東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記3章14-15 節「最初のキリスト預言」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/12/07

創世記3章14-15 節「最初のキリスト預言」

*** 12/6(日)祈祷会 説教概略 ***

 アドベントということで、祈祷会でも救い主の預言に関するみことばから教えられて参りたいと思います。おそらく旧約聖書中、最初のキリスト預言はこの創世記3ではないかと思います。


 ところが、創世記3章と言えば、人類史上最初の罪とそのさばきについて語られている場面ですよね。人類全体に深刻な影響をもたらした人の罪とそのさばきです。そのような場面にも関わらず、同時に「悪と滅びへの勝利」をもたらす「救い主」の存在が示唆されているのです。そう考えると神様はなんとあわれみ深く、やさしいお方なのかと思わずにいられません。関連して、エペソ14節にこのようなみことばがあります。
 
すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。(エペソ1:4 

ここでは、世界の基が据えられる前から、神は人の救いを用意されており、御前に聖なる傷のない者にしようとすでにお考えであったとあります。ですから、この3章の神様のおことばも、罪を犯してしまったから、急遽用意されたものではなく、神の深いご計画であったと言えます。

1.誘惑したサタンと罪を犯した人間

 本日のみことばを味わっていきましょう。背景をお話しします。アダムとエバが神様によって造られました。その時、サタンは蛇の姿をもって人に近づきました。彼らはサタンの誘惑に惑わされ、「食べてはいけない」と言われていた善悪の知識の木から食べてしまいましたね。そこには神のようになりたいという思いがあり、神との約束を破り裏切るという行為がありました。

 この罪の結果、人は死ぬ存在となってしまいましたね。肉体の死だけではなく、神との交わりの断絶という「霊的な死」が入りました。神の愛がわからなくなり、孤独とむなしさ、罪悪感や恐怖。これらと隣り合わせの日々を歩む者となってしまったのです。

 しかし、まさに、このような死が人間の目の前に広がったときに、同時に神様から「将来にある希望」が語られたのです。勝手に背いていった人間に、なおも深い愛を失うことがない主です。やはり神は愛なのです。

まず、神様は悪魔へのさばきの宣告をなさっています。

14節 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。 

 神様はここで、人を誘惑したサタン、蛇の姿をとったサタンにさばきの宣告をしていますね。「腹ばいで動き回り、一生、ちりを食べることになる」という表現は、サタンに対する神のさばきの象徴的な表現です。彼をそれだけ貶める、辱めるという意味です。

 ただし、サタンが悪いのはもちろんですが、実はサタンには誘惑はできても、力づくで人に罪を犯させる権限はありません。誘惑はしましたが、実際に自分の意志で罪を犯したのはアダムとエバ、つまり人間でした。ですから、「私はサタンのせいで罪を犯したのだ、すべてサタンが悪いのだ」という言い訳は通用しませんよね。

 この点は私たちも同様です。誘惑した存在のせいにして、自分の意志決定から逃げることはふさわしくありません。ですから、16節以降では、人間に対する罪の報いとさばきが明確に語られているわけです。それは真摯に受け止める必要があることです。


2.キリストによる勝利の啓示

 それでも、主はその罪から救われる道を備えてくださっています。それがクリスマスですよね。15節に、クリスマスの主役であるイエス様の勝利が示されているのです。

15節 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」  

 神様は「おまえと女の間に、その子孫同士の間に敵意を置く」と言われました。ここで男の子孫とは言わず、「女の子孫」と語られたのは、処女降誕を意識して主が語られたことではないかと思います。

 ガラテヤ書4:4では、「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました」と説き明かされているからです。キリストが私たちと同じように、母のお腹から生まれた「まことの人」であることを示しています。キリストは人間の子孫として、人間の代表として、サタンの頭を打ち砕いてくださるのです。

 「おまえの頭を打ち」とあるように、キリストはサタンとその配下を打ち破ってくださる救い主です。ローマ1620節で、こうあります。「平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。」今日みことばを意識した表現ではないでしょうか。
サタンの妨げなど、無に等しい勝利の預言です。罪を犯し罪悪感にうなだれるアダムとエバの前で、神様はこのキリストの降誕の約束をも語られました。なんという励まし、なんという希望でしょうか。もうこの創世記3章の時点から、神につくすべての人間には「勝利」が約束されているのです。「原始福音」とも呼ばれる箇所です。
確かに、キリストを信じたクリスチャンであっても、つまずくことや道を間違えることがあります。罪を犯し、うなだれることがあるでしょう。しかし、私たちは忘れてはいけません。ここにあるように、キリストにある勝利はもう確定しているのです。何を恐れる必要があるでしょうか。
 

3.サタンのささやかな抵抗

 ここには、サタンのささやかな抵抗についても語られています。「おまえは彼のかかとを打つ」とありますよね。確かにキリストは、悪意ある者たちによって苦しめられました。キリストの弟子たちも迫害を受け苦しめられてきたし、これからもそうでしょう。しかし、苦しめられても敗北はしません。傷つけられても、その永遠のいのちが奪われることは決してありません。

 「かかと」とは、体のどの位置でしょうか。人間の体の部位の中で一番下ですよね。足元。蛇は腹ばいで地を這うようにされたので、人の頭や心臓にではなく、せいぜい足元にしか攻撃できないということです。傷つけられることはあるでしょう、痛むでしょう。けれど、致命傷を受けることはないのです。仮に毒を注入されても、キリストの十字架の血潮という血清がありますから、滅ぼされることなど断じてありません。

 むしろ、神様は悪魔のささやかな攻撃さえ、神の良いご計画のうちに用いることができる圧倒的な全知全能の力があります。悪魔に従う者たちの手によってキリストは十字架につけられたとも言えるでしょう。しかし、その十字架は神の救いのご計画です。人々の悪意も含めて、かえって救いのみわざが成し遂げられたのです。サタンはキリストを苦しめたつもりかもしれません。けれど、キリストは誘惑に惑わされることなく、自らの意志で、私たちの罪の赦しをなすために十字架に死なれたのです。


4.神のご愛を受けて


 私たちはこのところから、神様の愛を知ります。

ずっと前から、私たちは愛されていました。私たちにクリスマスを備えていて下さった壮大な神様の愛の計画を知らされます。世界の基の置かれる前から主は救いを備え、私たちを選んでくださっていました。最初の人が造られ、彼らが罪を犯したその直後に、既に人の罪の赦しのための、キリストの降誕と十字架の罪の赦しという勝利が宣言されていたのです。このように神様の愛ははるか昔から、私たちに注がれていました。

私たち今日、罪と死が始まったその瞬間にさえ、神の深い愛と勝利の約束が与えられていたことを教えられています。そもそも世界の基が置かれる前から、救いを備え、選んでいてくださっていたという恵みにも気づかされます。私たちがまだこの世界に存在していない、母の胎にさえ存在しなかった時に、主は私たちを知っておられました。私たちを見つめておられ、そのための救いをずっと前から用意しておられたのです。

 このクリスマス、私たち自身がまずこの愛を知りましょう。そして、この愛をこの世界に伝えていきましょう。ここには確かな勝利があること。救いがあること。まだ知らない方々に、伝えていこうではありませんか。 

引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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