*** 9/15(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ3章1-5節「主のことばが広まるように」
パウロは最後に、テサロニケの兄姉に対して祈りの要請をしました。私たちのためにも祈ってくださいという要請です。パウロたちは、たとえ会えないとしても「祈りの交わり」を通して、お互いにつながっていることを知っていました。
私たちキリスト者は、たとえ遠く離れたところにあっても互いのために祈り合い、神さまを通してつながることができるのです。パウロはこの祈りの交わりを継続したいと願っているのです。1節の「祈ってください」とのことばは、現在形で書かれています。ギリシャ語の現在形には継続の意味があり「祈り続けてください」と訳しても良いと思われます。
「絶えず祈りなさい」と前の手紙で書いたパウロですから、祈り続けて欲しいとの訴えているのでしょう。
では、祈り続けて欲しいと要請しているその内容は何でしょうか。
「主のことばが広まるように」との祈りでした。
1. 主のことばが広まり、尊ばれるように
1節では「あなたがたのところと同じように速やかに」ということばを加えています。テサロニケの兄姉たちの宣教の歩みに励まされていたのでしょう。
実はパウロもまた、難しい局面に置かれていたと考えられます。彼らは今、コリントにおいて宣教をしていたのです。コリントという町は非常に栄えている町でしたが、道徳的には堕落した町であり、個々人の主張も強く、偶像礼拝や罪深い歩みが盛んで、そんなに素直にみことばが入る地域ではありませんでした。第一コリント2章3節をご覧ください。
第一コリント2章3節
あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
パウロは手紙でこう告白しています。コリントという繁栄していた町に圧倒されたのかも知れません。彼はコリント滞在時には、どうしたら伝えられるだろうかと葛藤し悩むという経験を通ったのです。苦労したからこそテサロニケで、迫害や暴動があるのに不思議とみことばがどんどん広まっている様子に、パウロは励まされていたのだと思います。
2. ひねくれた悪人から救い出されるように
2節の祈りのお願いは、パウロたちがひねくれた悪人どもから救い出されるように祈って欲しいということでした。「ひねくれた」ということばの元々の意味は、英語で「out of place」となります。「その場に合わない、不適切な」・・・そんな意味です。そこから「ひねくれた」という意味が派生しているのでしょう。
神のご計画に全く合わない、不適切な行動、それが神の目に罪深く悪いものであります。人の基準ではなく、神の基準において、場違いな的外れな歩みは、神の働きを妨げる悪しきものでしょう。
自分たちが守られることではなく、キリストの福音が正しく広まることを大事にしている姿勢なのです。守られるよう祈るにしても、保身のためにではなく、キリストの福音が伝えられるために、尊ばれるために、であることがわかります。
3. キリストのために苦しむ恵み
そして、そのままパウロのことばは、テサロニケ教会の兄姉たちの心が、神の愛とキリストの忍耐へ向かうようにと進んで行きます。4-5節です。
Ⅱテサロニケ3章4-5節
私たちが命じることを、あなたがたは実行していますし、これからも実行してくれると、私たちは主にあって確信しています。主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向けさせてくださいますように。
現に悪い人たちから妨害され、迫害を受けていたテサロニケのクリスチャンたちです。パウロは自分たちの困難のために祈って欲しいとの願いをした瞬間、彼らも同じように苦しんで戦っているのだとの思いに戻って来たことでしょう。
ピリピ1章29節
あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
キリストのために苦しむことも、恵みとして私たちはいただいているのです。あまり喜ばしくないと思われるかも知れません。でも、苦しい学びや訓練が豊かな実りを生むように、福音のために私たちが労し、時に涙しながら種をまくとき、主はそこに豊かな実りをもって応えてくださるのです。コロナ下で伝道のためにも頭を悩ませ、苦闘します。でも、その苦闘はキリストの苦しみとして主から授かった恵みです。それは豊かな実りに至るための恵みの道だからです。