東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記3章14-21節 「最初のキリスト預言」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/12/07

創世記3章14-21節 「最初のキリスト預言」

*** 12/7(水)祈祷会 説教概略 ***

創世記314-21節 「最初のキリスト預言」

 日曜日の説教の中で、人の孤独の問題について触れました。それは最初の人アダムとエバが罪を犯し、神様から隠れてしまったという行為から始まっているのではないかとお話させていただきました。今日の祈祷会では、その隠れてしまった後の場面から教えられたいと思います。そこに神様の救いのご計画があったことに目を留めましょう。

 
1.人の堕落と神の愛

 蛇の姿を取ったサタンの誘惑に流され、人は神様の約束を破ってしまいました。唯一、「食べてはいけない」と命じられていた善悪の木から、食べてしまったのです。何かが足りなかったわけではありません。人には十分すぎるほどの幸せがありました。

 それでも自ら約束を破り、離れて行く人の心は、わがままであり、神の愛をないがしろにするものでした。神様は罪を犯した人に対して、罪に対する報いを語らなければなりませんでした。16-19節のところに、その内容が語られています。 

16節 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」 17節 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。 
18節 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。 
19節 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」 

 産みの苦しみ、夫婦関係の破綻、労働の苦しみ、そして人は死んでちりに帰る者となったということでした。人は罪を持つ存在となり、罪のゆえにこの地で歩む上で、喜びや幸せだけではなく、多くの苦しみの中でもがき、やがて死んでいく存在となったのです。この罪ゆえに、神の愛から離れた孤独、むなしさや罪悪感、恐怖や不安に支配される者となりました。

 一見絶望しか見えないようなさばきの宣告です。けれども、神様はどんなに罪を犯そうと人を愛しておられるのです。その証拠に21節を見ていただくと、罪のゆえに裸を恥ずかしいと思うようになった人に対して、皮の衣を自ら作って着せて下さいました

 実は、罪を犯した直後、アダムとエバは7節のようにしていました。それは「いちじくの葉」をつづり合わせて腰の覆いとしていたということです。ただの葉っぱですから、すぐに枯れてダメになってしまいますよね。

 ですから、神様ご自身で皮の衣を用意して着せてくれたのです。神様の親心、愛に満ちた優しさを感じますよね。裏切られたのは神様です。人は神のようになりたいと願い、悪魔の声にいとも簡単に流されました。愛するわが子のように愛を込めて生み出した人に、このように裏切られたのです。それでも、主は見捨てずに関わり続けてくださることが、ここからもよく分かります。
 

2.最初のクリスマス預言

 そして14-15節をご覧ください。 

14節 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
15節 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」 

 ここでは、まず神が愛している人を誘惑した蛇の姿をしたサタンへのさばきが明示されています。しかし同時に、15節を見ていただくと、そこに罪によって失われた人への救い、勝利の預言が既にあることに感動を覚えるのです。

 聖書中最初のクリスマス預言と言ってもいいかも知れません。

 神様はサタンと人間の女性から生まれて来る子孫のとの間に、交わることない敵意を置くと言われました。神からも人からも、常に敵対視される存在となるということです。

 そして、何よりも、この人間の女性から生まれてくる子孫。「がサタン、おまえの頭を打ち砕くのだ」と言うのです。サタンによって誘惑され、神との関係を壊された人間です

 しかし、その人間の中にお生まれになる救い主によって、サタンは滅ぼされるという預言です。神様は、人が罪を犯してしまったすぐに後に、既に人類の救いの道を明確に語っておられることに、大いなる希望を見出します。

 私たちは今、クリスマスを待ち望むアドベントの時を過ごしています。アドベントは、救い主キリストが来る日を待ち望む次節という意味です。そのアドベントは、ある意味では、この創世記からすでに始まっているのだと教えられるのです。

罪を犯し罪悪感にうなだれるアダムとエバの前で、神様はサタンへのさばきを宣告しつつ、同時にこのキリスト降誕の約束を語られたことになります。


なお、「おまえは彼のかかとを打つ」とは、サタンのささやかな抵抗を示します。キリストの働きを妨げようとする誘惑、また、罪人たちを誘ってその手によって十字架に磔にしようとしたとも言えるでしょう

キリストがこの地上に来られ、すべての人を照らす光となられるそのときサタンも抵抗をするのです。しかし、この十字架の苦しみもまた、神様が人類の歴史のはじめから、預言なさっていた救いのみわざですよね。つまり、サタンのささやかな反抗さえもすべて、主はご自身の愛する民の救いのために用いて益となさったのです。

サタンはキリストを苦しめたつもりかもしれません。けれど、キリストは自らの意志で、私たちの罪の赦しをなすために十字架に向かわれたのです。かかとを打つという必死の抵抗さえも、神の計画を何ら妨げることはできなかったのです。

 

3.私たちへの神の愛

私たちはこのところから、神様の初めから続く「永遠の愛」を知ります。ずっと前から、私たちは愛されていました。『2000年前から赦されていた』という賛美がありますが、それよりもさらに昔から、私たちを愛し、私たちにクリスマスを備えて下さったいたのです。そこにある歴史を超えた、壮大な神様の愛のご計画を知らされます。

エペソ人への手紙14節にはこのようなことばもあります。

エペソ 1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。

 このみことばによれば、世界の基が据えられる前から、キリストによる救いの選びが備えられていたということになります。主なる神様の愛は永遠です。愛が途絶える瞬間がありません。

 はるか昔より、私たちを愛し、私たちのための救い主、ご自分の御子キリストを与えようという救いの計画を備えておられたということです。私たちが思う以上に神様のご愛は深く、また長く、永遠のものであると教えられるのです。

 人が罪を犯したその直後にも、主は救いのご計画の一端を示してくださっているのです。罪の重さにしばしば悩む私たちですが、神様の完全な赦しのもとに平安をもってこの時を過ごしましょう。 




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