東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ほっとカフェ 「~心のケアと人間関係~ 『ノー』の達人」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/06/21

ほっとカフェ 「~心のケアと人間関係~ 『ノー』の達人」

*** 6/21(火)ほっとカフェ講演 ***

「~心のケアと人間関係~ 『ノー』の達人」


「心のケアと人間関係」というテーマ。
 何回か、境界線(バウンダリー)についてお話をさせていただきました。バウンダリーの大切な機能は、良いものを受け入れ、悪いものをシャットアウトするということでした。ここをはっきりすることで、自分らしさが健全に保たれ、また良い人間関係につながっていきます。

その中で、今日は「ノーの達人」というテーマでお話したいと思います。
特に日本ではこの必要性は大きいでしょう。ノーを言えない日本人、ノーを言わせない風潮の日本という課題があります。上手に「ノー」を言うことで、不必要に追い過ぎて自分を失い、つぶれることから守られます。それが相手を助けることにもなります。また「ノー」を受け入れる姿勢を学ぶことで、相手から「ノー」と言われても、必要以上に自分を否定せずに済み、相手に自由をもたらすことを知りましょう。

1.上手に「ノー」を言うこと 2.上手にノーを受け入れること 

マタイ537節 あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。 

 ここはイエス様が弟子たちに、安易に「誓う」行為について戒めを与え、誓って見せることなどせずとも、この人が「はい」と言ったら「はい」なのだ。「いいえ」と言ったら「いいえ」なのだと、信頼される誠実な歩みをしなさいということ。

 

1.上手に「ノー」を言うために 「ノーの達人」

「ノー」を言いにくい理由は何でしょう? 「ノー」ということばがやはり強いからです。時に相手を傷つけてしまう危険もあります。その結果、嫌われてしまったり、関係悪化したりすれば、それ自体が悩みの種になりかねません。
それでも「ノー」が言えないと、自分の心や状況に偽って無理することになり、結局自分自身が潰れ、周囲にも迷惑をかけてしまいます。ですので、上手に「ノー」を言う方法を学びたいものです。
 

(1)あらかじめ伝えておく 

 例えば、そこそこ話せる関係・状態であれば、「お互い自分のペースを守りましょう。無理な時は私も無理だと言うし、あなたも言ってくださいね。」と伝えておくと後が楽です。私も何人かの牧師たちと定期的にZoomで交わりを持っていますが、最初にお互いに無理しないようにしましょう!遠慮なく断れるようにしましょうと伝えています。あらかじめ伝えておくと心の備えができます。聖書はいつも前もって伝えてくれる。イエス様の十字架も旧約時代から預言され、弟子たちにも前もって語り備えをさせた。世の終わりの前兆、世の終わりについても聖書は既に語っている

 

(2)物理的、時間的距離を置く

単純な方法ですが、効果的です。物理的というのは文字通りの距離で、例えば、相手が頻繁にあなたに色々な課題を依頼してくる等の場合、ちょっと距離を置いてしまうことでやんわりと「ノー」を伝えることになります。時間的距離というのは、依頼を受けてから、「少し考えさせてください」と言って時間を置いてしまうこと。例として・・・夫婦、親子等の関係で、感情的になることがある。その場合も物理的、あるいは時間的に少し間を置き、祈って冷静になってから「ノー」を改めて伝えるという方法が良い。

ヤコブ120節 人の怒りは神の義を実現しないのです。

 

(3)最初に感謝や良い点を伝えた上での「ノー」

これは、とても有効で良い方法です。パウロはその手紙において、とても厳しい指摘もしている。ある意味相手の信仰姿勢に「ノー」を突き付ける。ただ、そこには配慮があって、まず手紙の最初に丁寧なあいさつや、感謝を伝えている。相手の存在を喜び、感謝の気持ちを明確に伝えることから始まり、その上で本題に入る。やはり頭ごなしに言われるよりも、喜び感謝してくれているという前提があると違う。いきなり「ノー」を言わない方がいい。最初にその話題について良い評価や声をかけていただいたことへの感謝を伝えよう。

ピリピ1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。

1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。

(例)

・お誘いいただいて嬉しいです。できたら参加したいところですが、あいにくと色々と立て込んでいまして。今回はごめんなさい。良い時間になるようお祈りします。

・このような者にお声をかけていただいて感謝です。とても魅力的な計画ですね。ただ、今は家庭の事情もあって外出を少し抑え気味にしています。

・そういった考えもあるのですね。大変参考になりました。ただ、私なりの考えもありまして、今のところは賛同することはやや難しいように思います。

 

(4)受け流す、聞き流す「ノー」 より必要なことを聞くために!

