東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: コリント13章13節「いつまでも残るもの」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2023/11/17

コリント13章13節「いつまでも残るもの」

*** 11/15(水)祈祷会 説教概略 ***

 今週もサバティカルで教えられた恵みについて、お分かちしたいと思います。先週は、フランシスコ・ザビエルが神様からどのように変えられ、召しを受けて日本宣教に導かれたのかをお話しました。本日は、そのザビエルと出会った者たちが、日本でどのような宣教を行ったのか、特に大分県でなされた働きについて教えられたいと思います。

 そこには献身的な愛がありました。

              大友宗麟館の庭園(再現)


 当時の大分県は豊後(ぶんご)と呼ばれていました。その地を治めていた国主が「大友宗麟(そうりん)」という大名でした。宗麟はザビエルが日本に来る4年前、彼が16歳の時には、すでに外国人と触れる機会があり、キリスト教に興味を持っていたようです。そして彼が21歳の時に日本で2年ほど活動したザビエルと出会うことになります。

 ザビエルは彼のもとを訪問し、宗麟もザビエルを歓迎したと伝えられています。当時ザビエルは48歳。その人が21歳の若い王に頭を下げて謁見したのです。この出会いはヨーロッパに伝えられ、フランドル派の画家ヴァン・ダイク(英人)がこれを描きました(1641)

 この影響によって、当時のヨーロッパで最も知られた日本の大名は、この「豊後の王:大友宗麟」だったと言えるかも知れません。インターネットで探すとその絵を見ることができます。
 大友宗麟はザビエルに豊後の地での宣教を許可します。しかし、彼自身は受洗には至りませんでした。いくつか理由が考えられます。

第一に、この2年前に彼の父が配下武将の反乱で命を落としていたため、慎重さが求められていました。仏教等の土着信仰を持つ配下の反目を恐れた可能性があります。

第二に、宗麟自身、仏教や禅などもよく知らない中で、いきなりキリスト教に踏み出すことに戸惑いがあったと言います。彼は実際にこの後禅を学んで行く時期もあります。

第三に、二番目の妻からの反対があったということが考えられます。特にこの結婚は政略結婚の可能性がありました。フロイスの著した『日本史』によれば、その二番目の妻は、身分の高い女性で、その妻との間に8人の子を授かって30年ともに歩んだと言います。その性格については、わがままで、宗麟との性格の相違からことごとく対立しました。特に大のキリスト教嫌いで、宣教師からは「イゼベル」と呼ばれ恐れられたほどでした。預言者をみな殺して、エリヤまでも殺そうとしたあの女王イゼベルです(第一列王記18-19章参照)。そのために、宗麟は思う悩むあまり、病に臥すほどであったと記録されています。そして、彼は子どもたちや親族への配慮から、多年にわたって彼女に同調するよう努め、そのゆえに当時は受洗しなかったと考えます。

 このあたりがやはり日本です。日本人への宣教の難しさです。本人が信じたいと思っても、周囲に配慮しなければ強く批判されてしまう文化ですよね。そして、許可は得たものの、やはり国主の宗麟が信じなかったので、彼の配下の武士層にも福音が広がらなかったので、当時の大分宣教は非常に困難があったと言われます。

 ところが、そこにも主のご計画があったのです。武士層に広まらなかった分、ある人々にかえって力を注ぐことができました。それは病で隔離されているような人々や極貧の農民たちでした。特に、そこで用いられた人物がルイス・デ・アルメイダという人です。

 彼は元々は医者で、同時に貿易商人でもありました。しかも、貿易で巨万の富を得ていたのです。ところが彼もまた、主の示しを受けイエズス会の修道士となり、ザビエルの指揮のもと伝道者として日本で仕えました。

 そして、平戸を経由して豊後(大分)に来た彼は、この地で衝撃的な光景を目にします。なんと、生まれた赤ちゃん、幼子たちが捨てられている現実でした。貧しくて、育てるのが困難で、子を捨ててしまう親が少なくなかったのです。

 それを見て非常に胸を痛めたアルメイダは、自分の財産を用いて育児院を立てたいと大友宗麟に申し出ました。宗麟の心はキリスト教に傾いていますし、子どもを捨てることは大きな罪だと考え、これに賛同してくれたのです。

 さらに、アルメイダはハンセン病で隔離されている人々のためにも愛をもって尽くし、病の人々に寄り添いました。彼は続いて病院を設立していくのです。貿易で得た財産をささげて病院を建てるばかりか、貧しい民を助けるために、なんと無料で治療を請け負いました

