東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/10/05

第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」

*** 10/5(水)祈祷会 説教概略 ***

第一列王記 22章「まっすぐ語ったミカヤ」

聖書人物シリーズ。本日は少しマイナーな預言者ミカヤに目を留めつつ、みことばから語られて参りたいと思います。先週のナアマン将軍の話より、若干時を遡ります。ナアマン将軍所属のアラム軍がイスラエルを打ち破った時の話です。


当時の北イスラエルの王はアハブ。妻はイゼベル。バアルの偶像礼拝をイスラエルに強いた最悪な夫婦でした。直前の2125で、主が語られている通りです。ただ、主の厳しいさばきの宣告がなされると、彼は必死に悔い改めの姿勢を見せたので、29にあるようにすぐには滅ぼさないと主は言われたのでした。

しかし、そこから時が過ぎ、いよいよアハブに死が訪れるのがこの22章です。
この時に北イスラエルの「主の預言者」として用いられたのがミカヤでした。


1. 主(ヤハウェ)の預言者

 
221節で、アラムとイスラエルの平和な3年の後、南ユダ王国のヨシャファテ王がアハブを訪れたことから急な展開を見せます。アハブは南ユダと連合してアラムを攻撃しようと考えたのです。アハブはやはり強欲です。今の平和に満足していません。アラムからラモテ・ギルアデの地を取ろうと考えたのです。

しかし、ヨシャファテはすぐに返事をせずこう言いました。5節です。5節 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主(ヤハウェ)のことばを伺ってください。」 

神の民としては当然のことでした。私たちの歩みも主に伺うことから始まりますよね。そこでアハブは400人の預言者を集めて、彼らに尋ねました。すると400人全員が6「あなたは攻め上ってください。主(アドナイ)は王様の手にこれを渡されます」と答えました。

ただ、ヨシャファテはそれで納得しません。どうもおかしいと思い、7節でこう言っていますね。

7節 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主(ヤハウェ)の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。 

400人もの預言者が口をそろえて言っているのに、他にいないのか?と尋ねたのです。しかも、よく見ると、5,7節のヨシャファテのことばは「主」が太字になっており、「ヤハウェ」という神様のお名前を直接語っているのですが、6節の預言者たちは太字の主ではありません。「アドナイ」という一般的に使える「主」とのことばです。

ヨシャファテは意図的に「まことのの預言者はいないのか?」という意味で「ヤハウェ」の名を明確に出して尋ねたのでしょう。彼らは、一応は主の預言者と呼ばれる者たちでした。ただ、どうにも王の顔色を伺って、都合の良いことを語っているように、ヨシャファテには見えたのでしょう。 


2. 真実に目を閉ざす愚かさ

 
さて、8節では、アハブがしぶりながらもある預言者の名を出します。
それが預言者ミカヤでした。ただ、彼は悪いことばかり預言するので、私は彼を憎んでいると王は言いました。それを聞いて、ヨシャファテは8節の最後で「預言者に向かってそんな言い方をしてはなりませんよ」と諭しています。
こうして、預言者ミカヤが呼び出されるのですが、彼が来るまでの間にも、多くの預言者たちが王に都合の良いことばかりを言っています。11-12節 

11節 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主(ヤハウェ)はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」 12節  預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主(ヤハウェ)は王の手にこれを渡されます。」 

何のための預言者なのかと思わされますね。真実を告げる者がいなくなれば、裸の王様になってしまい、結果、国は必ず悪くなっていきます。現代にもそういう国があるように思います。

 一方、預言者ミカヤは、王の使いからこんな事を言われています。13節です。

13節 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」 

 この発言で、預言者たちが主のみこころではなく、王が気に入ることを語っていることが明らかにされていますね。ミカヤの返事はこうです。

14節 ミカヤは答えた。「主(ヤハウェ)は生きておられる。主(ヤハウェ)が私に告げられることを、そのまま述べよう。」 

 この場面での、このセリフは本当に格好よく見えます。

これこそ本物の預言者!と思います。

ところが、15節の後半に王の問いへの彼の答えがあり、一瞬驚きます。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。主(ヤハウェ)は王の手にこれを渡されます。」 他の預言者たちと同じじゃないか!!とツッコミを入れたくなりそうです。12節の他の預言者たちのことばとほぼ同じ内容です。実は、これはミカヤ流の皮肉でした。

「どうせあなたが欲しいことばはこれでしょう?」と、あえて他の預言者たちが言っているそのままを伝えたのです。真実を言っても聞く耳を持たないからです。

すぐに皮肉だと気づいたアハブは、偉そうにこう言います。

16節 「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」 

真実を告げたなら、「悪いことばかり預言するな!」と怒るアハブですので、滑稽です。

ミカヤはこれに応じて17節で答えました。

そこでは、羊飼いのいない羊のようにイスラエルが散らされるとの預言があります。新約では、イエス様が群衆を見て、羊飼いのいない羊のように弱っている姿にとても胸を痛めたことが語られています。

 ここでも王アハブがあまりにもひどく、民を守れないという現実。そして、この愚かな戦いで彼が死ぬことで散り散りになることを暗示しています。これが真実でした。しかし、アハブにはこれが悪い預言に思えるのです。自分の勝利を告げてくれない預言はすべて「悪」なのです。でも、真実が分かれば人は改めることができます。真実に目を閉ざすとは、なんと愚かしいことなのでしょうか


3. 主の真実なおことば

 ミカヤには、さらに別の真実が主にあって示されています。

 それは19-23節で語られています。実は、アハブ王をこの戦に出させることが主のご計画であって、主はそのためにこのいい加減な預言者たちの性質を用いて偽りを語らせたというのでした。400人の預言者たちは、王が喜ぶことだけを告げる「偽りの預言者」でした。主はその偽る性質をも用いて、アハブを戦場に引き出しアラムの軍に打たれるようにされたのです(尚、この結果アラムでは、指揮官のナアマンの立場が向上したとも考えられます)。

 アハブの死が主のご計画であったことは、彼の死に方がよく示しています。

 アハブは30節にあるように一般兵の姿に変装し、ヨシャパテ王には王の服のままで居させました。敵の目を欺き生き延びるためです。案の定、ヨシャファテが狙われるも彼は助かります。ただ、おもしろいことに、一人のアラム兵が何気なく弓を引いたら、それがアハブの鎧の隙間に当たってしまったのです(34節)。

 結局、この傷が致命傷となりアハブは死にました。

 どんな人間的な策を弄しても、主の前には無意味だと教えられます。

 どこが安全なのでしょう??

 主の御翼の陰に隠れることです。主の声に聴いて歩むことです。 


  28節でミカヤが語っている通りです。

28節 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。 

 ミカヤはこうした迫害、暴力にも屈せず、王の顔色を伺わず主のみこころをまっすぐ伝えました。

 都合の良い話しか耳を傾けられない人は、滅びをその身に招いてしまいます。厳しくも真実な主のことばは、私たちの心の目を開かせ窮地から救います。

 まっすぐに主のみこころを語ること、まっすぐに聞くことを尊びましょう。

 偽りのメッキは必ず剥がれ、真実は後になって必ず明らかにされていきます。 



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