*** 7/21(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ1章1-4節「最後まで健全な信仰を保つ」
テサロニケ人への手紙第一が終わり、第二の手紙にそのまま移って参ります。この手紙を学ぶにあたり、少しその背景を知ることが、中身を理解する手助けになるでしょう。
この第二の手紙は、第一の手紙と共通する点として、読者はテサロニケの教会、そこにいるクリスチャンたちでありました。そして、Ⅰテサロニケ5章の最後で、すべての兄姉に読んで聞かせるようにと命令があったように、一部のクリスチャンではなくテサロニケにいるすべてのクリスチャン。あるいはさらに、テサロニケに限らずあらゆる地域のキリスト者にも!ということで、現代では全世界で広く読まれているのです。
1. 愛のあいさつ(1-2節)
いつもの決まり文句のような挨拶で始まります。それでもこうした挨拶を読むたびに、キリスト者の挨拶は本当に特別だなと思うのです。この手紙の送り手は誰でしょうか。
1節にあるように、パウロ、シルワノ、テモテです。確かに実際に書いて送っているのは彼ら3名が中心です。しかし、2節をご覧ください。「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように」とあるではないですか。
手紙の送り手からの挨拶だけで終わらないのです。三位一体の神様からの恵みと平安があなたがたにありますようにと、祈りのことば、祝福のことばが出だしの挨拶から始まっています。しかも、その恵みと平安は、この世では得られない、クリスチャンの特別な恩寵です。自分たちからの挨拶で終わらず、神様の恵みと平安があるようにとの相手の幸せに直結する尊いことばで始まるのです。
2. 感謝し、成長を喜ぶ(3-4節)
やはり挨拶の続きと言えますが、3-4節では「感謝」ということばが登場します。
感謝で始まり、感謝で終えられる。
それがクリスチャンの手紙の特徴でもあります。色々苦難があろうとも、また、実際この手紙ではパウロは「主の日」についての誤解を説き、正しい教えを伝えようと使命があって書いている。けれども、それでも尚、まずは主にある感謝の心を伝える姿勢。そこに読む者への敬意があり、神様に目を向けるように促す牧会的配慮があると言えるでしょう。
私たちにとっても自分の存在を感謝されることは、とても嬉しく励ましをいただくことです。そして、私たちが何かの課題に取り組む際にも、いきなり問題そのものに目を注ぐべきではありません。パウロも、課題があるにしてもテサロニケの兄姉たちの信仰の成長を喜び、愛が増し加わっていることを当然のこととして感謝しています。
それどころか、神の諸教会の間で「あなたがたを誇りに思っています」とのことばは、パウロたちの弟子であるテサロニケの兄姉たちにとって、大きな喜び、励ましとなったことでしょう。色々な課題があることを知りながら、なお、「あなたがたを誇りに思う」と述べることは、深い愛に根ざしていることばだと言えます。これから課題を指摘しつつ、教え導くという中にあって、ここまでの深い愛を表わすことに教えられます。
成長は中々自分では分からないものです。でも、みことばに歩み、礼拝を続け、神とともに歩む日々の中で、必ず人は変えられ成長してまいります。牧師として見て入れば、人々の日々の成長は関心があるからこそ、本当によく見させていただき恵みをいただいています。成長していない人はほとんどいない。このように変えられている姿を見ることは幸いなことですし、それは日々、みことばに生きている実りですから、誇らしいものです。
何よりも・・・
問題を解決すること自体が目的にならないようにしたいものです!
一緒にどこに向かって歩んでいるのか。その課題に取り組むのは誰のため、何のためであるのかに目を向けたいのです。それは主なる神様のみこころのゆえ、主のご栄光を現すため、そして主を知るためであります。
いつもそこに目を注ぎ、ぶれない歩みをしたいのです。
むしろ、問題は神様の恵みが現れる機会、神の栄光が現わされるチャンスでさえあります。
3. 最後まで信仰を保つ(4節)
ヘブル11:13 このみことばは、キリストを既に信じている者たちにとって、間違いなく覚えておくべき重要なものだと思います。
非常に重要な真理を語っているみことばです。旧約の信仰者たちの名前を出し、一時期は燃える信仰者であったという人たちではなく、信仰者として生涯を終えたと語ります。
ある一時期は信じていた。洗礼も一応受けた。でも、晩年は・・・??
ではなく・・・「信仰の人として生涯を終える」、これを大切にしていただきたいと思います。
人生においては色々な事があります。信仰生活においても様々な試みを通ることと思います。あるいは、異端的な教え、歪んだ教理に流されていくケースもあります。これは本当に胸が痛みます。 慌てず、踊らされず、落ち着いて主のみこころは何であるかをいつも祈り求めましょう。
2:2後半に「すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください」とあります。2:3でも「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません」と。