東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: アモス書1章1-2節「アモス書を知る」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/10/06

アモス書1章1-2節「アモス書を知る」

*** 10/6(水)祈祷会 説教概略 ***

アモス書1章1-2節「アモス書を知る」


1. 著者

 
 テコアの牧者(羊飼い)アモス。
 テコアはエルサレムの20キロほど南に位置する小さな町。
(下の地図、四角で囲まれたところ)

 


 アモスは預言者でもなく、預言者の子でもなかった。
 祭司でもなく教師でもなく、ひとりの羊飼いに過ぎなかった。
  


2. 時代背景

 
 アモスが活躍した時代は紀元前760年頃~。
 活動期間はそれほど長くなく、760755年のうちに数年、短かければ1年ぐらい?

 

(1)ユダの王ウジヤ、イスラエルのヨアシュの子ヤロブアム二世の治世(1節)

(2)「あの地震」の二年前に彼が見た幻(1節)

 「あの地震」とは、ウジヤ王時代にあった大きな地震。ゼカリヤ書14:5には「ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように・・・」とある。避難生活を余儀なくされるほどの大きな地震で、有名な地震であったので「あの地震」と表記したり、回顧する際に引き合いに出されたのだろう。 

年代順に預言書を並べるとするならば、実はどの大預言書、小預言書よりも早く、最初に並べられるのがアモス書、ホセア書になる。ホセアは近い時代に活躍したので、二人はお互いを知っていただろう。そして、アモスの働きが終わりに近づいた頃、イザヤやミカといった預言者が活躍するようになる。そういう意味では、アモスの働きは後の預言者たちに影響を与えた可能性が十分ある。

 

3. 目的、概要
 
 テコア出身という事実が示すように、アモスはユダ王国の牧者であった。それにもかかわらず、その幻の内容は北イスラエル王国のことであった。実はこの時代は、アッシリアの力があまり強くなく、ソロモン時代に匹敵するほど南北イスラエルは力を持っていた時代で、繁栄の絶頂期であったと言える。ゆえに、自分たちの国が滅亡に近づいているという真実をほとんど想像することはできなかった。実に、このような時こそ危険であることは歴史が証明している。ところが、そのような絶頂期から30年もしないうちに、北イスラエルはアッシリアの手に落ちてしまう。それに続いて南ユダもバビロニアに滅ぼされていく。人の繁栄の儚さ、むなしさを改めて教えられる。

 神は、このような危険が迫っていることを伝え、悔い改めに導くためにテコアの牧者アモスを遣わしたのである。ホセアも同様であった。しかし、絶頂期にいる人間は他の人のことばに耳を傾けない・・・。私たちもこの点を心していなければいけない。




4.神の愛の叫び 

 
1-2節

1節 「テコア出身の牧者の一人であったアモスのことば」

神様は色々な立場の人を選び、用いておられることが非常に興味深いことです。年齢も時代もバラバラの人々が召されて、同じ主の働きをしている。アブラハムは75歳で主の示す地への旅を求められました。預言者サムエルは、少年の頃にその召しを受けて訓練されました。エレミヤは20歳ごろの若い青年時代に召しを受け、「まだ若いと言うな」と神様からおことばをいただきました。

聖書記者においても、王もいれば、学者・祭司もいるし、献酌官もいれば、漁師や医者、天幕職人もいました。そして羊飼いまでいるわけです。ダビデ王もごく普通の羊飼いに過ぎませんでしたが、主の召しによって王に抜擢されました。彼は神様を心から愛して従ったので、本当に豊かな祝福を受け、王国は盤石となりましたね。この書の著者アモスも、何ら預言者や祭司の家系でもなかった羊飼でしたが、不思議に神様が召し出し、滅びと捕囚に向かっていく時代の預言者の先駆けとなりました。

そういう意味で考えさせられるのは、様々な身分、世代、時代の違いを超えて、なお一貫性をもって美しく調和している主のわざは、まさに奇跡そのものであると言えます。聖書を記すにしても、働きがなされるにしても、神様ご自身がその主権者であり、私たちはその「しもべ」に過ぎないのだと教えられます。

 なお、この1節の最後に「彼が見た幻である」と語られます。しかし、実際の原語では「幻」ということばはなく、補って訳しています。文法上は、「彼が見たことば」と言う風につながります。それが少しわかりにくいので、「彼が見た幻」すなわち、それが「アモスのことば」であると表現しているのです。ちなみに、「ことば」を現わす「ダバール」というヘブル語には、出来事という意味もあります。彼が主によって見させられた出来事、すなわち幻をことばとしてここに記すということでしょう。

 

2節 アモスはこのように言います。 アモスのメッセージの土台?

「主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。」

 ここは、二行詩と言いまして、「主はシオンからほえ」が1行目、「エルサレムから声をあげられる」が2行目になります。この2行が対(セット)になっていまして、シオン=エルサレムという意味であり、ほえる=声をあげられるとなります。

 2行で1セットにすることで、表現に厚み、意味に深みを持たせるものです。神様がイスラエルの将来を憂えて、心配して、叫ぶように訴えておられるということです。アモスが神様から受け取ったメッセージは、甘いものではなく、絶頂期で調子に乗っているイスラエルに対する深刻な警告、必死な愛の叫びでありました。

 後半も同じように、「羊飼いの牧場は渇き」が1行目、「カルメルの頂は枯れる」が2行目となり、この2行がやはりセットになっています。今の時点では想像さえできなくとも、近いうちに北のイスラエル王国は「渇き、枯れる」というわけです。

 つまり、いのちを失う。滅びていくというメッセージです。主はもちろん、そうしたいのではなく、このままだとそうなる・・・だから、そうならないよう願うのです。悔い改めて、神に立ち返るようにという愛のメッセージでした。

 先ほど触れましたが、絶頂期にいる人間は他の人のことばに耳を傾けない(もちろん神のことばにも)。こういう現実が少なからずあるものです。

 日本も高度成長期、バブル期には、将来の行き詰まりは想像できなかったことでしょう。調子に乗り、将来の危機への備えができませんでした

 それは個人レベルでも同様でしょう。私たちにはピンと来ない、そのような先回りしての主のおことばがあります。でも、大切なことは、わからなくても心に留めておくことです。処女マリアが最初よくわからなかったなりに、心に留めて思い巡らしていたように。私たちも主のことばに対しては、今わからなくても信じて心に留めておくことが、危機への最高の備えになるでしょう。


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