東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 宗教二世問題からカルト的宗教を考える
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/12/01

宗教二世問題からカルト的宗教を考える

久しぶりに「牧師のつぶやき」の記事です。
昨今、TVでもネットニュースでも「宗教二世問題」が世間を騒がせています。

正統的と言われるプロテスタントやカトリック教会でも、この問題は他人事で済ませることはできないものと思います。ただし、あまり表面的な部分だけで考えると、結局は何の問題解決にもなっていかないと思われます。そういうわけで、今回は少し本質的な問題に切り込んで考えてみたいと思います。



まず、「宗教は怖い」という声についてはやはり表面的な意見だと感じます。むしろ、正確には「カルト的な宗教は怖い」とか、「悪意のために利用されると怖い」と考えるべきでしょう。なぜなら、私たちは、人権や男女平等の主張、平和を望む姿勢、福祉、教育、芸術など、実際は様々な分野で良い宗教の恩恵も受けてきているからです。

ですから問題は、それが「良いものかどうか(健全であるかどうか)」ではないでしょうか。これは宗教に限りません。家庭でも学校でも企業でも、人が集まるあらゆる組織において、パワハラもセクハラもいじめも不正も存在しているからです。

実は、私自身もカルト宗教や異端、不健全な組織の問題について自分なりに調べ、研究したことがあります。そこで学んだ特徴について、いくつかご紹介しましょう。


1.恐怖によって人を縛る(洗脳の手口)

① 恐怖心を利用する一般的方法

例えば、身近な例として子育てにおいても、親が恐怖心で子どもをコントロールするケースがあります。「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」「ご飯を残したらもったいないオバケが出るよ」など。小さな子どもはこれでも騙されて、手っ取り早く言う事を聞かせられる場合があります。ただ、こうした脅しでは、なぜ嘘がいけないのか、なぜご飯を残さず食べた方が良いのか、その本質を学ぶ機会を子どもたちから奪ってしまうことになります。

さらには子どもがそのうちに、この方法を用いて友達や親さえも脅しでコントロールするようになることを学んでしまうので、良い方法ではないのです。

宗教団体は、こうした恐怖をより深層心理に訴えかけるかたちで、繰り返し刷り込むことで洗脳効果をもたらすことがあります。たいていの場合、カルト的な団体は、様々な恐怖を刷り込んでいきます。「今の不幸は過去のたたりだ!」この特別な札を買わないと、あなただけじゃなく、あなたの家族も不幸になるなど。それをどんどんエスカレートさせていきます。「占い」がしばしばカルト的宗教的要素を含むのは、こういった部分でしょう。

「あなた、最近悩みがあるんじゃないですか?」
「人間関係で苦しんでいるでしょう?」

高いお金を払ってでも占って欲しい人はたいてい悩んでいます。
さらに、表情や受け答えを見れば、苦しんでいるかぐらいわかるものです。
そもそも苦しみの無い人はいないですし、悩みのほとんどは病と人間関係です。


これらは正統的なキリスト教会でも気をつけないといけません。神のさばきや滅びを聖書が語る以上に強調し続け、「とにかく怖いから信じるしかない」と思わせるのは、半ば脅しにもなりかねません。

押しつけ、押し売りは、聖書が教えているものではありません。

むしろ神様は、「自分から進んで喜びをもって信じていく」ということを大事にされ、喜ばれるのではないでしょうか。各人の意志を大事になさる神様です。

宗教二世の問題は、この部分に一つの本質的問題があるように思います。親が「良かれ」と思っていたとしても、それを強制し、恐怖心で無理やり信じさせるようなことをするならば、子どもたちの心は深く傷つくのは当然でしょう。

②ダブル・メッセージの問題

「信じるかどうかは、あなたの自由よ」と親が言ってさえいえば、この問題は起こらないでしょうか。実はそうとも限りません。親はそう言いながらも、本人が信じないと「不機嫌になる」といった明確な態度を現すと、結局子どもは「ああ、やっぱり信じたフリをしないとダメなんだ」と考えるでしょう。

こうしたものが宗教二世問題で横行しているのではないかと思います。

これは、ことばと態度が別々のメッセージを発している「ダブル・メッセージ」という手法になります。これはすべきではありません。聖書は心と行いが一致するように教えています。それが「誠実」ということであるからです。


2.偽りの正義心を植え付ける(マインドコントロール)

今度は恐怖心とは反対に、正義心をくすぐる方法です。こちらの手法は「マインドコントロール」と一般に言われるものです。洗脳は恐怖心を煽り、マインドコントロールは本人を英雄のように仕立て上げる。こんな感じで理解すると分かりやすいかも知れません。

この世界に失望し、怒りを持っている人ほど、コントロールしやすい。
友だちがあまりおらず、内側にこもる人ほど、コントロールしやすい。

上記のタイプ、日本人には多いのではないでしょうか?

