東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記2章26-27節、ヨハネ3章23-24節「三位一体の神 PartⅡ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/07/05

創世記2章26-27節、ヨハネ3章23-24節「三位一体の神 PartⅡ」

*** 7/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

創世記2章26-27節、ヨハネ3章23-24節「三位一体の神 PartⅡ」


「三位一体パートⅡ」という一見手抜きのような、映画のタイトルのような説教題をつけさせていただきましたが、結局これが一番分かりやすいかなということで、決して手抜きではありません。ということで、本日は、先週に引き続き神様が三位一体のお方であることを教えられます。特に今日は、もう一歩深く踏み込みます

 先週は神様が、唯一無二の神様でありながら、父、子、聖霊の三位格を持っていて、神様ご自身の中に既に愛の交わりがあること。愛によって一つとなられていることを教えられました。今日は、その三位一体の神様と私たちとの関係、つながりについて教えられます。


1. 三位一体の神のかたちに

 最初に創世記の126節、私たち人間が造られた時のことです。

創世記1章26節
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」と神様はおっしゃいました。

「われわれのかたちとして」の部分は、実は最初にinに該当することばがあります。英語ではin Our imageです。かたちというのは、外見の話ではなく性質に近いでしょう。神様の中にあるご性質にかたどり造られたので、似る者とさせていただいています。

 ゆえに人は自由な意志を持ち、愛の交わりに生きる者とされたのです。「神のかたち」なので、神様と心を通わせてともに歩める存在なのです。

 さて、神様はご自分の事を指して「われわれ」と言っています。ほとんどの場面では「わたし」なのに、ここは「われわれ」です。実は他にも、少ないですがイザヤ書68節でも「だれが、われわれのために行くだろうか」との神様のことばが語られています。

では、皆さんはこの「われわれ」は何を意味すると思いますか?天使を含むということでしょうか。しかし、天使も神様によって造られた存在ですから「われわれ」の側に含めるのはおかしいですね。

また、この「われわれ」は「偉大さ」を表わす複数形だとの解釈もありました。確かに古代の他の文献では、王が自分の事を「われわれ」と表現するものがあったようです。でも、それは異教の王様の話で、神様があえてそれをする理由があまりありません。読み込み過ぎない方がいいとの見解もあります。

そして「造ろう」という動詞も複数形なので、「われわれ」の部分はシンプルに複数を意識しているとの理解が妥当でしょう。すると、それは誰なのでしょう?それこそ父、御子、御霊の三位一体のお姿を現しているのではないでしょうか。
むしろ、そう理解することが文脈的に自然な流れを持っています。父、子、御霊の三位一体の神様のお姿、愛の交わりで一体となっているお姿に似せて、人が造られたのです。

だから、パスカルが言うように人の心には、神の愛でしか満たせない空洞があるとのことばにも説得力が生まれます。そもそも神の愛が欠かせない存在としてデザインされたのです。人は神とまた隣人と愛の協力の中で共生していく存在なのです。

27節では、その創造のみわざの具体的な中身に触れています。

創世記1章27節
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

神様に男、女という性別があるわけですが、父、御子、御霊が別の人格を持っているように、人もそれぞれ異なる性別や人格を持つ存在として造られました。そして、三位一体の神様の姿に倣って、結婚した夫婦は愛において一つとされ、その祝福の中で子が与えられる存在となりました。


2. 三位一体と夫婦、そして教会の一致

 
 この流れを受けて、少し先の224に結婚の定めが語られていますね。

それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。 

この「一体」ということばはヘブル語でエハッド、英語でOneです。Oneと言うと、犬の鳴き声ではありません。先週ご紹介したのですが、申命記64節のみことば。「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。」

この最後の唯一であると訳されているのが「エハッド・One」です。神様が唯一で、一体のお方であるという意味をご紹介しました。それと同じことばで、男と女とは一体となると語られています。

