「主の山に備えあり」~未来への不安に勝利する~
1. 私たちを取り巻く「不安」
子育てをする上で、多くの人が不安を覚えています。現代の日本を取り巻くものとして大きなものは、経済的な不安でしょう。また、学びについていけるだろうか。友達と仲良くなれるだろうか。どんな仕事ならできるだろうか。就職できるだろうか。
そうした様々な不安材料があることでしょう。
このように未来への不安は、数えればキリがありませんね。そして、親が不安だと子どもも不安になります。「親の心配をよそに」という表現もありますが、実際は子たちも伝わっているもので、彼らも心配しているのですよね。
罪の意識、罪悪感も私たちを不安にさせます。死んだらどうなるのだろうか。法ではさばかれていないこの罪や汚い心に、報いは起こるのか?人の根本的な不安。良心の呵責です。
詩篇38篇 私は自分の咎を言い表します。自分の罪で不安なのです。
2. 不安がもたらすもの
むしろ、私たち親は、その不安を拭い去ってあげるお手伝いをしたいものです。
時に、子たちは不安であるがゆえに、大人から見たら良くない行動を取ることもあります。悪い子たちとの付き合い、暴力的な行動、飲酒、喫煙、家出など。
悪い子たちと付き合うのは、実は「安心したいから」という一面があります。周囲が優等生ばかりで、比べられると不安しかありませんから。
あるいは、行き場のない不安から、様々な心の病、人格障害などを引き起こします(現実の過酷さから自身を守るため、あるいはその疲労から発症するケースが多い)。
箴言17章22節 喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。
3. 主の山に備えあり
そのためにまず、不安という敵の正体を知る必要があります。
不安とは何でしょうか?原因は何でしょうか?
それは「未知であること」です。
分からない・見えないので不安です。
真っ暗な夜道を灯りなしで歩くのはとても怖いですよね。何が出て来るかわからない。足元もどうなっているのかわからない。
でも、明るくはっきり見えて、舗装された道であるとわかり、どこに障害物があるかわかり、周囲には人もいるとわかれば安心します。
同様に、神様は私たちのこれから歩む道を照らし、安心して歩めるようにしてくださるのです。
詩篇119篇105節 あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。
ガンを宣告された70代の姉が、このみことばを暗唱していて、いつもこのみことばに励まされて歩んでいると言われました。聖書は神のことば。未来を知り尽くす神様が、未来に対してどう歩めばいいのか。不安をどうしたらいいのか、しっかりと教え導いておられる。ゆえに平安がある。