東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ヨシュア記2章「異教世界の女性だったラハブ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2022/06/15

ヨシュア記2章「異教世界の女性だったラハブ」

*** 6/15(水)祈祷会 説教概略 ***
ヨシュア記2章、マタイ15節「異教世界の女性だったラハブ」

ヨシュア記21 ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。 

 ヨシュアは2人の人をエリコの町に派遣しました。彼らは身を隠すためにラハブという遊女の家に滞在しました。ところが、彼らのことはすぐにカナン人たちに知られてしまいます。2節によれば、この侵入者を探しに来る者たちがいたことが分かります。

ただ、この時、ラハブは彼らに事実を話しませんでした。
4-5節で、その人たちは来たけれど、何者か知らなかったし、彼らは暗くなったら出て行きましたと「偽りの情報」を与えているのが分かります
彼女は屋上に2人をかくまっていたのです。
この後、ラハブは神の民に加えられていきますが、いったいどのような人なのでしょうか。

 

1.彼女はウソを用いたけれど・・・?

 まず、彼女はウソの情報でイスラエルの偵察隊を助けましたが、まじめなクリスチャンはその点に引っかかるかも知れません。確かにウソ自体は良いことではないでしょう。

 ただ一方で、これが、当時、彼女の考えつく方法の限界だったとも言えるでしょう。長い間異教世界で生きて来た。また遊女(娼婦)として生きている以上、かなり複雑な事情もあったのかも知れません。生きていくために仕方なくということもあったのでしょう。

 そういう中で、それでも神の民への敬意をもって、彼らを守るべきだと考え、彼女なりの方法を取ったと言えるでしょう。神にすがるために必死だったのでしょう。

 確かにウソという意味では、最良の方法とは言えないでしょう。ただ、神様はこの時に彼女がウソをついたからダメだとはおっしゃっていません。この点を問題にしていないのです。それは彼女の取った方法ではなく、その心を見ていたからでしょう。

 少なくとも彼女は二人の命を守ろうと、また争いを避けようと、彼女なりの最善を尽くしたのでしょう。それを主は事細かにダメだと、杓子定規な考えでさばかれないお方であることを思い知らされます。

 彼女が神を恐れ、自分の身を危険にさらしてまでその民を守ろうと必死だったことを主はご存知なのです。

 私たちも、いつでも正しい最善の判断ができるわけではありません。未熟さのゆえに、後に振り返ってみると、もっと良い方法があったかもしれないと気づくこともあります。コロナ下における様々な対応も、未だにあれで良かったのだろうか?と正解がわからないことも多くあります。

 それでも、主は心を見ていてくださることは何と嬉しいことでしょうか。

 「結果がすべて」という厳しい世界もこの世にはあります。でも、その目に見える結果の背後には、実際には様々な事情、様々な真実が隠れているものなのです。私たちはそれが見えずに安易にさばく弱さを持ちますが、そこで主に目を向けたいと思われます。

 

2.救いを求めるラハブ 
 
 9-13節に、イスラエルの偵察隊2人に言った彼女のことばがあります。なぜ、かくまってくれたのか。その理由が明らかになります。それは、あなたがたの信じる神様が本当に力ある神様だと彼女が考えているからだということです。

 自分だけでなく、この地の住民は実は、あなたがたの神様がなさったことを聞いて、震えあがってさえいる。私は少なくとも、歯向かうつもりなどないと。それどころか、助けて差し上げたのだから、私と家族とをどうか守って欲しいと助けを求めています。

13節のことばでは、「私たちのいのちを死から救い出してください」とまで言っています。

 神様が本物で、救い出す力があると彼女なりに信じていることが分かります。もちろん正しい知識もあまりないでしょう。ただ、この世界を治める力ある真の神がいらっしゃるということは、異邦人であろうと認めることも、求めることもできるのです。彼女はこうして、彼らを説得しました。二人は彼女のことばを受け入れて、約束をします。

18 見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。 

 赤いヒモを渡され、家族をみな集め、窓のところにこれを目印として結び付けておくように言われました。赤いヒモはさながら、過ぎ越しの子羊の血、キリストの血潮を想起させますね。その暗示であるとまで言い切れるか分かりませんが、彼女は言うとおりにすることで、イスラエル民から攻撃されることなく、その家族とともに救出されるのです。

 

3.神の不思議な救い
 
ラハブという女性は、聖書の中でもかなり特殊な立ち位置にあると言えるでしょう。異教の世界の女性であり、また「遊女(娼婦)」という立場は、決して胸を張れるものではありませんでした。ところが、聖書はその事実を隠そうともせず、むしろ、彼女がこの民に加えられたことを肯定さえしているように見えます。

驚くべきことは、この女性がユダ部族の人と結婚し、イエス様の先祖となっていくことです。きっすいのユダヤ人ではなく、カナン人の女性。しかも、遊女という職にあった女性が、イエス様の先祖に名を連ねるのですから驚きです。

マタイの福音書15節はその証拠となっています。マタイを読み始めると初っ端から系図でつまずくと言われますが、この系図に、こんなにも素晴らしい真理が込められているのです。ラハブは確かにそこに名が刻まれています。

 ここに神様のすばらしい「救いのご計画」を見ることができます。新約の時代ではなく、この旧約の時代に、異教世界で長く生きてきた遊女、罪深い歩みをしてきた女性が、主を信じて神の民に加えられたのです。

 彼女だけでなく、彼女のこの信仰の決断ゆえに、その家族、親戚にまで救いが及んでいることは励ましです。さらに、彼女はイエス様の先祖の血筋という立場に置かれます。なんという神様の摂理でしょうか。

 この真実が、より多くの人を神の救いへと招いてきたことでしょう。どんな立場の人でも、どんな歩みをしてきた人でも、立ち返って主を信じるのならば、その救いの恵みにあずかることができるのだと教えられます。そしてまた、どんな背景を持っていようとも、主とともに生きるのならば、用いられて行くことが分かります。

 彼女がイエス様の系図の一員になったことだけでなく、彼女の息子があのボアズであることも興味深いことです。

 ボアズという人は、ルツ記に登場しますが、未亡人となったルツ(彼女もモアブ人という異邦人の女性)とその義理の母ナオミを引き受け、親切かつ誠実な人間であることが分かります。

 ラハブは異教世界で育った人だから、「神の民の生き方に馴染めなかった」と言う批判は当たらないでしょう。むしろ、息子のボアズについての聖書の記述を知れば、ラハブが神の民の教えをしっかりと学び、変えられて行き、良い教育を子になしたとさえ言えるのではないでしょうか。さらには、モアブ人であろうと関係なくルツを優しく受け入れた点も、母親が異邦人だったゆえに、その苦労を見て来たからかも知れません。

 私は大学生の頃に信仰を持ったので、幼い頃から教会に通っているクリスチャンホームの方たちとは違います。信じた初めの頃は、彼らに対してやや劣等感を持っていました。小学生の子どもたちにも聖書知識で劣るのですから。しみついた価値観を持たないのですから。

 けれども、主の救いのご計画は最善であるということに気づかされてきました。何歳であろうとも、そこから主に立ち返り用いられて行けるのです。

 それどころか、「後の者が先になる」と主イエス様がおっしゃるように、パウロのような後から使徒に加わった者が、存分に用いられていくのが主の不思議なみわざです。

 ラハブもその一人でしょう。神の民の価値観を知らずに罪の中に生きてきた。けれども、その人が主の系図に加えられるという神のみわざ。そして、彼女のその信仰の一歩が、彼女の家族たちをも救っていったのです。



教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *