東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: アモス書4章12-13節「神に会う備えをせよ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/11/29

アモス書4章12-13節「神に会う備えをせよ」

*** 11/28(日)アドベント第一主日 礼拝説教概略 ***

アモス書4章12-13節「神に会う備えをせよ」

 先日、人生で初めて「遺書」を書きました。正式なものではなく、どちらかと言うと家族への手紙です。ワクチンの接種の時に、万が一のことがあってはと・・・書きました。過去にアナフィラキシーもありましたし、何が起こるかわからないので書いた次第です。

 ある本の中で、神様は私たちのことをこんな風に見ているんじゃないか?とありました。それは「人は、まるで死なない者であるかのように生きている。そして、まるで生きていなかったかのようにして死んでいく」と。

 心当たり非常にあります。何の根拠もないのですけど、5年後、10年後生きていると思っている私がいるのです。人は不老不死ではないのに、そんな可能性はゼロであるかのように生きてしまう。後半の「まるで生きていなかったかのように死ぬ」とのことばは、私にある女性宣教師のことばを思い出させました。「イエス様を信じる前の私は生ける屍だった」と。本来の人としての喜びを味わって生きていない、抜け殻のような人生ということでしょうか。

 今回、コロナウイルスの問題、ワクチンの接種などを通して、本当に考えさせられました。自分のことももちろんですが、親、兄弟、子どもたち、親戚、知人のこと。心配な人が多くいます。お祝いムードのクリスマスという季節ですが、やはり皆さんに「神様に会う用意はできていますか」と、クリスマスメッセージを送りたいのです。

神に会う備え、しませんか?



1. 神に会う備えをせよ

 本日、開いているアモス書は祈祷会でも学んでいる最中です。これはイスラエルの国が絶頂期を迎えていた時代に書かれました。国が強くなり、お金持ちになり、格差が広がり、物やお金が自分たちを幸せにしてくれると思い込んでいる社会になっていました。

着る物も食べ物も家族もいのちも神様が愛を込めて与えてくださったものなのに、感謝を忘れて罪の中に生きていたのです。神のみことばは無視され、弱い者はしいたげられ、愛が失われていました。

そのような時に預言者アモスを通して、イスラエルの罪とそれに対するさばきをお告げになり、悔い改めを促されたのです。

12節 それゆえイスラエルよ、わたしはあなたにこのようにする。

わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」

 神様は悪を野放しにはされず、正義をもってさばかれます。

 その日が近づいているが「備えはあるのか?」と問われているのです。

 そして、歴史が物語っていますが、イエスラエルは実際に滅びてしまいました。だからこそ、私たち現代を生きる者に、歴史的な真実をもってみことばは語りかけるのです。

「神様にきちんとお会いできる準備をするように」と。

 世の終わりが必ず来ることを聖書は語ります。思いがけない日に来ると教えてくれています。私たちの人生の終わりも同様です。だから、このことばを軽んじないで、真摯に向き合い備えをせよと語りかけてくれるのです。

では、私たちが会う備えをすべき神様は一体どのようなお方なのでしょうか?13節です。

13節 見よ、山々を形造り、風を創造した方。その御思いが何であるかを人間に告げる方。暁と暗闇を造り、地の高き所を歩まれる方。その名は万軍の神、主。 

 山々や風、つまり大自然を造られた方。また、暁と暗闇ですから、光と闇、昼と夜を造られた方。それは地球全体を超え、昼の太陽、夜の月も含め、宇宙をも支配しておられることを示唆します。全知全能の神、いのちを始め、いのちを終わらせる権能を持つお方です。

 私は全知全能の神と聞いた時、正直最初は怖いと思いました。何でも知られている・・・え?あのことも?あれもこれも?心の中で思ったことも全部?恐いと。 

 ところが、神様は私たちの想像を絶するほど優しく心が大きく寛容な方です。私たちの心の闇のすべてを知り尽くして尚、わたしはあなたを愛している。わたしのもとに来なさいと包んでくださるお方なのです。

 この13節をよく読むと、さりげなく語られている優しさに気づきます。13節の真ん中に「その御思いが何であるかを人間に告げる方」とありますよね? 宇宙の星々まで造られた神様が、とても小さな地球という星の、その中で見えないぐらい小さな私たちに目を留めて「その心のうちを教えてくれる」と言うのです。

 私たちは仲良しの友人にさえ、心の奥のことをそうそう言えないですよね。でも神様は、偉大な方なのにその思いが何か、何を考えているのか、これから何をなさるのか。人に隠さず教えてくれると言うのです。人への愛とやさしさで満ちています。その神様の心にある一番のことは、「神に喜んでお会いできる備えをしておきなさい」ということです。


2.イエス様を心にお迎えしよう

 
 神にお会いする備えとは、何はなくても、救い主イエス様を心にお迎えすることです。

ヨハネ3:16にこうあります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 これ、神様のお心です。一人として滅びて欲しくない。

