*** 7/12(火)ママ’Sカフェ講演 ***
「感謝の心」
10年ぐらい前は、私は人間遊園地でした。子どもたちを背中に乗せて腕立て伏せをしたり、メリーゴーランドのように回したり。今は腰を痛めそうで無理ですが(笑)。子たちが私にそうしたアクロバティックな遊びをせがむことがありました。
ただ、体力的にも限界がありますので、ほどほどで勘弁して欲しい。しかし、子どもは「もっと!もっと!」と言ってせがみます。
また、子どもたちが欲しがる物を一つ手に入れた後、満足するよりも、余計に他のものが欲しくなり「ああ!あれも欲しいな~」と要求が増えていくことがあります。
今、目の前に与えられた恵みに感謝することを学ばないと、永遠に「もっと」と思い続けてしまい、常に不満な状態になってしまうことに気をつけたいものです。
・世界一貧しい大統領ウルグアイのムヒカ大統領のことば(現在は別の大統領)
エピクロス、セネカといった哲学者たちの名前を挙げながらこう言いました。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
満足せず、他の人の物を常に欲しがり続けている人こそ、最も貧乏な人だと言うわけです。与えられている物をもっと感謝しませんか?その恵みにさえ気づかずいるのは貧しいのです。
あるおもちゃで遊んでいる子がいました。とても楽しく遊んでいました。
しかし、他の子が持っている別のおもちゃを見た途端、「あれも欲しい!」と言い出した。「○○ちゃんだけ持っていていいな~!」ぼやき始めます。
ほかの子のおもちゃを見るまでは、ひとり幸せに遊べていたのに、別のおもちゃに心を奪われた瞬間、不幸になったのです。
そこには妬みや競争心もあります。自分のより高級そうなのを持っていると欲しくなる。どこかで「他人が持っている物は自分も持てて当然」という感覚を持つのです。
モーセの十戒の中に「隣人のものを欲しがってはならない」とあります。
モーセの十戒の中に「隣人のものを欲しがってはならない」とあります。
十戒は、非常に基本的なものの教え。そこにこの教えが入っていることは驚きです。
この罪から守られる道=「感謝の心」を持つことです。感謝の心をぜひ育みたいのです。
なお、人が妬みの感情を持つか、感謝の心を持つかは、実際に受け取る物とはほとんど関係がありません。一輪の花をもらっても感謝する人もいれば、立派な花束をもらっても私が欲しいのはこれじゃない!と言って抗議する人もいるわけです。
Ⅰテサロニケ5:16-18 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。
(→ キリスト・イエスにあって神が、私たちに望んでいること)
ヘブル13:5 金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。
主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。
じゃあ、具体的にどうしましょうか?
1.今あるものをともに感謝し喜ぶ教育
今あるものは当たり前ではない。大きな恵みだということ。
与えられているものの一つ一つを味わい、感謝していく。
2.小さな感謝を訓練していく
普段から「ありがとう」 感謝の分かち合いを親子でしてみましょう。
感謝は訓練して身に着けていけるものです。
感謝は訓練して身に着けていけるものです。
3.「苦労をして得る」ということを学ばせる。
お小遣いの制限。
労働の対価として受けること。苦労は買ってでもせよと言われる。
安易に得たものは、大事にせず価値を見出すことが難しいです。
※Easy Come, Easy Go (悪銭身につかず)
簡単に与えない方がいい場合もあります。
本人に努力をさせ、その努力の結果として与える。
欲しいと願えば手に入るような甘やかし方は本人のためにならないでしょう。
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