東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱテサロニケ2章6-12節「不法の者と神の聖なるさばき」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/09/01

Ⅱテサロニケ2章6-12節「不法の者と神の聖なるさばき」

 *** 9/1(水)祈祷会 説教概略 ***

Ⅱテサロニケ2章6-12節「不法の者と神の聖なるさばき」

 本日開いているみことばでは、「不法の者」ということばがキーワードになっています。「不法の者」について、ここから分かることを教えられたいと思います。

 3節によれば「不法の者」=「滅びの子」と表現されていることがわかります。不法の者の直接的な意味は、「神のみおしえに反逆する者」です。神のみおしえに反逆してたどり着く所は「滅び」ですよね。ですから「滅びの子」とも呼ばれるわけです。

さて、続く4節では、この者は「自分こそ神であると宣言し、神の宮に座る」ことが語られています。実は今日のみことばの、9-10節でも「あらゆる力、偽りのしるしと不思議、あらゆる悪の欺きをもって」、滅びる者たちの上に君臨することが語られています。

これは歴史を振り返ると、似たような例が既に起こっていることにも気づきます。例えば、キリスト教を強く迫害したローマ帝国とその皇帝。彼らは、自分を神のようにして崇拝させました。ある意味十字軍もそうかも知れません。また、ナチスドイツ、共産主義の独裁的国家、戦時中の日本など。一部のリーダーや国家そのものを神格化し、それを崇拝するのを拒む者を弾圧した歴史がありますね。しかし、終わりの時には、もっと強大で顕著な形でそのような者が現れるということでしょう。

そして、本日のみことばに入りますが、6節以降、不法の者についてより詳しく語られていきます。
Ⅱテサロニケ2章6節
不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています

ここでは、不法の者は定められた時に出現する者であり、この手紙が書かれた当時はまだ、時ではないことが分かります。そのような意味でも、テサロニケの教会は浮足立つ必要はなく、冷静に見極めて落ち着いた信仰生活をしていれば良いことがわかりますよね。

ただし、7節では「不法の秘密」は働いているともあります。引き止められているために、今は水面下で動くことしかできていないということでしょう。「引き止めている者」とは何者なのか・・・ここは解釈が多くあります。なかなかはっきりと断言することは難しいですが、神の御霊の力やキリスト者の存在、祈りと宣教のわざなどのゆえに、サタンの働きがある程度抑えられているといったことが考えられます。

8節に目を向けましょう。

Ⅱテサロニケ2章8節
その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます

ここでは、その時になると、不法の者が満を持して現れ、しかし主イエス様の御口の息(みことばの力)来臨の輝きによって滅ぼされるとあります。現れるけれど、必ず滅ぼされるのです。セットでそのように理解するといいですね。恐れる必要はないと言うことです。

 そして、9-10節によれば、こうあります。

Ⅱテサロニケ2章9-10節
不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです

不法の者は、サタンの働きによって到来し、滅びる者たちの上に君臨します。ですから、不法の者が大々的に表舞台に立って働くのはキリストの再臨間近の時です。

ただ、それまでも秘密裏に暗躍していると語られます。それは具体的に一人の人間というよりも、広い意味で神に反逆する力や考え、そちら側の権力者たちのことでしょう。キリスト信仰が継承されてきているように、反キリスト的思想も継承され、いつの時代にも反逆し、偽りを教えて人を滅びに向かわせる存在があることは事実ですね。

ただ、終わりの時には、これらは明らかにキリストによって滅ぼされていくということです。先ほども申し上げましたが、確かに警戒は必要ですが、恐れる必要はありません。主がそれらに必ず勝利されるからです。

黙示録1911-16節、19-21節(主の勝利の様子) を開いてみましょう。

ここでは主イエス様と天の軍勢が悪の勢力を滅ぼす姿が語られています。
ここに登場する「獣」こそは、不法の者だと言えます。この獣は神に反逆する権力者たちを現しているからです。それは、イエス様ご自身もマタイ24:15で触れている「荒らす忌まわしいもの(第三版:荒らす憎むべきもの)」です。

