東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 年末感謝礼拝 エペソ5章15-20節「すべてのことを感謝して」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/01/01

年末感謝礼拝 エペソ5章15-20節「すべてのことを感謝して」

*** 12/31(日)年末感謝 主日礼拝 ***

 今年は暦の上で、正真正銘「2023年最後の日」に日曜日となっており、この時に礼拝がささげられますことを感謝いたします。元旦礼拝はありませんが、今から12時間もすれば新年でありますから、年の締めくくりであり、同時に新しい年を意識しながらみことばに聴いて参りましょう。



 この一年は、あなたにとってどのような一年であったでしょうか。辛いことや大変なことが多くあった方もいらっしゃるでしょう。健康について試みられた一年だったという方もいらっしゃるでしょう。あるいは、多くの恵みをいただいたと実感している方もいらっしゃるでしょうか。

 社会全体では、コロナウイルスの問題がようやく落ち着いてきて、教会でも食事会などが持たれるようになってきました。キャンプや修養会等も徐々に対面で行われるようになりました。しばらく会えていなかった人に、ようやく会えたという喜びもありました。

 イエス様の母マリアが、語られたことや自分の身に起こったことを「思いめぐらした」ように、私たちも主からの恵みを思いめぐらし、新しい年に希望と期待をもって歩んで参りましょう

 

1.いつでも、すべてのことについて感謝せよ!

 この一年の終わりに、特に目を留めたいのは、エペソ520節です。

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。 

 いつでも、すべてのことについて、キリストの御名によって、父なる神に感謝するようにと語られています。では「いつでも」、そして、「すべてのことについて」感謝せよとは、どういうことでしょう。自分にとって良いと思われることだけを感謝すればいいのでしょうか。違いますよね。

 そう思えないことについて感謝するのが、「いつでも、すべてのことについて」ということばの意味でしょう。その証拠に、この手紙を書いているパウロが悪い時代だと言っているのです16節にこうありますね。「機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです」。良い時代、良い環境ゆえの感謝ではないのです。むしろ、機会を十分に活かさなければならない「悪い時代」だと言うのです。都合の良い時だけの感謝では、みことばに沿った感謝の仕方ではないと教えられます。むしろ悪い時代だからこそ、しっかりと神様の恵みに立って、感謝して生きるように励ましているのです。

 そして、このような悪い時に、すべてを感謝するためには、賢くある必要があるわけです。その「賢さ」とは、もちろん人間的な賢さではありません。

17節に「愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい」とあります。

 ですから、神のみこころを知らないでいることが愚かであり、神のみこころが何であるかを悟る人こそ賢い人だと聖書は教えているのです。愚かなままでは、すべてのことに感謝することは到底できません。それでは、良く見えることしか、感謝できないでしょう。

 しかも、私たちの周りで起きていることを考えれば、悲しいこと・辛いことの方が多いぐらいです。ともすると本当は良いことなのに、それさえ悪く見えてしまうのが「愚かさ」です。私たちは、この愚かさから出たいですよね。そう思いませんか? 

 この世界を治めている神様のみこころに目が開かれ、主の光の中を歩みたいのです。では、どうしたら良いとみことばは語っているのでしょうか。

 

2.キリストの御名により、御霊に満たされることによって!  

20節では、いつでも、すべてのことについて感謝する「方法」についてもパウロは教えているのです。まず20節では、「主イエス・キリストの名によって」とあります。

私たちは、このキリストの十字架の死と復活によって、新しいいのちを受け、神との親密な交わりを回復させていただきました。キリストによって始まった信仰生活です。ですから、神様への賛美も、神様への感謝も、キリストを通してできる者とされているのです。ただ、そのようにして信じたクリスチャンであっても、いつも不満ばかりで心からの賛美や感謝ができないということがあります。

なぜなのでしょうか。

それは、神の子とされているのに、その御父である神様のおこころが分からないでいるからです。それゆえに、多くのことが「不条理・理不尽」にしか見えません。恵みや祝福が見えて来ないのです。しかし、本来神の子とされた人には、その父である神様のおこころが深く豊かに知り得る特権が与えられているのです。

その特権を自分のものとするには、どうしたらいいのでしょう。

それが、18節にある「御霊に満たされる」という方法です。実は、今日の中心聖句の20節は、厳密な文章のくくりとしては、18節の「むしろ」からつながっている一つの文の結末なのです。節ごとに文が切れているわけではありません。原文では、18節後半から一つの文が20節まで続いているのです。では、この長い文の主たる動詞はどれかでしょう。それが「御霊に満たされなさい」なのです。

ですから、20節の感謝しなさいの所は、文脈的には「御霊に満たされて、感謝しなさい」ということです。御霊によって、神のみこころを悟り、あらゆることについて感謝できる者とされていくのです。これを知らないために、感謝できないままであります。

この御霊は、他の聖書箇所では「助け主」と言われます。私たちの人生・信仰生活を確かに助けてくださるのです。また別の箇所では、「キリストの心」とも語られ、神のみこころの深みまでも私たちに示すお方だと言うのです。

御霊に満たされるとは、自分の心の統治権をキリストにゆだねることと同じです。ですから、あなたがキリストに自分の心の王座を明け渡し、キリスト中心に生きようとするなら、御霊が豊かに働き、みこころがわかる者とされます。これによって、今まで気づかなかった神の良きご計画やそこにある愛と恵みに気づかされていくのです!!

