東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 悔い改めて懸命に生きる人をつぶさないように
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/07/23

悔い改めて懸命に生きる人をつぶさないように

 東京五輪がいよいよ開幕です。「いよいよ開幕」と書きながら、素直に「いよいよ」だと思えないことが残念な気がしています。
 
 手放しで喜べない五輪です。
 

 右に左にブレすぎて、一貫性がない五輪。不安と疑念を抱えた五輪。残念ながらそのような五輪の様相を呈しているように思えます。

 そして、相次ぐ関係者の辞任、解任。そこではまた様々な問題が提起される形になりました。ネット社会の恩恵と同時に、ネット社会ゆえに課題、難しさがいよいよ浮き彫りになってきた印象です。

 特に今回、音楽家の小山田氏に続いて、お笑い芸人の小林氏が五輪の演出から降板することになりました。しかし、このお二人の問題は同列に扱うことができないものであり、同時にそれを第三者が一方的に公の場で非難することについては同じ問題を含んでもいるということを覚えます。

 小山田氏については、若い頃に「いじめ」の度を過ぎた暴力、犯罪行為と呼べるものをいくつもの行われたということでした。障碍者への「いじめ」の内容は明記することがはばかられるほど残酷に思えました。ただ、その残酷さも、未成年の頃のものであり、真摯に反省し償って生きてきたのならば、だいぶ違ったのだろうと思います。

 ところが、この方の場合は、大人になってからその行為を自慢するかのように雑誌インタビューにて語りました。まるで、それがロックな生き方であるかのような誤解を与えかねない雑誌記事であったと思われます。そして、それ以降もこの点についてご自身の反省、悔い改めの弁がないままに、五輪という世界的舞台での演出をするかたちになったために、問題になったということでした。最終的に「辞任」という幕引きになりました。これについては止む無しと思います。

 それでもご本人が現在、心から反省なさっているのならば、もうこれ以上は責める必要はないでしょう。既に度を過ぎるほど叩かれてしまったと思います。特に、小山田さんから被害にあった方が主張するなら分かりますが、まるで関係のない第三者が、匿名にて激しく叩き非難することには、大きな疑問を覚えます。どうやら既に、お子さんにまでバッシングが及んでいると聞きます。本人だけならまだしも、その家族への攻撃は決してしてはなりません。

 それ自体が新たな「いじめ」、さらには犯罪にさえなり得ます。

 もし、正式に批判を申し入れたいのならば、本人や委員会に対して、実名でどこの誰なのかを名乗った上で、ネットでの公開処刑ではなく、個人的にすべきではないでしょうか。不特定多数の人がいるところで、仮に事実であったとしてもその人の名誉を傷つける発言をするならば、名誉棄損罪になり得ます(なお、事実でないことを言って攻撃した場合は、侮辱罪になります)。

 刑法上の犯罪でもありますので、サーバーは情報開示をしなければならず、個人が特定される可能性が高いでしょう。匿名だと思い込んでいますが、本当は完全に匿名ということは不可能です。
 
 さて、その次に登場したのが小林氏です。この方の場合、23年ほど前に行ったコントの中に「ユダヤ人虐殺ごっこをしよう」というセリフがあり、米国のユダヤ人の人権団体から抗議を受けたということでした。

 ただ、通報の前に十分な事実関係の調査、現状の彼の考え方・歩みについての検討を行ったのでしょうか?

 小林氏は「辞任」ではなく「解任」となりました。
 辞任より解任の方が当然重いですよね。

 この「解任」に関してはかなり大きな判断ミスではないかと思われてなりません。

 確かに、ホロコーストは人類史上で最も残酷な虐殺であり、決して繰り返してはならないものです。事実をよく知っているのならば、冗談にさえ出来ないでしょう。特に「公人」であれば、安易に肯定するような言動をしてはならないでしょう。

 ところが、この方の場合、まだそこまで売れていない未熟な青年の時のことであり、「公人」と言えるほどの立場ではなかったのではないでしょうか?そもそも売れている芸人さんでさえ「準公人」というぐらいの立場ではないでしょうか。選挙で選ばれて税金で活動している政治家をこそ「公人」と呼びますが、それとは異なりますよね。少なくとも当人たちはその認識がなかったことでしょう。

 しかし、動画が残っていたために、20年以上も経て、以前よりは知名度もぐっと上がったゆえに、また五輪に関わるよう招聘されたことにより、クローズアップされる形になりました。しかも、自身の主張としてホロコーストを肯定したのではなく、コント(作り話)の中での演出であって・・・と考えると少なくとも小山田氏と同列に扱うことは難しいものに思えます。もちろん演出でも、それは控えるべきものであったことは確かですが・・・。

 より大切なことは、小林氏の場合、特に2000年以降は、お笑いの方向性も変えており、「人を傷つけるお笑いをしたくない」と本人が語っている情報緒があり、さらには実際にYouTubeでの収入を被災地支援や障碍者支援にささげているという情報もあります。明らかに過去の未熟な自分の課題を反省し、悔い改めて歩んでいる姿が見られるのです。

 23年前のコント中のわずかなセリフ一つを取り上げ大騒ぎをし、現在の彼の社会貢献はまるで論じられず、しかも「辞任」ではなく「解任」で一方的にやめさせる。

 この社会はどうなってしまったのでしょうか。

 過去何十年もさかのぼり、その時の未熟さや失言や、過ちを掘り起こし、今度はネットで叩き始める。家族や仕事仲間までなぜか叩かれる。身を潜めて生きなければいけなくなる。

 これで良いのでしょうか。
 
 政治家の皆さん、五輪の委員会のリーダーシップの皆さん、ネットで隠れて叩き続ける方々。もちろん、私たち全員も。 

 もう一度、今の社会のあり方、ネットの用い方、特に人を一方的に公けの場で批判する問題について、よく考えて向き合っていくべきではないでしょうか。

 聖書は誰もが罪人であると語ります。そして、キリストは姦淫の罪を犯した女性を石打ちにしようとしている者たちに向かい、「罪のない者から石を投げるがよい」と言われました。すると・・・ 年長者から石を置いて、その場から立ち去って行きました

 「脛に傷のない人などいない」と、今回の件で発信している方々もいらっしゃるようですが、私もそう思います。だから、長年生きている人から先に、石を置いて立ち去ったのです。長く生きている分、多くの傷が脛についているからです。

 最後に女性とキリストだけが残り、キリストは言われました。「もう罪を犯してはなりません」と。女性は死の間際に救われ、この赦された恵みを一生忘れないことでしょう。人ですからそれでもなお、罪を全く犯さなくなるわけではありません。しかし、たとえそうであったとしても、心から悔い改めて、より正しく誠実な歩みをしていこうとするでしょう。

 心から悔い改めた者は、無傷の者よりも、罪を犯したことの重みを知っています。

 そこからやり直していく時「こんな自分だからこそ償っていこう」と、今まで以上に人々のために頑張るでしょう。

 悔い改めていない者は責めなければなりません。でも、心底悔い改めている者には、もうそれ以上責め続けるよりも、改めて償っていく道に進めるようにすべきではないでしょうか。

 やり直しがきかない、それどころか活躍していても、過去のわずかな問題を誰かが悪意を持って取り上げて騒げば、それを邪魔することができてしまう。そんな悪意が大手を振って許される社会であってはならないと思います。

 よく精査し、よく考えたいものです。
 批判するにしても正々堂々と本人と1:1で、自身の名前を明かして向き合い、きちんと話し合えばいいことです。

 無言電話のような悪行、匿名批判という悪行、家族や友人にまで手を出す悪行・・・やめましょう。それをしてしまう一人一人も過ちに気づけるようにと祈らされます。





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