*** 10/5(水)祈祷会 説教概略 ***
第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」
聖書人物シリーズ。本日は少しマイナーな預言者ミカヤに目を留めつつ、みことばから語られて参りたいと思います。先週のナアマン将軍の話より、若干時を遡ります。ナアマン将軍所属のアラム軍がイスラエルを打ち破った時の話です。
当時の北イスラエルの王はアハブ。妻はイゼベル。バアルの偶像礼拝をイスラエルに強いた最悪な夫婦でした。直前の21章25節で、主が語られている通りです。ただ、主の厳しいさばきの宣告がなされると、彼は必死に悔い改めの姿勢を見せたので、同29節にあるようにすぐには滅ぼさないと主は言われたのでした。
しかし、そこから時が過ぎ、いよいよアハブに死が訪れるのがこの22章です。
この時に北イスラエルの「主の預言者」として用いられたのがミカヤでした。
1. 主(ヤハウェ)の預言者
22章1節で、アラムとイスラエルの平和な3年の後、南ユダ王国のヨシャファテ王がアハブを訪れたことから急な展開を見せます。アハブは南ユダと連合してアラムを攻撃しようと考えたのです。アハブはやはり強欲です。今の平和に満足していません。アラムからラモテ・ギルアデの地を取ろうと考えたのです。
しかし、ヨシャファテはすぐに返事をせずこう言いました。5節です。5節 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主(ヤハウェ)のことばを伺ってください。」
神の民としては当然のことでした。私たちの歩みも主に伺うことから始まりますよね。そこでアハブは400人の預言者を集めて、彼らに尋ねました。すると400人全員が6節で「あなたは攻め上ってください。主(アドナイ)は王様の手にこれを渡されます」と答えました。
ただ、ヨシャファテはそれで納得しません。どうもおかしいと思い、7節でこう言っていますね。
7節 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主(ヤハウェ)の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。
400人もの預言者が口をそろえて言っているのに、他にいないのか?と尋ねたのです。しかも、よく見ると、5,7節のヨシャファテのことばは「主」が太字になっており、「ヤハウェ」という神様のお名前を直接語っているのですが、6節の預言者たちは太字の主ではありません。「アドナイ」という一般的に使える「主」とのことばです。
ヨシャファテは意図的に「まことの主の預言者はいないのか?」という意味で「ヤハウェ」の名を明確に出して尋ねたのでしょう。彼らは、一応は主の預言者と呼ばれる者たちでした。ただ、どうにも王の顔色を伺って、都合の良いことを語っているように、ヨシャファテには見えたのでしょう。
2. 真実に目を閉ざす愚かさ
さて、8節では、アハブがしぶりながらもある預言者の名を出します。
それが預言者ミカヤでした。ただ、彼は悪いことばかり預言するので、私は彼を憎んでいると王は言いました。それを聞いて、ヨシャファテは8節の最後で「預言者に向かってそんな言い方をしてはなりませんよ」と諭しています。
こうして、預言者ミカヤが呼び出されるのですが、彼が来るまでの間にも、多くの預言者たちが王に都合の良いことばかりを言っています。11-12節
11節 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主(ヤハウェ)はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」 12節 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主(ヤハウェ)は王の手にこれを渡されます。」
何のための預言者なのかと思わされますね。真実を告げる者がいなくなれば、裸の王様になってしまい、結果、国は必ず悪くなっていきます。現代にもそういう国があるように思います。
14節 ミカヤは答えた。「主(ヤハウェ)は生きておられる。主(ヤハウェ)が私に告げられることを、そのまま述べよう。」
この場面での、このセリフは本当に格好よく見えます。
すぐに皮肉だと気づいたアハブは、偉そうにこう言います。
16節 「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」
そこでは、羊飼いのいない羊のようにイスラエルが散らされるとの預言があります。新約では、イエス様が群衆を見て、羊飼いのいない羊のように弱っている姿にとても胸を痛めたことが語られています。
3. 主の真実なおことば
ミカヤには、さらに別の真実が主にあって示されています。
偽りのメッキは必ず剥がれ、真実は後になって必ず明らかにされていきます。