*** 11/2(水)祈祷会 説教概略 ***
ネヘミヤ記1-2章「共感し、共感された人ネヘミヤ」
ネヘミヤが献酌官としてペルシャ王のそばで仕えていた時のことです。その兄弟の一人であるハナニから、エルサレムの悲惨な現状について話を聴いたところからこの書は始まっています。3節です。
3 彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」
敵対する諸外国からの圧力が強くある中、エルサレムは城壁も門もボロボロで、ほとんど無防備な状態であったと言えます。聞くも無残なありさまでした。これを聞いたネヘミヤはわが事のように祈りました。4節。
4 このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
先ほど触れましたように、彼は当時ペルシャ王の「献酌官」でした。ペルシャ王の近くにて、お酒をつぐ仕事です。それは高い地位として厚遇されていたことを意味します。ですから安定した平和な暮らしがありました。まして、彼はおそらく捕囚時代に生まれた人です。エルサレムに住んでいたことがないのでしょう。そんな彼がエルサレムで苦しむ同胞(仲間)のために自分の事のように涙し、断食をもって祈っているのは不思議なほどです。
このような共感する力は、主からいただいた賜物であったのかも知れません。
5節 「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
6節 どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
ネヘミヤの祈りは他人事ではありませんでした。
ネヘミヤは「私の先祖たちは、罪を犯しました」とは祈りませんでした。
「私も私の父の家も罪を犯しました」と祈りました。
自分を含めて「私たちが」あなたに対して犯したのだと告白しています。他人事でも傍観者でもなく、自らも同じ罪人であり、仲間、同胞皆の罪をお赦しくださいと祈るのです。
7節の冒頭でも、「私たちはあなたに対して非常に悪いことをして」と告白していますよね。
1節 アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。
2節 すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、
3節 王に言った。「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」
王にお酒を注ぐ人が暗い顔でいることなどあってはならないことでした。お酒がまずくなるからです。ですから1節にあるように、ネヘミヤ自身、それまで王様の前で沈んだ姿を見せたことはありませんでした。いつも元気な姿を見せていたに違いありません。王様が楽しくお酒を飲めるよう尽くしていたことでしょう。ところが、限界でした。ついに王様はネヘミヤの異変に気づいてしまいます。悲しい顔を隠せなくなったのです。
下手をすればお役御免。「お前のような陰気なヤツは酒を注がんでいい!こっちまで気が滅入る」と言われるかも知れません。
最後に12章43節を読んで終わります。これは城壁が完成し、みなで賛美と感謝をささげた場面です。子どもたちも女性たちも一緒になって喜び感謝し、主をたたえていたので、その声ははるか遠くまで聞こえたとのことです。