 LINE配信850人に。LINEでお返事できないようになっている。つまり、私から一方的に聖書メッセージの配信。LINEでポンと返信しても届かない設定にすることで、私なりにノーを提示している。だから続けられる。でも、簡単には返信できないが、個人のLINEやメール、電話をしてくれば連絡がつく状態にある。

必要なご意見はちゃんと伝えて来る。それは聞き入れましょう。しかし、的外れな批判も受けることがあります。それに対しては境界線をしっかりと引きましょう。はね返すと、さらに倍になって返ってくる可能性もあります。難しい場合は、「受け流す」「聞き流す」方が良いかも知れません。

伝道者の書7:21 また、人の語ることばをいちいち心に留めてはならない。しもべがあなたをののしるのを聞かないようにするために。

 そして、本当に必要なものを聞き分けるためには、不要なことばに時間とエネルギーを取られてしまってはいけない。聞くのには時間と犠牲が必要。

 

達人になるために・・・ 小さな「ノー」を普段から

 「ノー」には慣れが必要です。特にイエスばかりで生きて来た人は・・・。「これ食べませんか?」に私は「No thank you」「あまり好みじゃないので」など、軽く答える。

 「聞き流し」「受け流し」も、実は、訓練である身に着く「技術」です。生まれながらに聞き流すのが天才的に上手な人もいますが(笑)、日々、大切なことに心を留めるために、大切でないことは「大切でないもの入れの箱(頭の中で)」に入れてしまいましょう。迷惑メールを迷惑メールBoxに入れる感覚です。

 

 

2.上手に「ノー」を受け入れること ※相手の「ノー」を尊重

※ノーを言えない日本人。その背景には、ノーを尊重できない日本の風潮。

 忖度して、上司の命令には従う(パワハラ問題)。親の顔色を伺わせる。

 

(1)尊重し受け入れるべき「ノー」

 ある親子の例(『境界線』ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著)。ポールのお母さんは、「ノー」を言うと傷つき、身を引き、不機嫌になった。「お母さんはあなたのmことをこんなに愛しているのに、どうして『ノー』なんて言うの?」とポールに罪悪感を負わせるメッセージを送ってくる。父親は、怒り、脅し、「親に口答えするんじゃない」と言うのです。子どもは親なしに生きられない存在です。弱い立場ですので、こうした形で「ノー」を否定されると行き場がありません。結局ポールは・・・自分のやりたいように生きるためには、表面的に従順にしておくしかないと考えた。外側では一切反抗しない従順な子になり、その内側に自分の考えをすべて押し込みました。やがて彼はつぶれてしまったとのことです。

 相手の「ノー」を尊重しない、許容しないという問題です。「ノー」を言わせない関わりが人をつぶしてしまいます。パワハラと言われるものは、その一つの例ですね。

相手にも都合や違う考えがあることを尊重する「愛」が必要ですよね。

ノーを受け入れたくないのは、自分が傷つくことが怖い(HSPの要素がある人は、ここが悩みどころでは?)。自分がかわいいという面があるでしょう。夫婦関係でも親子関係でも、相手の「ノー」を覆したり、そもそも言わせない交わりは、その時は良く見えても、必ず冷え切って行き、破綻を来たす危険があります。

マタイ712節 ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

 

(2)ダブルメッセージの危険

 選択肢を与えながら、見えない圧力で結局は自分の望む選択を選ばせる方法。つまり、ノーを言わせないということがあります。「ママはこの学校がいいと思うわよ。もちろん、あなたが良いと思うその学校でもいいわ。ただし、ママは良くない学校だと思うし、正直嫌いだけど。ただ、あなたがどうしてもそっちが良いというならば、否定はしないわ。」

 他にもネチネチと片方を悪く言うならば、ママが勧める学校一択になるでしょう。でも、後になってママの言い訳は、「ママはどっちでもいいと言ったわよね」です。

 誠実ではない方法です。

 

(3)何についての「ノー」なのかをしっかり見極めよう!

 自分が提出した文書、資料に対して、他の人が間違いを指摘。修正をお願いされた。でも、なんだか自分を否定されたようで傷つくケース。ノーを受け入れられないと、自分自身が否定されたと落ち込んでしまいます。叱られたり、間違いを指導されたりすると「自分自身が否定された」と思い込んでしまうのです。しかし、境界線を明確にしていれば、自分の人格ではなく、自分の出した報告に誤りがあったのだとか、やり方が分かっていなかっただけなのだと受け入れられます。

 

あなた自身の否定ではないことを受けとめ、ノーの中身を需要しよう。

 あなた自身への否定だとしたら、それは正しくない。造り主はあなたが高価で尊いと言われている。的外れな批判は受け流そう。
 







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