聖書人物シリーズ、本日は「女預言者デボラ」です。
少し当時の時代背景を確認しましょう。この士師記の時代は、不安定な時代でした。正確な数字は正直わかりません。紀元前1400~1100年前後ごろの時代と考えられます。それはヨシュアの死後からサムエル登場までの時代。モーセ、ヨシュアの後は、際立った指導者が立たず、混乱の時代となっていきました。カナン全土をこの民が治めることが主の御心でしたが、彼らの不信仰があって思うようにいきませんでした。
悪くなっては民が神様に叫び、それで指導者が召されて立て直し、落ち着く。しかし、また主の前に悪を行い、悪化していき・・・また叫び、指導者が立ちといった繰り返しです。それで、しばしば「暗黒時代」という表現もなされます。
ただし、そんな中でも、この時代には12人もの士師と呼ばれる「さばき司(信仰の指導者)」たちが登場し、彼らが代わるがわるイスラエルを治めました。士師記という書の名前は、この士師たちの活躍が語られていることによります。
そして、少なくとも、士師たちが治めていた時代は、それなりに落ち着き、平和な時代であったと言えます。実際には、彼らの治めた時代が300年ほどあり、それ以外の期間は100年程度であったと思われます。霊的暗黒の時代と良いリーダーによる平穏な時代が交互にあったという状況です。
女預言者デボラが用いられた時代も、1節にあるように、主の目に悪であることを重ね、カナンの王ヤビンの圧政のもとにありました。この時代、カナンにはシセラという将軍がいました。民がこのような厳しい状況で主に叫び求めると、そこに主によってエフライム族出身の女預言者デボラが立てられ、用いられたのです。彼女は12人の士師の一人でした。
4-5節を読みましょう。
4節
ラピドテの妻で女預言者のデボラが、そのころイスラエルをさばいていた。
5節
彼女は、エフライムの山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめ椰子の木の下に座し、イスラエルの子らは、さばきを求めて彼女のところに上って来た。
彼女がラピドテという人の奥さんであったと分かります。また、なつめ椰子の木の下で、いつも人々の相談を受け、主のみこころを求めてさばいていたことがわかります。このように既婚女性であり、同時にイスラエルの預言者として、指導力をもってイスラエルを治めていました。一方で、ご主人のラピドテという人は、その歩みについてほぼ触れられていません。ちょっと存在感が薄いですね・・・。
ただ、奥さんがリーダーとして用いられ、ご主人が背後で支えているというケースもあるという一つの例ですね。そしてまた、聖書は男性のリーダーシップを語っているところもありつつ、このように女性のリーダーシップに対して理解を示している面もあるのだと気づかされます。
さて、6節によると、ある時、彼女はナフタリ族のバラクという人物を呼び、彼を前線のリーダーとして戦う準備をし始めました。
6節
あるとき、デボラは人を遣わして、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『行って、タボル山に陣を敷け。ナフタリ族とゼブルン族の中から一万人を取れ。
カナン人にはシセラという将軍がいましたから、それに対抗するためでありました。ただ、このバラクもやや気の弱い感じがします。8節のところをご覧下さい。
8節
バラクは彼女に言った。「もしあなたが私と一緒に行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私と一緒に行ってくださらないなら、行きません。」
彼は、戦うにしても、デボラさんが一緒に来てください。あなたがた来ないなら私は行かないとまで言って、同行をお願いしていますね。普通ならば、男性が「指示だけもらえば、あとは俺たちがやるから、あなたはなつめ椰子の下で朗報を待ってくれ」と言いそうなものです。ところが、わざわざ女性の預言者デボラに一緒について来てくれと頼んでいます。
デボラはどうしたのでしょうか?
