*** 7/20(火) ほっとカフェ講演 ***
「心のケアと人間関係」というテーマでいつもお話をさせていただいています。
リクエストがありまして「バウンダリー(境界線)」のことについて、前回はお話をさせていただきました。本日もその続きで、バウンダリーのことをより具体的に教えられていきたいと思います。
境界線とは他者と自分を区別し、自分が何者であるかを定義します。そして、自分の責任範囲を定めつつ、他者との健全な関係を生み出します。特に「支配」と「共依存」からあなたを守ります。(『境界線』ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント共著)
健全なバウンダリーの形成ができると、人間関係において責任の範囲が明確にされ、必要以上に背負いすぎず、また他の人からのことばや介入に右往左往せず、自分らしく歩むことができるようにされていきます。
Ⅰ. 前回の復習
1.神様との境界線を確立する
神と人との間には、決して超えることのできない境界線があることを謙虚に受け止め、完璧主義をやめましょう。人は万能ではありません。計画を立ててもその通りにできないことも多いのではないでしょうか?神が曲げたものを人がまっすぐにすることはできません。小さな人間であることを真摯に受け止める時、自分を必要以上に責めたり、重荷を背負ったりしないようにされていきます。
私たちは神の前に必要以上に思いあがらず、謙虚に歩みましょう。
2.人間関係における境界線の確立
バウンダリーの大切な機能として、良いものを許可し、悪いものをシャットアウトする機能。バウンダリーの確立した成熟した方は、これができるという事でした。良いものは受け入れ、悪いものはお断りする。ここをはっきりすることで、自分らしさが健全に保たれ、心が守られていきます。
3.人間関係が改善するノー
「ノー」を上手に伝えること。相手のノーを受け入れることを学びました。
嫌われたくなくて「ノー」を言えない日本人が多い。でも、聖書が教える「愛」に立つ。
どんな時にも神様はあなたを決して見捨てないという、愛の土台の上に立ちましょう。
Ⅱ. 本日の学び
1.神の声を受け入れ、的外れな批判を受け流そう(セルフイメージの向上)
ヨハネの福音書8章31-32節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
しばしば私たちは人のことばの奴隷になります。
境界線が明確でなく、セルフメージが低い方、確立されていない方はとても他の人のことばに影響を受けてしまいます。しかし、人のことばは、真実も含まれていますが、それぞれの思い込みや自分勝手な考えも多く含まれています。そのことばを聞いて、聖書と照らして真実だなと思うものは受け入れ、ちょっと的外れだなというものは「受け流す」ということを身につけられたら最高です。
人の意見にカンペキなものはありません。
一部の個人的な意見に過ぎないのです。
場合によっては嫉妬心から言っているかも知れません。
勘違いや言い間違いも山ほどあります。
伝道者の書7章21-22節
また、人の語ることばをいちいち心に留めてはならない。しもべがあなたをののしるのを聞かないようにするために。あなた自身が他人を何度もののしったことを、あなたの心は知っているのだから。
人の話を聞くなという話ではありません。きちんと聞いたら良いと思います。しかし、「いちいち心に留めてはならない」とのことばは示唆に富んでいます。よく聞いたとしても、心に留めるべきことだけを留めればいいのであって、不要なものは「受け流して良い」のです。むしろ、不要なものを受け流すからこそ、大切なことを心にしっかり留められるのです。
できればですが・・・あなた自身のことについて神様がおっしゃることばを、たびたび確認することをお勧めします。
歪んだ鏡に自分を写しても、正しい自分の姿を知ることはできません。聖書という真実の鏡によって、あなたを見るという習慣を身について欲しいのです。
そこでは、あなたはわたしの目には高価である。尊い存在であるとあります。わたしはあなたを愛していると主は言われます。あなたは神に造られた、神の作品。神のかたち、神が心に留め、神が決して見捨てないと約束してくださる存在。どんなに失敗しようと、神様はあなたを赦し、救うお方。思い煩わないで代わりに感謝せよと。すべての良いもので、あなたの一生を満たすと言われる。あなたを守り、あなたを支え、あなたを導くと語られています。これらの真実のことばを受け取り続けてください。
2.背負いこみ過ぎから解放されましょう
ガラテヤ6章7節
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
これは神様が定めたことです。それを他の人が何でもかんでも刈り取ってあげてしまうと、刈り取りによって大切なことを学ぶ機会を奪ってしまいます。
良い種の刈り取りも、悪い種の刈り取りも経験することが人には必要です。
現代はネットで匿名で言いたい放題の面がある。これは刈り取りがされていないので、どんどん悪くなってきました。だから、きちんと発言者が責任を負う仕組みを整備しないとネットバッシングで人がどんどん倒れていくのです。ことばのナイフで刺してしまった人は、何らかの責任を取れるようにすることで初めて改善されるのではないでしょうか。
実はそうさせたあげることが本当の意味で愛ではないでしょうか。
本人が自分の過ちに気づき、その点について責任を負う。
そのことから、本人が本気で悔い改め、正しい道に戻ろうとしていけるのです。
神様の救いはその点、最高のバランスがあると言えます。
イエス様の十字架の赦しは圧倒的な赦しの力です。どんな罪をも赦される。
ただし、大切なことがある。
その人が自分の罪を心から認め告白すること、悔いて改める姿勢を持つこと
がどうしても必要です。
ということで、他の人の責任範囲にまで踏み込んで、あなたが背負うと疲れます。あなたには、自分のなすべきことが多くあって、引き受けても「できないことがたくさんある」と受け止めましょう。その人自身が負うべき責任を、いい人になることだと誤解して、代わりに背負わないように。その人自身が負うべきものが神様によって与えられているのです。
マタイ25章23節
主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
神様は各人に賜物とそれを用いる責任をお与えになりました。各人に与えられたのであり、他の人のものを取ってきてやるのではありません。大切なことは、あなた自身に与えられたもの、ことについて忠実であることです。他の人の責任に手出しをするあまり、自分のなすべき大切な責任を果たせないなら、本末転倒ですよね。
与えられていることに忠実でありましょう。他の人を愛するべきですが、愛し方が共依存的であるならば、かえってその相手の成長を妨げ、その人が豊かにされる機会をも奪ってしまいます。
より良い人間関係の構築のために、少しこれらのことを見直してはどうでしょう。少し楽になりますよ。そして、他の人にとっても良い影響がもたらされることでしょう。