 実は、彼は外科手術もできる人で、日本で初めて外科手術を行ったと言われています。ある人々は彼を妬み、あるいはキリスト教への反発で批判しました。「伴天連の魔術だ(宣教師の黒魔術だ!)」と指摘したので、彼はみんなが見ている中で公開手術というものさえして見せたと言われています。

 また、大友宗麟もこの病院のために献金をささげ支えていました。こうしてアルメイダは宗麟の協力のもと、豊後で医療宣教をしていくことができたのです。

 当時、極貧と病で苦しんでた孤独な日本人たちがどれほどこの愛に感動したことだろうかと思うのです。社会的にも価値のない者、見下され見捨てられる立場にあった者たちに、無償で愛の手を差し伸べたのですから。ここにキリストの愛を見るように思います。かつては「らい病」と訳されていたツァラアトの病にかかった人々に、イエス様はご自分から触れてくださり、「わたしの心だ、きよくなれ」といやしときよめを与えられました。

 孤独で誰にも触れてもらえなかったツァラアト患者。しかし、イエス様はからだのいやしだけでなく、もっと必要だった心に触れてくださったのでした。

さて、このアルメイダたち伝道者の献身的な愛は、500年近く経った現在でも、私たちの心に感動をもたらすのではないでしょうか。

人の救いについて考えさせられます。私自身が踏み出すきっかけは、私に良くしてくださったクリスチャンの人柄でした。その人を私は半年かけて観察していました。魅力的で信頼できる人だと思いました。この人が「すばらしい」と言うものは、信頼できると思えたのでした。

第一ヨハネ3:18 子どもたちよ、私たちは、ことばと口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。 

アルメイダは自分の財産のすべてをささげて、当時貧しかったイエズス会の活動をも支えました。正直、アルメイダの利益になるものは何もなく、むしろ自分の財産が減るばかりだったはずです。しかし、彼の財産は残りませんでしたが、その愛の実は残りました。信仰が残りました。なお、現在も大分県には「アルメイダ病院」という病院があります。

Ⅰコリント13:8にこうあります。「愛は決して絶えることがありません」


 さて、宣教を許可し、アルメイダにも犠牲を払って協力した大友宗麟はその後どうなるのでしょうか。

 実は、ザビエルがインドに戻る際、宗麟は自分の配下の者をザビエルに随行させます。この配下の者は仏教徒でしたがキリスト教徒となり、26年後に豊後に帰国します。宗麟は彼からも詳しく話を聞き、ザビエルの語ったことが真実であることをよく知ることができました。

 そして、宗麟はこの頃に、宣教師からイゼベルと呼ばれた妻と別居をすることになり、その後に彼はついに洗礼を受けています。48歳の時でした。

 洗礼を授けたトーレス神父に、彼は今まで信じなかった理由を伝えたそうです。

 それによると、キリスト教こそ自分にふさわしいと思い、胸中ではそれを認めていたが、国を治める者の責任からと、日本仏教の奥義を極めてからとの思いから、受洗に踏み切れなかった」と言います。また、それに加えこうも言っています「禅宗に帰依し修行に励んだものの、そこに平安を見いだすことはできなかった」と。

 宗麟なりに真面目に真剣に信仰を追求し、仏教や禅宗にも学び、しかしやはり「キリスト信仰しかない」との決断に至ったのです。

 こうして、宗麟の配下武士たちの間にもキリスト信仰は広がりました。また、彼は南蛮貿易を通して豊後の地を豊かにし、民から喜ばれたようです。ですから、大友宗麟は現在でも大分県民からとても愛されています。大分駅前広場には大友宗麟像がありますし、大分銀行にはソーリン支店と呼ばれる支店もあります。また、大友家邸宅の発掘作業は現在も続けられています。私もその記念資料館を訪れ、発掘された陶器などに触れさせていただきました。また、庭園跡にも入らせていただき、その再現作業が進んでいることを知りました。

 「できれば大河ドラマに!」と考えているようです。当時の館地図によれば、大友家の敷地には「デウス堂」と呼ばれる教会堂が描かれています。現在、その場所には住宅が建っており、発掘作業は簡単ではないでしょう。しかし、そこで作業が出来るようになり、十字架などが発掘されれば大きな発見になると期待しています。

Ⅰコリント13:13 こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。 

 宗麟が国主として信仰を持つことは本当に大変でした。奥さんや子どもたち親戚への配慮で病んでしまうほど悩みました。それでも、彼はキリスト教宣教を推進し、時間をかけてでも受洗にまで導かれ、その民の多くの者が回心したのです。

 宗麟とアルメイダの愛のわざが、現在においても語り継がれ、人々の心に感動をもたらします。いつまでも残る愛のわざ、私たちも大事にしていきましょう。

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *