*** 9/29(水)祈祷会 説教概略 ***
Ⅱテサロニケ3章14-18節「主との交わりにある平安へ」
いよいよ2つのテサロニケ人への手紙の終わりとなりました。続けて学んできますと、少しばかり離れがたい気持ちにもなるのは不思議です。
さて、今日のみことばでは、手紙に記された「主のみこころ(主のみおしえ)」を大事にすること、主とともにある平安を持つことについて語られています。
どんな時にも平和な心で、平安をいただいて歩みたいと私たちは思います。
聖書にはその道が明確に語られているのです。結局、最後は、主とともにあることこそ、平安を与えられる道です。ご一緒に教えられましょう。
1. 神に従わない者との関わり方
14-15節です。
Ⅱテサロニケ3章14節
もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。
ただし、文脈を無視して「交際しないように」との部分ばかりを強調すると、まさに異端が生まれます。みことばに従わない人とは「一切交際しない」となれば、かなり極端な排他主義になってしまいます。
そもそも「交際」と訳されていることばは、英語では「Mix」で「混ぜ合わせる」という意味が本来のものです。そこから、「密接に親しく交わる」という意図が生まれています。ですから、一切交際しないようにと言っているのではなく、悪い影響を受けてしまうような親密な交流を避けよということです。その価値観に交じり合わないよう、適切な距離(これこそソーシャルディスタンス)を保つということ。
現代でも異端的な集会や大会に誘われるということがあります。
やはりそういうものには注意して、距離を置くことが賢い対応です。なぜなら、その人の立ち位置が主のおられるところから、遠いからです。神様から遠いところに立っている人が、「こっちにいいものがあるよ!」と言って、どれどれ?とそこに向かうなら、どうなるでしょうか。あなた自身も神様から遠ざかってしまいますよね。それは避け、むしろ神様の近くにいらっしゃる方の招きの声に耳を傾けましょう。
Ⅱテサロニケ3章15節
しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。
毅然とした対応さえ、愛のうちになすべきだということです。
決して、その人を敵と見なしてはいけません。
それどころか、かえって兄弟として愛をもって諭して差し上げるのだということです。諭すというのは、上から目線で教えるのではなく、丁寧に根拠をもって、相手がわかるように説き明かすことです。その努力もせずに、交流をしない!というのは違いますね。
ですから、もう一度確認すると、みことばから離れて過ちに陥り、他の人に対して良くない影響を与えてこようとしてくる人には、その価値観に交じり合わないよう、適切な距離で付き合うということ。決して一切交際しないという話ではなく、敵ではなく兄弟として受けとめ、この人が正しい教えに戻れるように諭していくのです。
2. 主にある平安
Ⅱテサロニケ3章16節
どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。
「どんな時にも、どんな場合にも、主が平和を与えてくださるように」
18 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。