*** 9/12(火)ママ’sカフェ 講演概略 ***
「子は親に似る!」だから・・・
なぜ、子は親に似るのか?
2つの理由
理由1.神の創造の意図だから ~遺伝というもの~
創世記5章1-3節
人は神の似姿として(創世記1章では「神のかたち」として)造られました。
それは神の子ども、神の分身のような存在であることを意味します。神の良いご性質をいただいているのです。だから人は神に似ているのです。
「かたち」とは、英語でImage、もしくはFormなどと訳されます。外見はもちろん、善悪を見分ける性質(良心)や愛に応答できること、あるいは自由な意志をもって選択できるなど、性質的なものを含んでいるのです。
そして、それゆえに、人は、自分に似た存在を生み出す力も授けられています。
3節にこうある通りです。
「アダムは百三十年生きて、彼の似姿として、彼のかたちに男の子を生んだ。」
アダムとエバの間に生まれた子は、親の似姿として、親のかたちに生まれました。
遺伝子を受けついでいますので、外見の特徴も似るし、体の中の臓器の特徴、気質、長所短所など、様々なものが似るのです。
理由2.生まれた後の生活のゆえに ~生活において親から受けるもの~
Ⅱテモテ1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
今度は後天的な理由です。
テモテは、まっすぐな信仰者としての姿勢を祖母や母から受け継いできたのです。それは生まれながらのものではなく、関り、教育の中で養われ、継承されました。
親の教育、親との関わり、親の背中を見て!
同じ環境の中で育まれてきました。
このように、子は親に似るようにされています。
だから、子はかわいいのです。だから、育てることができます。そこに自分と共通したものが多くあるので、親は自分の経験から子に教えることができます。
親に倣って生きようとする姿はまた、とても愛おしいものです。
インコは、懐くと飼い主のマネをします。飼い主が寝てしまうと、インコも寝るマネをするのです。日中インコは目を閉じることがあまりないのですが、飼い主が寝ていると意図的に目を閉じます(懐いている場合)。
人間のことばをしゃべるのも飼い主をまねているということです。
そういう姿を愛おしく思うわけです。
しかし、親に似るということは、欠点も似やすい。弱さも似やすい。
イサクは父アブラハムと同じ失敗をしている。
なんだかんだ、子は親の背中どころか、一挙手一同を見て育つ。
だから、親がイキイキと輝いて生きることがとても大事。
親が笑顔で歩めば、子は笑顔になるでしょう。親が喜んでいれば子も喜ぶのです。
反対に、親が悲しんでいると、子もとても悲しむでしょう。
親が争っていると、子も争いの中に巻き込まれるのです。
1.親がまず、輝いて、イキイキと歩んでいきましょう!
自分のお母さんがいつも疲れて、大変そうにしているよりも、お母さんが笑顔で過ごしている。キラキラ輝いている。そういう姿こそ、子どもたちが見たい母の姿ではないでしょうか。
実は、少し前、牧師に魅力がないから、牧師になろうとする若者が少ないという問題提起がありました。疲れている。楽しくなさそう。大変そう。
「ああはなりたくない」
それでは若い子は、牧師になりたがらないのは当然です。
子どもたちは、背中を追うようにして、自分も夢を追ってイキイキと頑張ろうと思うモデルを求めています。そこに尊敬を抱いたり、かっこいいと感じたりするものです。立派である必要はないのです。偉くなる必要もない。でも、お母さん自身が「自分らしく」、胸を張って、喜んで生きることが大事です。
弱さも率直に言える親であることを大事にしましょう。
鎧を自分から脱ぎ、子どもが自然に鎧を脱げるように!
それは頑張る姿勢ではなく、神様の助けにより頼む姿です!!私たちが弱い時こそ、神様の力が豊かに働くのですから。私たちは立派さを装わず、ありのままで神の助けを証ししていけばいいのです。
2. 輝くために!
不平・不満から感謝へ。神様によって世界を楽しむ!
伝道者の書2:25 実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。
小さなささやかな日常のことでも、私たちは神様からの恵み、プレゼントであることを覚えて、感謝をしながら、しっかりと味わい楽しんでいけるのです。そのような姿は、不平不満にあふれ、イライラする親の姿よりも、ずっと魅力的に見えるでしょう。
親の信仰の姿、誠実な姿、愛の姿、ごめんねと謝れる姿。
子どもたちはそれを見ているのです。
神様とともに歩むなら、神様があなたを輝かせてくださいます!