彼女の信仰は明確で、ただ神様のみこころを坦々と伝えていますし、この要求にも何ら恐れることなく「私は必ずあなたと一緒に行きます」と9節で答えています。「主にあって勇敢な人」ですよね。おそらく戦いの経験などないでしょう。
それに加えて、バラクに向かって9節後半で、真実を告げています。
「ただし、あなたが行こうとしている道では、あなたに誉れは与えられません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」と臆することなく語ってもいます。
これは事実、そうなります。しかも、ここから分かるように、将軍シセラにとどめを刺すのもまた女性でありました。
こうして見ると、男性があまり活躍していない時代に見えますね。ただ、そういう時(こと)もあるでしょう。教会も女性が非常に活躍している時がありますし、男性に勢いが出てきて活躍する時もありますね。
さて、戦いの場に出向いて行った時、ここでもデボラは勇ましく指揮しています。14節です。
14節
デボラはバラクに言った。「立ち上がりなさい。今日、主があなたの手にシセラを渡される。主があなたに先立って出て行かれるではありませんか。」そこで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼の後に従った。
女預言者であり、女軍師であるといった感じでしょうか。ただ、一般の軍師と全く異なるのは、主ご自身が戦ってくださるということ。主から示され、語れと言われたことを語っただけだということです。15節
15節
主は、シセラとそのすべての戦車とすべての陣営の者を、剣の刃をもってバラクの前で混乱させられた。シセラは戦車から飛び降り、自らの足で逃げた。
ここでわかるように、「主は」と神様が主語です。ですから、戦いの強さではなく、神様が戦ってくださることを信じているかどうか。その信仰がポイントですよね。バラクは、女預言者デボラのこの「信仰に支えられた」のではないでしょうか。
さて、この時、実はシセラたちが陣を敷いたキション川が洪水を起こし、彼らを押し流したということも次の5章で語られています。神様のみわざが明らかに起こっていたのです。
こうして成すすべなく逃げ出した将軍シセラは、友好関係にあったケニ人ヘベルという人のもとに身を潜めます。そこが安全だと思い込んでいたのです(彼の知恵です)。
ところが、最後は、その身を潜めた先のヘベルの妻ヤエルによって油断しているところを殺害されてしまうのです。そう考えると、シセルというカナン軍の大将軍は、軍人ではない二人の既婚女性の手によって敗北し、とどめを刺されたことになります。
神に逆らう時、武勇に優れた者が力の弱い者に敗北するということが起こるのです。これは人間的な知恵や方法がアテにならず、神様に身を避ける者が勝利するという一つの証しでしょう。
ゼカリヤ書4:6に、『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。とあります。
軍事力では、明らかにシセラが導くカナン人の軍の方が強かったでしょう。しかし、主がここに臨まれたので、彼らの軍は混乱し、敗北しました。シセラは武勇に優れた人であったでしょうけれど、デボラは武力など皆無のような女性です。力が強いわけではないでしょう。けれど、何があったのでしょう?主を信じる信仰です。その信仰がバラクとイスラエル軍にとっては、最も心強いものであったし、それゆえに勝利がもたらされました。力が強くなくとも、力強い主に信頼する者が勝利を収めるのだとわかります。
そして、勝利のカギのもう一つは、主にある「良いチームワーク」でしょう。デボラがリーダーでふさわしい時を指揮し、男性のバラクが軍の先頭に立って戦う。このチームワークが用いられました。特にバラクは、デボラを頼りとして、彼女に戦場に一緒に行ってくれるよう頼みました。自分が自信満々で、強い戦士であったのなら、彼女に一緒に来るように言わず、後は俺たちがやる!と彼女を退けたでしょう。
しかし、バラクは女性のリーダーを尊重し、彼女の指揮にも素直に従いました。それが良いチームワークを生んだと言えるでしょう。
男性と女性が、どのような立場であるかを争うのではなく、それぞれの置かれたところで主に信頼し、一致して手を取り合って勝利を得る。神様のみこころがどこにあるのか?主の召しに従うということ。それが大切なことではないでしょうか。
続く5章ではデボラとバラクが一緒になって主を賛美しています。それを味わうと、二人が良いチームワークで主に頼って歩んだことがよくわかります。
賛美も男女の声の合わさる豊かさがありますよね。教会も老若男女のチームワークが大切です。主にあって結び合わされた者たちのチームワークによって、キリストの愛がそこに現れます。最後にその賛美のしめくくりのところ、5章31節を読んで終わりましょう。
5章31節 このように、主よ、あなたの敵がみな滅び、主を愛する者が、力強く昇る太陽のようになりますように。」こうして、国は四十年の間、穏やかであった。