パウロは第一コリント3章1-3節で、このように語っています。
1
兄弟たち。私はあなたがたに、御霊に属する人に対するようには語ることができずに、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように語りました。
2
私はあなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
3
あなたがたは、まだ肉の人だからです。あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか。
ただ、先ほども話したように、クリスチャンになってからも神を悲しませる歩みをしてしまいます。それは、御霊を持つ者でありながら、御霊を無視して肉に従って生きているからです。御霊の思いよりも、自分の思いを最優先させているのです。けれども、それは・・・とても「もったいない事」だと思いませんか。
この恵みを受け取れていない人について、このようなたとえ話があります。ある人が豪華客船に乗りたいと思って、必死にお金を貯めてなんとかチケットを購入できました。しかし、一番安いエコノミー乗船券なので、食事は付いていないと思っていたのです。それでこの人は、自分で非常食を沢山持ち込んで船旅をしていました。皆さんが美味しそうなご馳走を食べているのを横目で見ながら、ひもじい旅を続けました。しかし、その食料さえもやがて尽きてしまいました。そこで、「掃除でも何でもするから少し食べ物を分けてくれ」とお願いする始末です。ところが、実際には、そのエコノミー券には3食の豪華な食事がセットでついていたと知らされます。なんともったいないことでしょうか!!彼はその特権を持ちながら、それを知らずに、ひもじい思いをして過ごしてしまったのです。
しばしば私たちもこれと似たことをしています。御霊を既に受けているのです。そこには素晴らしい神の力を受けられる特権が付いているのです。誰でも自由に御霊に従って、神様に喜ばれる歩みができるのです。なのに、それを用いないで、肉に従い、むなしい歩みをしてしまっているのです。
9-11節では、この真理を繰り返し語っています。
9
節 しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
10節 キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
11節 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
少ししつこいぐらいに言います。イエスを信じているなら、あなたは御霊の特権を持っています。死んだ行いではなく、いのちに至る行いに歩めるのです。
ですから、御霊に従うことができる備えはもう完璧です。あとは、従うだけです。
「御霊に従う」ということがよく分からないという方のためには、言い方を変えましょう。それは、みことばに従うことと同じです。そして、キリストに従うことと同じです。なぜなら、神様は三位一体だからです。みことばは神様の意志、神様の心そのものです。ですから、聖書のみことばに従うことは、神様に従うことであり、御霊の願いそのものです。ですから、御霊は聖書に生きることを助けてくれるのです。あなたがそれを求めさえすれば!キリストもまた、父と聖霊と思いは一つです。ですから、キリストの教えに従おうとするなら、御霊が助けてくださるのです。
肉に属する歩みを悔い改め、御霊に属する道へと方向転換しましょう。主を悲しませる歩みから、主を喜ばせる歩みへ。子ども服を着たクリスチャンから、大人の服が似合うクリスチャンへと変えられていきたいのです。