東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ヨハネ14章6-14節「三位一体の神」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/06/28

ヨハネ14章6-14節「三位一体の神」

*** 6/27(日)主日礼拝 説教概略 ***

ヨハネ146-14節 「三位一体の神」

 コロナ下で様々な難しさを覚える中にありましたが、久しぶりに洗礼式が持てることを感謝しています。残念ながらLIVE配信では見られませんが、録画を致しますのでコロナ故に礼拝堂に来られない方にも、後程お見せできるかと思います。皆で喜び祝いたいと願います。


 神様は一人の迷える羊がご自身のもとに帰って来た時、救われた時、天において天使たちと大喜びしてくださるお方です。そして、この洗礼式も大いに喜び祝福してくださいます。主が定められた洗礼(バプテスマ)という礼典によって、救いの恵みを天と地とで、ともに喜べることはなんと幸いでしょうか。

 この洗礼は、本日のテーマである三位一体の神の御名で授けられます。なんと言っても聖書の教理の中で断然難しいのが「三位一体」です。しかし、難しいだけではありません。それを知ることで信仰が豊かにされるのです。難しいけれども、知れば信仰が豊かにされ喜びが増し加わるのです。そういう意味では「学びがい」がありますよね。 

 では、なぜ難しいのでしょうか?それは、この世界の中で「全く同じ例」を見つけることができないからです。神様の本質に関わる独自の真理なので、人間の小さな頭脳で理解しようとするとパンクします! ところが知る方法が一つあります。聖書が三位一体なる神様を教えていますので、聖書のみことばから私たちは知ることができるのです。「理解してやろう」などと思わず「神様、あなたのことを教えてください」と祈りながら受け入れていきましょう。これが三位一体の神を知る一番の近道です
 

1. 唯一の神 

 
 聖書は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神を明確に区別し、同時に「神はただおひとりである」と語ります。

申命記6章4節
聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である

 と語られます。
英語では最後の部分は「The Lord is One.」神はOneである。複数の神々ではなく、唯一無二である。そして神ご自身一体であるというのです。

しかし同時に、主なる神様は3つの「位格」を有しておられる事を聖書は語ります。「位格」というのは人間で言うところの「人格」です。神様は3つの独立した人格(父、御子、御霊)をお持ちでありながら、そのお考え、その思い、そのみわざにおいて、完全に一つとなって協力しておられるのです。


2. イエスと御父

  本日のみことばに目を向けましょう。イエス様のおことばから三位一体を理解します。

ヨハネ14章6節
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません

 イエス様はご自身が「父なる神への道である」とおっしゃいました。同時に、ご自身が「真理、いのち」であるとも言われ、真の神のご性質をお持ちであることを当たり前のように言われました。

 続く7では「わたしを知っているなら」それは「わたしの父をも知っていることになる」とさえ言っています。ところが・・・それを聞いてもまだ分からなかった弟子がいます。ピリポです。彼はこうお願いをします。
ヨハネ14章8節
ピリポはイエスに言った。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」

 私のようにわからず屋の弟子がいたので、ある意味助かります。イエス様は「まだ分からないのですか」と言いながらも説明を加えてくださいました。

ヨハネ14章9節
イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです

長い間、毎日寝食を共にしてきましたよね。それなのにまだ「父なる神を見せよ」と言うのですか?「もうわたしを通して毎日見て来たでしょ?」とイエス様は言われるのです。極めつけは10節です。

ヨハネ14章10節
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです

イエス様ご自身、いつも父なる神様の中に歩み、そして父なる神様ご自身もイエス様のうちにおられる。一心同体。しかも日々、父なる神様ご自身がその望むままのことを、イエス様を通して語り行っているのです。

ヘブル人の手紙11-3節を開きましょう。 
ヘブル1章1-3節
1節 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、
2節 この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。
3節 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。 

 この手紙は著者が不明だったため、その信頼性について長く議論された手紙です。しかし、その内容は素晴らしく、聖書の中心主題が美しく整理されています。特に、この冒頭は圧巻です。父なる神と御子イエス様との関係が明白かつ深く説き明かされています。

 旧約時代は預言者を通しての啓示でした。しかし新約の時代は御子イエス様によって神様はご自身のお心、お考えをことごとく示してくださったのです。御子イエス様を見れば、非常にわかりやすい形で父なる神様のことを知り得るのです。当然です。私たちと同じ人間の姿になって、人の行動を通して神の愛や聖さ、誠実さなどを示してくださったのですから!

ヨハネ14章に戻ります。13節でも、まるでイエス様が父なる神ご自身であるかのような発言がなされています。

ヨハネ14章13節
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。

イエス様も何でも与えることができ、ご自身のわざによって父なる神が栄光をお受けになると。


3. 御霊とイエスと御父

 
さて、もう一つの位格、御霊についてです。同じ14章の少し先26節にこうあります。

ヨハネ14章26節
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます

 「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」。

 もうここに三位一体が現れていますね。遣わす父なる神、それを仲介するイエス様、イエス様に代わって遣わされるのが聖霊であると分かります。

 イエス様も、そして聖霊も父なる神様のご命令によって遣わされました。父なる神の願うことをイエス様は人の姿でなされました。今度は聖霊が、イエス様が語られたことを人々に思い起こさせ、正しく理解させ、すべてのキリスト者の内にあって、キリストの働きを継続させてくれるのです。

 この完璧に一致し、美しくつながる神様のみわざは、三位一体でなければ出来ないものであります。

 例えば、私たち人間であれば、どんなに気の合う人同士や双子であってさえも、必ず考えにズレが生じます。一言一句同じというわけには決していきません。でも、三位一体の神様には寸分のズレもありません。なので、聖書を読めば読むほど、父なる神と子なるキリストと聖霊において、語られることや働きにズレが全く見られないのです。


4. 愛における一致  ~愛の神~

 なぜ、そんな一致があるのか?お互いに対する「愛」が完全だからです。同じ「愛の心」を完全に共有しているからです。何よりも素晴らしいことは、この3つの別の人格をお持ちの神様が、その愛において完全に一致しておられるということです。

 さらに、私たち人間に対しても、同じ愛の心で私たちを救おうと完全に一致して協力のみわざをなさいました。

①父なる神様は、ご自身の大切なひとり子イエス様をお与えになるほどに、私たちを愛されました。

②御子イエス様は、そのお心通りに、ご自分のいのちを身代わりにささげるほどに、私たちを愛されました。

③御霊は、私たちを新しくキリストにあるいのちに生まれさせてくださいました。「ことばにならない深いうめき」で私たちのためにとりなす愛を持っておられます。神の心を探り極める方、キリストの心とも語られています。 

 まさに三位一体なる神様は、同じ愛をもって、人の救いのために協力してみわざをなさいました

 そして「愛」とは相手を必要とする概念です。もし、神様が三位一体でなければ、人が造られる前は一人ぼっちの神です。相手がいないのに常に愛があったとは言えません。ところが、三位一体の神様です。人が造られる前も、三位一体ゆえに愛の交わりを持っておられたのです。ゆえに「神は愛です」とのことばが成り立つのです。ご一緒に三位一体の神を知る機会をいただきました。3重の深い愛の中で私たちは救われ、助けられ、導かれているのです。

 この三位一体のお姿こそ、私たちの交わりの目指す姿なのです。




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