東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 子育て「お手伝いの恵み」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/01/11

子育て「お手伝いの恵み」

 *** 1/10(火)ママ’sカフェ ***

子育てのお話「お手伝いの恵み」

 お手伝い(教会の奉仕も含む)を通して子どもたちは色々なことを学び成長できます。

 メンタル面では「自己肯定感(セルフイメージ)」が高まり、達成感を得て自信がつきます。

 また親子のコミュニケーションの機会でもあり、技術面や経験値の面からも成長し、自立への大きな一歩となるでしょう。聖書のみことばに以下のものがあります。

使 20:35 このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」

 能力がある。技能がある。力があるなら、それは弱い人のために用いられる必要があります。
「受けるよりも与える方が幸い」との主のことばは、あらゆる場面でパウロが示して来た大切なことばであると分かります。

子どもの成長は、受ける者から与える者へと変えられていくことですね。
福山雅治さんの「家族になろうよ」という曲の歌詞の中にもありました。
体が弱くて親に甘えてばかりいたけれど・・・
親孝行もろくにできていないけれども・・・

それでも、
「一歩ずつ 与えられる人から 与える人へかわってゆけたなら」

 との歌詞です。

では、お手伝いの恵みとは、どのようなものがあるのでしょう。


1. 役に立てた!という感覚

 かつて子どもたちは、家庭の家事戦力と言えるほどでした。多くの兄弟がいて、みんなで家事をするのは当たり前。親の自営業を手伝うのも当然のものという感覚でした。

 しかし、時代が大きく変化してきました。核家族化、少子化もあり、子どもたちは毎日習い事をするものの、家での様々な家事手伝いが減っているように思えます。

 結果、与えるより受けることばかりが中心の日常になっている面があるということです。習うことは大切ですが、「習ったものを生活の中に生かし、誰かの役に立つ」という体験が不足しているように思います。そして、この「誰かの役に立つ」という経験の欠如は、とても惜しい、残念な事だと言えます。

 内閣府が出した「子供・若者白書」において、以下のような文面があります(礼拝説教でも触れました)。

「日本の若者の自己肯定感の低さには、自分が役に立たないと感じる自己有用感の低さが関わっている 

 人間はそこに存在するだけで尊い存在。神様が愛を込めて造られた傑作。しかし、人との交わりの中で居場所が生まれ、喜びを得るためにも「誰かの役に立つ」という感覚は必要です。

 人から必要とされていると感じられることです。難しいことでなくてもいい。家庭の中でお手伝いをし「ありがとう。とても助かったわ」と伝えて欲しいのです。それを通して自信がつき、自分もこの世界の役に立てる存在なのだということを、少しずつ体験的に学ぶことができます。

 


2.親子のコミュニケーションになる 

 家事を一緒に行う。一緒ではなくても、任せゆだねる。

 その中で分からないことは聞き、結果を報告する。

 ただ親子で会話するだけでなく、何かに向かって一緒に労することは尊いものです。そして、そういう中で生まれるコミュニケーションがあります。人と一緒に何かをともに成し遂げる喜びも経験できるでしょう。

 買い物に一緒に行く。一緒に料理を作る。日曜大工を一緒にするなど。

子どもたちの成長を実感する機会でもあります。

 

3. 
 

 子どもたちは遊びの中やお手伝いを通しても、生きるのに大切なことをどんどん学んでいきます。

 ほどほどのコミュニケーションは有益ですが、口出ししすぎるのは問題です。ある程度やり方を教えたら、黙って任せて見守ることも大切にしましょう。

子どもたちはそこで自分で考え、悩み、失敗をしながら成長していきます。 将来の自立を考えた時にも、親は魚をあげるだけでなく、「魚の獲り方」を教えてあげる必要があります。

 

【様々なお手伝いの工夫】

 ごみ拾い、ごみ捨て、片づけ、荷物運び、テーブルを拭く、掃除、お風呂掃除、洗濯物取り入れ・たたむ、料理手伝い、食前準備、ご飯を炊く、果物皮むき、皿洗い・片付け、花の水やり


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