最初は宗教団体であることを「隠して」近づき、とても親切にして、集まりに誘ってきます。この「隠す」ということが、そもそも「やましい」ことがあるからに違いありません。
名前をコロコロ変える団体もありますよね。様々な下部組織を持つケースもあります。

しかし、正統的なキリスト教会ならば、隠す必要が一切ありません堂々と教会であることを伝えます。むしろ、明確に伝えます(恥ずかしくて小さな声で言う人もいますけど 笑)。

良い場所、良いもの、すばらしい場所だと思うなら隠す必要性がゼロだからです。
もちろん、宗教は嫌い、キリスト教は嫌いと、相手に先に言われた場合は、言いにくいでしょう。それでも、もしお誘いするなら、ちゃんと伝えますよね。

少し話しがそれましたが、マインドコントロールでは、その人を正義のヒーローのように仕立て上げます。「あなたは神に選ばれた特別な人だ」と言われ、「この世界を救うために我々の仲間にならないか」と、その人の必要性をしきりに訴えるでしょう。ある宗教では、この世界のあらゆる書物は「悪魔の書」であると極論し、救われていない人間のことばは「悪魔のことば」だから、惑わされてはいけないとも断じます。

こうした極論は、普通は「おかしい!」と思うものですが、巧妙に繰り返し聞かされ、しかも周囲の人がみんなそう考えている環境に置かれると、「自分がおかしいのでは?」と思えてくるのです。次の集団心理、情報遮断が、洗脳やマインドコントロールには必須の要素でしょう。

この点も気をつけないと、キリスト教会でも英雄になりたがる人の心理を利用してしまうことが起こり得るでしょう。そういう意味でも、聖書が語っているように人は誰でも「不完全」で、「罪ある者、歪みのある者」であることもお互いに確認し合う必要があるでしょう。

3.集団心理と情報遮断

例えば、収容所などに長時間拘束して、繰り返し教えを聞かせるなどです。そうすると、外界からの情報が遮断され、疲労が蓄積し、思考能力が落ちていきます。そのような極限に追い込むことで、人は冷静な判断を失います

さらに、大勢の人々が「さくら」のように存在します。それらの群集は、まるで役者のようです。一見「とても良い人」を装うことは、マニュアルで学び済みです。そのような善良そうな大勢の人がみな、一様に教祖をほめるのです。その教えをたたえるのです。

疲労し、他の客観情報を失ったその人は、周囲のその雰囲気に呑まれ、しっかりと洗脳、コントロールされていくことでしょう。

このあたりも、キリスト教会でも注意が必要です。
キャンプや修養会などはすばらしい良いものですが、極限まで疲労させたり、みんなが同じ意見じゃないといけない雰囲気を作ったり、そうやって本人の本心が出しにくい状況を作り上げてはいけません。むしろ、いつでもその人が本当に思っていることを、正直に話せる雰囲気を大事にしたいものです。


4.とにかく情報が隠されている

これは先ほど少し触れました。「隠している」ということは、やはりやましさがある場合が少なくないでしょう。様々な理由をつけて出さない、見せないということをするでしょう。

たいてい隠されていることは・・・

①その宗教団体の会計報告
お金を隠すのは、悪いお金の集め方、使い方がなされている可能性を示します。総会などですべての会員に会計報告がなされ、また予算についても皆で確認できる仕組みがあるといいと思います。結局偽りの宗教は「お金儲け」のためにしていることが多いからです。

②団体名を隠して広報したり、誘ったりする
巧妙な理由をつけて、名前を隠すことでしょう。「世界家庭連合」なんてことばから、とある宗教だと分かる人がどれだけいたでしょうか。名称を隠すなんて、本当に意味がわからない行為です。自分たちの名前に誇りを持ち、正しい良いことをしているなら隠す必要はないずです。

5.従順と盲目の違い

親に従順に従うことは、決して悪いものではありません。親や大人を尊敬し、そこから教えを受けることはとても大切なことです。しかし、全く「反対できない」「逆らえない」環境を作っていくことは、カルト的手法です。そこに盲目的追従が生まれ、それが悲劇を生みます。

思考停止をさせるのがカルトですが、思考をフルに生かして歩むのが本当の信仰生活です。考えることをやめてはいけません。

宗教二世問題は、親よりも立場の弱い子どもたちが、盲目的に従う環境にされてしまい、苦しんでいくことになります。正統的キリスト教でも、従順を教える一方で、きちんと本人が自分で考えることや反対意見を言える関係を築くことを大事にしていかないと危険です。


少しまとめましょう

恐怖心にせよ、英雄心をくすぐるにせよ、情報遮断等の方法で「思考停止」をさせるのが問題です。考えることをやめないようにしましょう。疑問を持っても良いのです。

それから、「隠す」のは危険な傾向だと知りましょう。
特に会計を隠すのは危険です。ちゃんと見せてもらえるか確認しましょう。

一見良さそうな人に見せることは難しくありません。その人の本質をしっかりと見るということを意識しましょう。

私たちキリスト教会でも、知らぬ間に似たようなことをしてしまう危険がないとは言えませんので、聖書における神様のご愛をしっかりと学び、脅しや強要、騙すなどの方法が用いられないようにしていきましょう。

引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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