*** 8/4(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ1章8-10節「主を知る者となる」
お小遣いで初めて購入した音楽CDは、爆風スランプというバンドのCDでした。
そのアルバムの中に入っていた曲の中に「ハイランダー」という曲がありました。
その中では、アパルトヘイトという人種差別問題や東京の土地の高騰で家が買えない問題などを歌っていました。その歌詞の一部は、中学生だった私にとって非常にインパクトの強いものでした。
「君は、机の上で、君は、何を学んで、君はいつか立派な会社に入る、そして死ぬ」
「いつか立派な会社に入り、そして死ぬ」という歌詞です。
どんなに立派な会社に入ろうとも、そこでどんなに高い地位を築こうとも、人は皆必ず死を迎える。そういう存在であることを意識して、どう生きるべきなのかを考える必要がある。そんなメッセージだったのでは?と想像します。
多くの場合「自分の死」など考えたくありません。ですから死を連想させることばを避けます。特に日本はそういう傾向が強い気がします。「4」という数字を避けることもあるでしょう。
ところが「考えたくない・・・」と言って考えなければ、それらは回避できるのかと言うと、そうではないですよね?回避できるなら考えるのをやめたらいいのですが・・・そんなことはないですよね。それは現実逃避に過ぎません。
コロナの問題もニュースを見なければ勝手に改善するというわけでもありません。考えなければ、収束するというわけではないのです。むしろ、向き合って対策をしっかり取り正しい受け止めを学んでいくことが、乗り越えていける道でさえあります。
1. 神のさばきが確かにある
パウロはここで、神を信じない者、キリストの十字架を信じない者には、さばきの結果として「永遠の滅び」があることを語っています。8-9節です。
Ⅱテサロニケ1章8-9節
主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。
もちろん、人間の願望としては、滅びなどあって欲しくありませんね。しかし、先ほど話したように、願いがどんなに強くても、それが事実であるかは全く別の話です。
滅びなどない、みんな死んだら天国、ハッピーだと思い込んだからと言って、現実にそうならせる力を私たちは持っていないのです。
2. 神を信じない罪
そして8節では、その時には「神を知らない人々」や「主イエスの福音に従わない人々」に罰が与えられると語られています。「神を知らない人々」とは、どういう人々でしょうか。聖書において「知る」ということばは、人格的に交わりにおいてよく知っているということです。
単に聞いたことがあるという浅い知識ではありません。
聞いたことがあるけど無視していることを知っているとは言わないのです。
3. 神を知る者となり、再臨を待ち望もう
そしてこうした罪、悔い改めなき罪が行きつく結果何でしょうか?
Ⅱテサロニケ1章10節
その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、信じたすべての者たちの間で感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証しを、あなたがたは信じたのです。
終わりの時に、救いの完成の時に、信じる者はすべての慰めを受けます。
これまでの労苦が報われ、あらゆる痛みから解放され、目の涙をすっかりぬぐい取っていただけるのです。
ゆえに、信じて待ち望んできた者たちは、キリストの再臨を見て喜び迎えます。主イエスをあがめ、ほめたたえるのです。感嘆の的になるのです。
私たちを造られた方を無視しないで。私たちのためにいのちをささげ、ずっと待っててくださっている主を無視しないで。その差し伸べられた手をしっかりと握り返し、ついて参りましょう。