そうすることで19節にあるように、 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美」ができるようになります。主が歌わせてくださるのです。そして20節にあるように、いつでも、すべてのことについて、感謝をささげる者とされるのです。

 

 どなたでも、一見、歓迎できない出来事があるでしょう。けれども、御霊に満たされて、神のみこころが何であるかに目を留めるならば、そこに光が当てられていきます。過去の辛い出来事、思い返したくないような悲しいこと。それらをもう一度、神の視点で、福音の光に照らして見詰め直したいのです。私たちの過去のすべてを福音の側に買い戻していきたいのです。

 神の子は、10節にあるように、「何が主に喜ばれることなのか」を吟味する者となることができます。さらには17節にあるように「みこころを悟る賢い者」とされていきます。これらはすべて、「御霊による」のです。クリスチャンでなくても、良いことへの感謝はできるでしょう。しかし、御霊の思いは、良くないと見える中でさえ、感謝の光が見える者とされていきます。

  プロゴルファ中島常幸さんのお証しを少し紹介します。中島さんはある時期、イップスという精神的な弱さを持ち、クラブを持つ手が震えてうまく打てないという病になりました。それゆえに思うような成績が残せず、長いスランプを通ったのです。クリスチャンであった奥さんは、ご主人のために祈り支えようとしました。しかし、中島さんは「祈るな!俺はお前の祈りがないと勝てないと言いたいのか!」と、奥さんにも当たったと言います。奥さんはそういう試練の中で、もう一度神様に向き合い信仰面で成長し、一方で常幸さんにも転機が訪れました。テレビ番組で、脳腫瘍にかかったお子さんの姿を通して気づきが与えられました。その時、『人間は生きているだけで素晴らしいんだ』とその子が語りかけてきたそうです。常幸さんは、スランプの中で、『こんな弱い自分は自分ではない』と自分を否定していたのです。しかし、その子のことばから自分はなんと傲慢だったのかと気づかされたと言います。大好きなゴルフができている。たくさんの応援してくださる方がいる。それだけで感謝なことなのだと。その時から、スランプについての考えも変わりました。むしろ、『スランプは、自分に気づきを与えてくれる先生なんだ。このスランプを乗り越えた先の新しい中嶋常幸に会ってみたい』と思えるようになったと言います。

 キリストを信じ、御霊によって生きる者ととされ、中島さんはスランプさえも、自分に気づきを与えてくれる先生だと受け止められるように変えられました。彼はこの出来事を「神様の備え」であると振り返っています。キリストなしには、スランプは最悪な出来事でしかありませんでした。奥さんの祈りさえ拒絶していました。しかし、キリストを通して、御霊の助けをいただいて、嘆きが賛美と感謝へと変えられていったということでしょう。

これは、キリストによって神と和解し、御霊に満たされるようになった神の子の特権なのです。人間の目には悪く見えることでも、神様のみこころに目を向ける時、そこには良いご計画があるからです。愚かにも肉の目で見えることがすべてだと考えるなら、感謝もなく、未来への希望も見えないでしょう。それぐらい暗闇の世界だからです。

けれども、一見そう見える世界の背後に、神様の豊かな最善のご計画があることを悟るならば、そこに光が見えます。これは、私たちキリスト者にしかできないことです。この光について証しすることが、神の御霊をいただいた私たちの特権であり、使命ではないでしょうか。

 

 ご一緒に教えられて参りました。みことばは、いつでも、すべてのことについて感謝せよと教えています。それがキリスト者の特権であり、証しとなるのです。ただ、それは肉の思い、自力では不可能です。みことばにある通りに、キリストによって神との交わりを回復し、その上で御霊の満たしによって真の賛美と感謝をささげる者となりましょう。キリストに私の心の統治権をゆだね、キリストの心なる御霊に導いていただくのです!

一年を振り返って、スランプやトラブルの中にさえ、「主の恵み」があることに目を開かれましょう。そして、それを乗り越えた新しい自分と出会えることを楽しみにして、新しい年に向かっていきましょう。

引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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