先ほど触れた、ローマ帝国、ナチスドイツ、共産主義国家等の独裁国家は、まさに聖書の語る「獣」に該当する存在かも知れません。しかし、どのような国であっても、自己正当化し自身を神のようにして人を従わせる時に「獣」と化す危険があると言えるでしょう。私たちも自国、日本が独裁的な国家になっていないか、一部の指導者たちに誰も反対意見を言えないような社会になっていないか、いつも目を光らせ祈り備えている必要があるのではないでしょうか。

神様はこのような不法の者と、その仲間になる者たちに対して正しくおさばきになります。11-12節にこうあります。

Ⅱテサロニケ2章11-12節
11それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。
12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです

「惑わす力を送られ」というのは、神様が積極的にそうなさっているのではなく、惑わす者たちの働きを許容され、それさえ用いておられるということでしょう。

「舟の右側」という雑誌に「地獄について」という特集がされていました。あまり前向きなテーマとは言えないかも知れません。私も若干気が重い感じで読み始めました。「地獄」ということば自体は聖書にありませんので(※聖書では「ゲヘナ」というのが、一般の地獄に対応することばだと思います)、このことばが適切なのかという課題は常にあると思います。そこに色がつきすぎてしまっていて、理解を歪めてしまう原因になっているからです。それでも、「地獄」と一般に称される「さばきの結果=永遠の滅び」があることは確かです。

そして、CSルイスのことばが引用されていました。「地獄」ということばを指して、こう言ったそうです。「その言葉は、私たちにはいささか苛酷すぎるように思われます。」「ああ、しかし、言わない方がむしろ苛酷なのです。知っている者がこれを語るのを恐れるようになったために、むかしは人の心を浄化した悲しみが、今では至らずに人の心を苦しめるばかりになってしまった。」 

地獄ということばがすべてを悪くしているように思うのですが・・・そもそも神様の正義のさばきは、あらゆる悪しき物、おぞましい罪の力を浄化する力、正しい良いものです。ただ、罪の赦しを得ていない者、真っ黒なままではこの聖なる炎の前に滅びを意識させられるのです。けれど、それがあるからこそ、人は自分の罪の汚れ、その罪の重さを意識させられるという良い面も確かにあるのです。

この悪を野放しにしない神の聖さがあるからこそ、人は自分の汚れを意識させられ、その先の滅びを恐れ、神の救いの恵みを真摯に求めるという面が確かにあるのです。

もちろん、ことさらにさばきや地獄を強調して、脅すようなやり方には賛成できません。しかし、事実起こる神の聖なるさばきは、神の良きご性質から出ているものであり、この良きものを良きものとして受け取れるように、主は救い主イエス様とその十字架の恵みを与えてくださったのです。 

 受験勉強の折、塾の厳しい模擬試験や長時間に渡る難問のテストの連続は、当時の私にはさながら地獄のようでした。しかし、実はそれは本番の厳しい入試に合格するために非常に有益な機会だったわけです。つまりそれは「良きもの」として与えられていたのですが、勉強をあまりしていなかった私には悪いものに感じられたのです。良きものを良きものとして受け取るには、その意味を知る必要があります。救いの意味、罪の意味、滅びの意味、さばきの意味を正しく知ることが必要です。

 不法の者は、滅びの子です。自身を滅ぼし、周囲の人々を滅びへと誘う存在です。私たちは、このような滅びの子にならないように、また、人々がそこに誘われていかないように、主の愛、主の救いを伝え、教え、励まして参りたいと思います。神はご自身の聖なるさばきをお示しくださり、救いの道へと私たちを導いてくださるのです。

 ただ、神様の願いはいつでも、さばきを行うことではありません。それよりも、そのさばきに対して人が勝ち誇れる救いを誰もが得ることです。すべての人が滅びることなく、救いに招かれるようにと願うゆえに、神様は不法の者への聖なるさばきを啓示しておられるのです。


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