東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱテサロニケ2章13-17節「初穂として召された者」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/09/08

Ⅱテサロニケ2章13-17節「初穂として召された者」

*** 9/8(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ2章13-17節「初穂として召された者」
 
前節までのところでは、不法の者とそれに対する神様の聖なるさばきについて語られていました。終わりの時には、キリストに反対し、自らをすべての神々にまさる神だと宣言するような不法の者が現れる。しかし、再臨のキリストによる神の聖なるさばきがあり、必ずキリストが勝利されるということでした。

それでもなお、先週申し上げたのですが、神様が望んでいることはさばきではなく、一人でも多くの人の救いなのです。

 この手紙の著者パウロも、それはよくわかっているでしょう。

1. 初穂として召された

 今日のみことばの13節冒頭では逆説の「しかし」で始まります。不法の者たちがいるけれども、「しかし」、あなたがたはそうではないですよね?と、テサロニケの兄姉が最後までキリスト者であり続けることを信じているというメッセージでしょう。

「主に愛されている兄弟たち」との呼びかけも印象的ですね。それはただ、受け身的に主に愛されているのではなく、主の愛を受け取った者たち、主の愛に応答して召されている者たちということだからです

13節後半では彼らの召しについてこうも語られています。
Ⅱテサロニケ2章13節後半
神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。

 新改訳2017年版では「初穂として救いに選ばれた」という訳を採用しています。

 以前の訳では「初めから救いに選ばれた」の方の読み方を採用していました。

 どちらも有力な訳で中々正解を出すのは簡単ではない気もします。
 それでも「初穂として」という意味にとった方が、前後の文脈を考えた時により自然な印象を私は受けるのです。

 例えば、15節の呼びかけへとつながるように思うのです。

Ⅱテサロニケ2章15節
ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。

 このテサロニケ地域、その周辺で最初に救われた初穂であるですから間違った教えなどに流されずに、堅くみことばに立って忠実に歩んで欲しい!そのように歩んでくれれば、これからこの地域に実りが広がっていくのだ期待して語っているように思うのです。

なお、「初穂」と訳されていることばは、第一人者、先駆者、あるいは統治者といった意味などもあります。この地域で先に救われた先駆者、リーダー的な存在として、後に続く者たちのためにしっかりと教えられた主のみことばに立ってくださいね!と期待しているのではないでしょうか。 

その前の14節でも、この地域の人々の救いのために、「そのために、神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました」と語っていると理解できます。人々の救いのために、「あなたがたが召されているのです」と目的を明確にしていると言えるでしょう。

 このことは、聖書全体においても主張されている大切な真理ですね。神はイスラエルの民を全人類の初穂にしようと選ばれ、彼らを通して神の福音が世界に広がるよう期待したのです。

 私たちが他の救われていない方々より、いくらか先に救っていただいたのは、私たちを通して皆さんに神様の栄光が現わされていくようにという召しなのです。

 不法の者たちが滅びの方向に旗を振る一方で、私たちキリストに召された初穂たちは、キリストの御旗をしっかりと掲げて、人々に知らせたいのです。後に続く実りのために旗振りをする役目をいただいているのです。

 では、先に救われた者としての尊い役目を豊かに果たさせていただくために、何が大切なのでしょうか。なんと語られているでしょう。


2. みおしえを堅く握りしめて歩む
 
 15節では「教えをしっかり守るように」とあります。
 原語には「堅く握りしめる」あるいは「忠実に保つ」といった意味があります。

 教えられたことに対して忠実に、またそれを最初だけでなく継続的に持ち続けることです。私は小学生の頃に体操教室に少し通っていました。と言っても1年か1年半ぐらいでしょうか。しかし、それによってマット運動、跳び箱、鉄棒等、色々な基本を教わりました。

 そして、もう教室をやめて、数年たった中学生の頃のことです。学校の体育の跳び箱の時に、先生から前方倒立回転跳び(ハンドスプリング)の模範演技をするように言われました。何度か私がやったのを見た先生がきれいにできていると思われたようです。

 恥ずかしくも嬉しい経験でした。でも、それは小学生の時に良い指導をいただいたということと、教わったことを体でしっかり覚えていて、保持できていたがゆえだと思うのです。

 私たちはあれこれ我流でやりたがる傾向もありますし、教わったその時だけで終わることも多いでしょう。でもそれに対して忠実に握りしめて歩んで行くという基本をしっかり抑えたいと思うのです。

 私たちはみことばを学んでもすぐに忘れることも多いと思います。なぜ、すぐに忘れてしまうのでしょうか。それは身についていないからです。頭に知識として入れたものは、短期記憶で終わってしまいます。一方、日々の生活の中でそれを生かし、実践して体に覚えさせると継続的に保持され、自分の血となり肉となって参ります。

  祈る習慣、みことばを味わい感謝する習慣、賛美する習慣、いつでも人への証しを考え歩んでいる習慣。良い習慣として実践されていくならば、長く保持されることになりますね。

 16-17節を味わいましょう。

Ⅱテサロニケ2章16-17節
どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように

 以前にも学びましたが、1章の11節で善を求める願いや信仰から出た働きを「実現させてくださいますように」との祈りがありました。良い思いや信仰から出る様々な計画がありますが、それを思うだけ、考えるだけで終わらず、実現していくように祈りささげていきましょうということでした。

 ここでも、17節で、神様によって心が慰められ強められることによって、あらゆる良いわざとことばに「進ませてくださいますように」との祈りがなされます。ちょうど礼拝でも「主の臨在の中での前進」ということで、教えられたところでした。

 初穂とされた私たちなです。

 皆さんの周囲に未信者が多くいらっしゃる。むしろ、そういう方が多い。その地域、その環境における初穂、先がけとして、神様がその地においておられるのです。ですので、この召しに感謝しつつ、でも、自分でやろうとして主を見失うとできませんから・・・、ここにあるように、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを、恵みによって与えてくださった神様が、私たちの心を十分に慰め、十分に強くしてくださり、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださることを期待したいと思います。

 最後に14節を改めて味わいましょう。
Ⅱテサロニケ2章14節
そのために神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました。

 私たちを初穂として、それを通して次々と良い実りが生まれるように主は期待して、切に願って、私たちを召して、このすばらしい恵みにあずからせてくださったのです。




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