久しぶりに、いわゆる説教ではない投稿。「牧師のつぶやき」です。
若い頃って、「もう終わりだ」「どうにもならない」と決めるのが早い。
自分自身がそうでした。
ちょっとした失敗でも、「ああ、終わったな」と・・・
でも、案外その後歩んで行くと、そうでもなかったことも多いのです。
自分の歩んでいる道は、そのまま進まないといけない
そう思い込んでいる人が多いように感じます。
そこからは逃れられない。
どうにもできない。
耐えるしかない。
だから、苦しくて仕方ないですし、追い詰められてしまいます。
でも、本当にそうなのでしょうか。
実は、その道からそれて、別の道を歩み始めることはいつでも可能です。
ただ、視野が狭く、追い込まれているので「それしかない」と思いがちなのです。
いじめられている子は、「抜け出せない」と思っている事が多いのではないでしょうか?
でも、広い世界を知っている人は・・・
その檻から出てしまえばいい!と言えるのです。
そのような声を聞いて欲しいと願います。
助けを求めるという道もあれば
学校を変えるという道もあり
学校に行くのをやめてしまうという道だってあり得るのです。
職場も同様です。
そしてまた、学校に行かなくなったら、ずっとそのまま?かと言うと
それも変えることができます。
また行くこともできるし、自分に合った学校に行く選択肢もあるでしょう。
いや、もっと後になってから学び直す道もあります。
聖書には「逃れの町」という町もあります。
誤って人を死なせてしまった人が、遺族から復讐されて殺されるようなことがないように。
そこで暮らすことがゆるされています。
また、神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
(第一コリント10章13節)
神様は確かに愛する者を育てるため、あるいは救いの奥義に至らせるために
試練をお与えになります。
ただ、それは耐えることができるものとして与えられます。
それを知ることがまず大切です。
そして、耐えられるように「脱出の道」も備えておいでです。
本当に厳しい時、その道から外れて逃げてみてはどうでしょうか。
新しい道、新しい人生が、とても豊かに広がっていたりするものです。