できる書が世界に一つあります。
神のことば、聖書です。
直前の15節でも「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。」と語られています。
他にもⅡペテロ1:21によれば、聖書の預言が「決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったもの」であることが語られています。神由来なのです。
聖書の記者は約40人。王様もいれば学者、医者など優秀な人もいるし、漁師、取税人、羊飼いといった決して身分の高くない人々もいます。時代も違い、住んでいた地域も違う者たち。しかも創世記から黙示録までは約1600年かけて書かれた。日本で言えば聖徳太子さんの時代から現代の私たちまで、総勢40人で書いた感じ。しかし、そうでありながら、驚くべき統一性、連続性、緻密なつながり、驚くような伏線とその回収。調和があまりにも取れているのです。
それだけでも奇跡の書ですが、歴史的にも聖書の記述が正しいことは、考古学の研究や歴史家の研究で明らかにされています。歴史家ウェルネス・ケラーは、聖書の歴史性を疑い、徹底的に調べ回りました。調べれば調べるほど、聖書が歴史的に正しいとわかってしまい。彼は結局「やっぱり聖書は正しかった」という本を書いた程です。
ルー・ウォレスという人も、キリスト教を否定しようと調べ回った。そして、キリスト教を否定する書を書いている途中で、彼はそれ以上書けなくなりました。自分の心にウソをつけないからです。彼はキリストを信じるより他ありませんでした。そして新しく別の小説を書き始めました。「ベン・ハー」というイエス・キリストとの出会いを描く作品です。これは大変有名な作品で、映画になりましたね。
他にも旧約時代の預言が、新約時代になってことごとく成就している事実は「聖書が神のことばであること」を裏付ける大きな根拠となっています。
世界のベストセラーと言われ続けるのも、驚くべき確かな事実の上にあります。例えば聖書はある年の1年間の統計で、世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が発行されました。
年間100万冊でミリオンセラーと言われる時代です。ミリオンセラーを何回分でしょうか?しかもたった一年633回分のミリオンセラーを聖書1冊で成しとげるような話です。日本だけでも年間300万冊発行され、新聞で「隠れたベストセラー」と紹介されました。
そして、世界中のことばに翻訳されていることも驚くべきことです。数年前の記事ですが、やはりベストセラー上位に入っているハリーポッターシリーズ。7巻からなるこの長編小説が世界200か国79言語に翻訳されたとの記録がありました。これでほぼ世界中で読めるそうです。ところが、聖書の翻訳されている言語数は、分冊も含む数で3400言語を超えています。もはや奥地の小さな部族のことばにまで訳されて来ているのです。
そして、多くの迫害の中でも生き残ってきたのが聖書です。3世紀、ローマ皇帝は聖書を全部抹殺せよと命じました。印刷機もない時代、手書きで聖書が写されていた時代です。ことごとく聖書を燃やし尽くしたと彼は確信して、記念碑やメダルまで作ったそうです。ところが、聖書は残っていました。
マタイ24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
神のことばは様々な攻撃にあっても、決して消えることがありません(必ずしも物理的な意味ではないですが)。
聖書が神様のおことばであると学んで参りました。それは信頼に値する私たちの人生の手引書、より頼むべき究極の権威です。悩む時、苦しい時、反対に思いあがっている時、あらゆる時に。ぜひ求めてください。聖書にはことごとく道が示されています。
神様が私たちの道をみことばで照らしてくださいます。