つまり、神様が一心同体でいらっしゃるとの同じように、神のかたちに似せられた男女も結婚し、一心同体へと導かれるという奥義です。特に結婚は神様を頂点として、男性と女性が結ばれる「正三角形」。まさに三位一体がモデルです。私と話せば、妻の姿が浮かび上がり、妻と話すとだいたい夫である私の考えが透けて来るような・・・そんな風にはほど遠いですが、そうでありたいと願います。

そして、それは結婚に留まりません。「教会の一致」にまで至っていきます。
パウロはキリストと教会の一体性、そこにつながる信徒との結びつきをエペソ5章で説き明かしています。エペソ5:31-32をお開きください。

エペソ5章31-32節
31節「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」32節 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

パウロはここで、先ほど開いた創世記の結婚の教えを引用して、これをキリストと教会を指して言っていると語ります。キリストが教会を花嫁として迎え、一心同体となるわけです。そして、教会は建物ではなく、私たちひとりひとりです

私たちはキリストと一つに結ばれ、お互いもキリストにあって一つのからだとして結ばれていくのです。それは三位一体の神から出ていることなのです。ですから、三位一体の神様を知ることこそ、夫婦の一致、教会の一致の基になりますよね。



3. 三位一体と礼拝、祈り
  今日読んでいただいた、もう一つの個所は、ヨハネの福音書42324節です。

ヨハネ4章23-24節
23節 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。24節 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

これらはイエス様ご自身のことばです。以前の訳では「霊とまことによって」と訳されていましたが、新しい訳では「御霊と真理によって」となりました。少し踏み込んだなと個人的には感じた訳でした。以前の「霊とまこと」によってというのは、訳として少しぼんやりしている印象です。いくつかの解釈の余地を残したものでした。

しかし「御霊と真理」と訳されました。これだと、はっきりと聖霊だと分かりますよね。そして「まこと」と言うと人の「誠実さ」とも理解できましたが、「真理」と訳すことで、よりイエス様を暗示させるものになりました。

ヨハネの146節で、イエス様はこう言われました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と。

1837節でもイエス様はピラトにこう答えています。
わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」。

イエス様が真理をもたらす者であり、真理そのものであると語っているのです。
とすると・・・真の礼拝とは、「御霊とイエス様の導きのうちにささげるもの」と理解できるわけです。

24節にありますように、神様は霊的な存在です。無限に永遠の存在とも言えます。この方への礼拝なので、人の肉の力で礼拝するのではなく、御霊とイエス様の導きによる霊的な礼拝がふさわしいということです。

イエス様が礼拝を導く「ワーシップリーダー」、聖霊は私たちを内側から整え力を与え、父なる神様に向かう礼拝がささげられていくのです。ですから、礼拝は三位一体の神様のお姿をそのまま味わう機会にもなりますね

祈りにおいても、私たちは父なる神様に語りかけ、御霊の促しのうちに祈りのことばを与えられ、イエス様のお名前を通して祈ります。

父なる神様が私たちの上に、イエス・キリストが私たちの前に、御霊が私たちのうちに。まさに私たちは内からも外からも、主なる神様に包まれ支えられて歩めるのです。

神様を信じていても、時々孤独を感じられる方がいらっしゃるでしょうか?

さみしくて、不安で「神様、私とともにいてください」と必死に祈るかも知れません。

創世記に登場するヤコブは、兄に恨まれ家を出るしかありませんでした。ひとりぼっちの寂しい旅の中、あるところで彼は夢を見て、そして気づいて言ったのです。

「まことに主はこの場所におられる。それなのに私はそれを知らなかった」と。

実はこれ以上ないほど主は近くにおられるのです。

内側からも、前からも後ろからも上からも取り囲み、もはやその三位一体の愛の交わりの中に私たちは常に歩んでさえいるのです。

「ともにいてください」と祈らなくても、もうおられるのです。私たちが気づかないでいるだけでしょう。礼拝のただ中にあっても、主の親しいお交わりの中に私たちは加えていただいています。

このようして、神様の臨在をもっと感じながら歩んでいけたらいいですね。
何よりも神様のすばらしいかたちに造られた私たちですから。 



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