東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ルカの福音書1章35~45節 「信仰の友と味わうクリスマス」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2021/12/08

ルカの福音書1章35~45節 「信仰の友と味わうクリスマス」

*** 12/8(水)祈祷会 説教概略 ***

ルカの福音書1:35~45 「信仰の友と味わうクリスマス」


 ここ10年ぐらいの国際情勢を見る時に、国や民族における分断や対立という課題があるかと思います。さらにコロナウイルスの蔓延によって、孤立・孤独という課題が増し加わりました。しかし、そのような社会にあって、キリストの教会こそは神の愛によって一人一人が結び合わされる場でありたいと思うのです。私たちはこの世界において交わりの良きモデルでありたいと願います。みことばを通して「信仰の友と味わうクリスマス」というテーマで語られて参りましょう。

今日の場面はマリアが受胎告知を受け、マリアも戸惑って「どうしてそんなことが起こるでしょうか?私は男性を知りませんのに」と応答した続きになります。戸惑っているマリアに対して、天使が答えたのが35節以下でした。

ルカの福音書1章35-37節
35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます
36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは何もありません。」

まず、人間の力ではなく神の聖霊があなたを包むので、この不思議なことが起こるのだと説明してくれました。神の力によるのです。そして、それゆえに、生まれて来る子も、聖なる者、神の子と呼ばれるのだと。これが救い主イエス様ですね。

次に、36節になりますが、天使はマリアの信仰を励まそうと助言してくれました。あなた一人ではないのですよ!少し先を歩く信仰の友がいますと教えるのです。それは親戚のエリサベツでした。

エリサベツの場合は不妊症であったとことに加え、もう年を取っていて子を望める状態ではありませんでした。しかし、そのエリサベツもまた、神のみわざによって男の子を宿していると言うのです。不妊と言われていたのに妊娠6か月なのだと言います。マリアもこれを聞いて驚いたことでしょう。そして、同時にとても力づけられたのではないでしょうか。「自分だけではない。親戚のエリサベツにも不思議な神のみわざが起こっており、一緒にこの事を分かち合える!」これは大きかったことでしょう。


そして、最後に御使いはこう締めくくります。

「神にとって不可能なことは何もありません」


これらの天使の説き明かし、励ましによって、マリアは強められ、受け止めていこうと思い始めたことでしょう。38節に彼女の応答のことばが記されています。

ルカの福音書1章38節
マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。 

 まだ分からないことだらけだったと思いますが、「あなたのおことばどおり、この身になりますように」と応答しました。私たちも先のことが分からない時でも、主の真実なおことばに信頼して、従っていくという信仰を大事にしていきたいですね。

 ただし、その背景には天使による励ましがありました。神に不可能なことはなく、その力が今あなたに起こっているのだから大丈夫。そして、あなただけでなく、あなたの身近な人にもみわざは起こって来ている、仲間がいるのだから大丈夫だと教えられたのです。

 

 マリアはこれに賢く対応しました。天使が教えてくれたのだから、ザカリヤとエリサベツ夫妻のところに行って、話を聞いてみようと思ったのでしょう。彼女は39節にあるように、急いで彼らのところに向かいました。 

ルカの福音書1章39節
それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。 

 孤独は人を滅ぼし、交わりは人を生かす。私は常にそう思っています。

 もちろん一人になりたい時もあっていいのです。ただ、一人ぼっちで歩むことは、あらゆる面で人を弱くします。

 神様は人が一人でいるのは良くないと言われたのですから。二人は一人よりも優っていると伝道者の書でも語られていますよね。

 マリアは天使が教えてくれたことばを素直に受け入れ、エリサベツのもとを訪れたのです。そして、彼女たちは意気投合し、これから三ヶ月もの間、エリサベツらと共に過ごしました。これは56節に記されていますね。

そして、この3ヶ月は、二人にとってとても貴重で強められる良き交わりなったことでしょう。不安や恐れを共有し、祈り合ったことでしょう。同時に、一緒にクリスマスの恵みを味わい救い主への期待と喜びを増し加えたことでしょう。

マリアがあいさつした時、エリサベツのお腹の中の赤ちゃん、これがイエス様の道備えをするバプテスマのヨハネですが、この子が胎内で喜び躍ったのです。エリサベツはそれを胎内で感じ、主の聖霊の導きによってマリアを祝福しました。

42節~45節にエリサベツのことばがあります。

ルカの福音書1章42-45節
42「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」

 大変なことになっちゃったわよね・・・なんで私たちなのかしら。困ったわね・・・

 そういった否定的なものではなく、これは喜びなのです!幸せなのだ!一緒に信じていきましょう!という励ましのことばでした。

 聖霊に満たされる時、人は神の恵みやその圧倒的な力に目を向けることができます。肉の性質はどうしても暗い闇を見てしまいますが、聖霊は光へと私たちの心を導いてくれるのです。

 この交わりがクリスマスへの「備えの期間」となったのです。誰も経験したことがないような特別な出産ですから、エリサベツという奇跡でみごもった仲間があり、互いに励まし合うことができたのも主の優しさであったと言えるでしょう。来聖日の礼拝でお話しますが、エリサベツの夫のザカリヤもまた、一緒になって主の恵みを分かち合う仲間となったことでしょう。

 マリアは純粋な信仰を持った素晴らしい人でした。しかし、同時にまだ若い未熟な一人の人間に過ぎません。驚き戸惑い、最初は信じがたいとさえ思ったのです。でも、その周りに、主が遣わした支え人がいてくれました。

 夫になるヨセフはもちろんのこと、ザカリヤとエリサベツという親類夫婦の存在がマリアを支えました。信仰の先輩でもあり、この不思議な出来事においても先を歩いていた夫婦です。実は、マリアの産後においても、主は人々を遣わしましたね。羊飼い、博士、シメオン、アンナと次々と主を信じる者、主に導かれる兄弟姉妹を遣わし、励まし助けてくれたのです。この交わりを通して彼らはクリスマスを主の大いなる恵みとして味わうことができたのではないでしょうか。

私たちもここから教えられるのではないでしょうか。孤独は信仰を弱らせ、交わりは信仰を強めます。今、それぞれの歩みに起こっている「神の恵み」「神のみわざ」を、信仰の仲間と分かち合って歩んで参りたいと思うのです。

主が、そのような仲間、信仰の友を備えておられるからです。年齢は関係あるでしょうか?マリアの年齢はおそらく10代、女子高生ぐらい。ザカリヤとエリサベツはマリアから見たらおじいちゃん、おばあちゃん世代。でも、その年齢差に関係なく、同じ主を信じる信仰の友として励まし合えたのです。私たちもそうできるのではないでしょうか。不安や恐れに支配されることから守られ、主の恵みに目を注ぎそこに喜びを見いだせたのです。

 クリスマス奉仕やそこにある苦労も、またそこにある喜びも、私たちは分かち合いながら一緒に歩みましょう。主のからだに属する神の家族なのですから、重荷も喜びも感動も一緒に味わい、励まし合っていこうではありませんか。クリスマスはひとりで祝うものではなく、主を信じる仲間とともに味わい楽しむものなのですから。 




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