 永遠のいのちを持つためである。永遠のいのちというのは「今の苦しみの日々が永遠だよ」ではなく、神様の無償の愛から永遠に切り離されることが決してありませんよ!ということです。ずっと神様が味方でいて、守っていてくれて、助けてくれて・・・これに終わりは来ませんよ!ということです。

 神様は御思いを教えてくれていますから、罪が何であるかも教えておられます。

 同じ4章で何度も繰り返されていることばがあるのです。少し前のところですが、46節の後半に「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった」とあります。さらに、8節の終わりにも、全く同じように「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった」と。9節の終わりにも、10節の終わりにも、11節の終わりに、全く同じことばが繰り返されています。

 質問です。同じことばが繰り返されているのは、なぜでしょうか?人間の心に響いて欲しいからです。伝えたいからです。神様のもとに来ようとしないことを神様は一番嘆いているのです。一番悲しんでいる罪なのです。ウソや盗みや憎むこと、悪口を言うことも悪い罪です。それよりもずっと、ごめんなさいをしないこと。つまり悔い改めて神に立ち返らないことこそが最大の罪です。なぜなら、ご自分のもとに来ようとしない者を救いようがないからです。

 おぼれている者に手をさし出す。さあ捕まってと。でも、それを拒んで手を掴まない者を助けることはできませんよね。最低限、私たちは神様の救いを受け取る!その手をにぎり返すことだけはする必要があるのです。それがイエス様を信じるということです。

 でも、イエス様を信じて心にお迎えするだけで大丈夫です。なぜなら、神様の方で、準備のすべてを整えてくださったからです。「神に会う備えをせよ」というタイトルですが、実は備えのほとんどをされたのは神様の側なのです。それがクリスマスです。

神様と私たちの間にある、罪の汚れという溝。そこに橋をかけるため、神の子イエス様が来られたのです。私たちと神様との交わりを妨げる罪を除くために、十字架にかかってさばき受けるためでした。たとえ多くの罪が山のようにあってさえも、「ごめんなさい」と悔い改めて神様のもとに帰るならば赦されるのです。自分の罪の身代わりになってくださった十字架のイエス様のもとに帰ってくるならば救われます。これだけは一番にすべき神に会う備えです。

 

3.隣人への愛をまっとうしよう 
 
 そして、既にイエス様を心から信じて準備万端です!という方に、もう一つぜひ大事にして欲しいと神様が願っている御思いをお伝えして終わりたいと思います。

 神とお会いする準備の第2のSTEPは、隣人への愛をまっとうすることです。

イスラエルの民への神様の怒りの原因には、隣人への愛を失っていたことにありました。弱者を苦しめ、困っている者に手を貸さず、愛すべき者を愛さない。神様はご自分への愛と同じように、隣人への愛を私たちに大事にして欲しいのです。それゆえに、私たちが最も後悔することは、「愛さなかった」ことなのです。誰かを失った時、なぜもっと優しくしてあげなかったのか。後悔する事が一番多いのではないでしょうか。

この「後悔」ということばは、「後になって悔いる」と書きますよね。しかし、聖書は、後になって悔いるのではなく、今、悔いて改めちゃいなさいと教えてくれるのです。今悔いて改めたら後悔しなくていい。先延ばしにして、後になって悔いる場合、どうにもできなくて、それが私たちの苦しみの根になってしまいがちです。ですから、今、できる時に悔い改めなさいと。明日があるさ、いつかできるさ。

この発想こそが、最初に紹介したことば「まるで死なない者であるかのように生きている。そして、まるで生きていなかったかのようにして死んでいく」に当てはまりますよね。まるで死なない者であるかのように思っているので、「いつかできるさ」と先延ばしし、できずに終わり後悔します。同時に、大切なことを先に延ばし、消えて無くなるむなしいことに心をささげてしまうので、生きていなかったかのように死を迎えてしまうのです。

 

自分の人生が終わるだけでなく、私たちの周囲の人の人生もまたいつ終わるかわからないのです。「ありがとう」の一言を伝えられずに終わるとしたらなんと悲しいことでしょう。「ごめんね」の一言をいつかと思ううちに、伝えられないとしたらなんと悲しいことでしょう。大切なことをやり残さないように生きる。それは私たちが思うよりずっとシンプルな道です。

ルカの福音書1216-21節に、イエス様のたとえ話があります。そこでは大金持ちが財産をしまう倉庫のことで悩んでいます。どうしよう。入らない。もっと大きな倉庫にしよう!そして、これから先何年も飲んで食って楽しもう!と。しかし、神様から言われるのです。「愚か者、お前のたましいは今夜取り去られるのだ。お前の用意したものは一体誰のものになるのか」と。

 自分のために蓄え、神の前に富むことを学ばない者はこのようなむなしい歩みをするのだとイエス様は説き明かされます。自分のために生きる人生はこういう結末を迎えます。

 神の前に富む人とは、イエス様を信じて神に喜んで会える備えがある人です。その人はむなしく生きることがありません。神と人のために生きることができ、決して無くならない天国貯金ができる人です。イエス様を信じ、隣人への愛をまっとうし、良き備えをもって歩みましょう。 




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