子育て「考える力を養う」
考えなしに人の悪口を拡散し、写真や動画を投稿することが何を生み出すのか。
人の痛みを想像したり、これをしたらどんな結果が生まれるのか。
何が良いか悪いのかを、生徒たちによく考えるよう教えています。
1. 考えない文化
何も考えさせず、余計な情報を入れさせないようにします(情報遮断)。
そして、ただ教祖の教えに従順になる者こそが良い信徒とされます。
それは国家においても同様ではないでしょうか。国家に従順で何でも言うことを聞く国民ほど扱いやすく便利な存在はないでしょう。
「パンとサーカス」ということばの通りです(食べ物といくらかの娯楽を与えておけば、民衆は言うことを聞くという皮肉)。
特に日本の教育は、むしろ「考えさせない」で、言われた通りにするように指導する仕組みがあるように感じます(もちろん、考えて発表するよう指導してくださる良い先生も多くいらっしゃいます)。先生が教えてくださった答えを暗記して、その通りに書ける人が一般的に成績の面では評価されますよね(欧米なら自分の意見を表現できるかが、より大事にされる傾向があります)。
これは、優秀な人材を生み出す教育とは正反対のもので、考えずに従うだけの人材は、やがて機械に取って代わられる部分ではないでしょうか。
機械で代用できないのは、相手を思いやる力、新しい発想、臨機応変な対応など「考える力」と関係していることがわかります。
日本でも優秀な学びの場では、より「考える力」が求められています。
それは、実際の社会では「考える力」が必要であるからです。
また、考えることができない人は、人から騙されやすいでしょう。
厳しい表現であるかも知れませんが、疑問を感じないので搾取され利用されやすいこともあるでしょう。騙す人が悪いのは事実ですが、安易に騙されることも気をつけるべきことですよね。
また、考えない人は人を傷つけてしまう事も増えるのではないでしょうか(私がそういうところがあり、反省ですが・・・)。考えなしに行動し、考えなしに発言することで。
ぜひ、子どもたちに考える機会を与えてあげましょう。
考える力を養うことを意識してみましょう。
マタイ10:16 蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
主は賢さと素直さを養うことを教えておられます。なぜでしょうか?
この文脈では「狼の中に羊を送り出すようなものだから」と理由が述べられています。この世界には「狼」がいるのです。悪意を持った存在、その背後には悪魔という存在です。
悪意に染まらないように、考える力を養いましょう。
無意識のうちに悪に加担していることがないように。
例えば、「こう書いてある。だからこうしなさい!」としか言わない場合、ともすると、子どもたちを思考停止へと導いてしまいます。
校則がこうだから!これが常識だから!・・・と。とても楽ではあるのですが・・・
それが正しいかどうか、良いかどうかは一緒に考えてみたのでしょうか?
なぜ、主は「こうしなさい」と語っておられるのだろう?と一緒に考えてみたいのです。
このように「考える力」を養うことは十分に可能です。
人間はそもそも考えることができる存在としてデザインされているのですから。
Ⅱテモテ2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。
この世界を見てその仕組みや原理を探り、なぜ、そうなっているのかを考えるようイエス様は言われました。子どもたちに考えるキッカケを提供するのが親の役目です。
「なぜ、こうなっていると思う?」と問いかけます。
そして、間違った答えをも、ただ否定するのではなく、その答えのどこが問題なのか?
何が違うのかも一緒に考えることが、考え力を育てることになります。
私たちに考えさせるために、神様は「問いかけ」を用いてくださっています。
(1)人が罪を犯し、隠れた時 「あなたはどこにいるのか」と問われました(創世記3章)
(2)「人よ。何が良いことなのか。神は何をあなたに求めていると思うのか」(ミカ書6章8節の問い)。
(3)「だれが、まずわたしに与えたというのか。わたしがそれに報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わたしのものだ。」(ヨブ 41章11節 )