*** 11/24(日)礼拝 説教概略 ***
昨日はよく笑う一日でした。関東南地区の修養会があり、講師の豊田先生のお話は、非常に辛いところを通って来られたはずなのに、非常にユーモアにあふれてよく笑った修養会でした。色々な方ともお話でき、非常に嬉しいご報告なども伺えて自然と笑顔になれました。「神にあって喜び楽しむ」。これこそ、様々な病に効く一番の薬であるように思いました。
山形大学医学部が1.7万人に行った研究によると、よく笑う人は、ほとんど笑わない人に比べて死亡リスクが2分の1だそうです。他にもよく笑う人は、血糖値が下がりやすく、血圧の上昇を抑える効果も報告されています。ノルウェーで15年かけて行われた調査では、よく笑う人は、感染症による死亡リスクが激減する、7~8割低下との結果が出たそうです。もちろん、笑いの質も色々ですから、毎日嘲笑っても効果はないでしょう。平安のうちにある喜び、安らぎの笑顔でしょう。
私はやはり、教会に通うようになって、より笑えるようになったと思います。困難な時でさえ、「何とかなるさ」と、主に期待し、実際に主が何とかしてくださるので嬉しくて仕方がないのです。もっと早く信じて歩めば良かったとも思うのですが、18歳で信じられたのは本当に幸いでした。ただ、高齢になってからでは意味がないかと言うと、全くそんなことはありません。むしろ、ご年配の方ほど、1分でも早くイエス様を信じ、希望を得て笑顔になっていただきたい。1分でも若いうちに、嘆きを喜びに変えてくださる主と歩んで欲しいのです。教えられましょう。
7節 光は心地よく、日を見ることは目に快い。
当たり前ですが、「光」がなければ人は滅びます。我が家で飼っている夜行性のフクロモモンガでさえ、日に全然当てないでいると骨が弱くなるので、間接的にでも日に当てるようにしています。光の中に歩むことは、心も体も癒され、元気にするものであります。ただ、より霊的な意味では、それは闇を照らすまことの光であるキリストとともに生きることです。イエス・キリストこそ、私たちを照らしてくださる「まことの光」です。それは肉体だけでなく、心やたましいを照らし、健やかにしてくれるのです。
ただ、ここでは、時間的な早さをも意図しているかも知れません。夜遅くではなく、まだ「明るい早いうちに」ということです。それは人生の話です。人生の終末期を「晩年」と表現するように、人生において日が暮れて何もできなくなる前に、少しでも若く早い時期に、主の光のうちを歩むようにしなさいということです。それは本当に心地よく、快いのだからと。それは8節にあるように、長生きするなら、尚のこと大事です!
8節前半 人は長い年月を生きるなら、ずっと楽しむがよい。
光の中にいる時間を多くし、霊肉ともに健全に保ち、楽しむべきことを楽しむのが良いに決まっています。しかし、8節後半には、こうも語られていますね。 「だが、闇の日も多くあることを忘れてはならない。すべて、起こることは空しい」と。人生において楽しい平和な日々なら、高慢な私たちは、「神なんていらない」と言い始めるでしょう。ノルウェーのハレスビーという牧師は、平穏すぎる日々は、かえって私たちの信仰を弱らせてしまうことを指摘しています。ですから、神様は愛する子に、あえて試練もお与えになるのです。これは同じ愛でも、「父性的な愛」に分類できそうです。
ですから、避けることのできない闇の日々もあることを覚えておくようにと言うのです。この闇とは5章17節では、「苛立ち(苦痛)、病気、激しい怒り」と結び付けられていました。人には老齢、病弱、逆境などの闇が訪れることが必ずあるのです。そして「苦しい時の神頼み」と言うように、最後は神様しか頼るところがないという状況が起こります。ですから、闇の日も多くあることを忘れないで生きるとは、神様を必要として生きるということです。私たちが笑顔で幸せに生きるためには、絶対に神様が必要だからです。また、「すべて、起こることは空しい」ともあります。これは、身に降りかかるすべての出来事は、人には分からないものという意味です。人には分からない。でも、神様には分かる。だから「神とともに歩め」ということです。
続く9節も内容としては7-8節と内容がとてもよく似ています。
9節 若い男よ、若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたは、自分の思う道を、また自分の目の見るとおりに歩め。しかし、神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。
若い時代は人生において必ずしも長くはありません。あっという間です。ですから、その若い時の機会を無駄にしてはならないのです。そのチャンスを生かすように励ましています。「若いうちに楽しめ」、「若い日にあなたの心を喜ばせよ」とあります。これは決して、快楽主義や「今さえ良ければそれでいい」というような刹那的な人生観ではありません。ただ、「光陰矢の如し」と言われるように、時はすぐに過ぎていくのですから、今ある日々とその機会を大切にせよという迫りです。
実際のところ、年齢とともに様々な弱さが出るのはごく当然のことです。人間の体も消耗品ですよね。やっぱりガタが来ます。記憶力も意欲も衰えます。ですから、5年後より1年後、来月より今月、明日より今日、あなたにとって少しでも若い時に神様を恐れる者となり、楽しみ方、喜びの道を教えていただくのです!それは、この11章前半で「パンを水の上に投げと」語られ、失敗を恐れず挑戦せよと語られていたことにも繋がります。
いつまでできるか、それは誰にもわからない。いつ失われるかわからない。だからこそ、今できる時に「求めよ!」と主は教えておられるのです。9節後半は、神のさばきがあるのだから、出来る時にその備えをしなさいと教えられています。それは、12章1節の結論へと導く伏線でもあります。人は誰でも必ず死と死後のさばきを迎えるのです。だから、若い時からあなたの創造者である神を覚えて歩みなさいと言うのです。
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
神を知った上で、神とともに今の日々を楽しみ喜ぶようにと。そうすれば、いつやって来るかも分からないさばきの日への最高の備えができる。それとともに、何よりもこの世界を造られた方から、この世界の楽しみ方を教えられ、真に楽しみ喜んで生きることができるのです! クリスチャンライフは、窮屈で教えに縛られた修行生活ではないのです。禁欲主義ではないですよね。むしろ、愛と真実なすばらしい神様との輝かしい日々を与えてくれるものです。罪の苦しみから解放し、暗闇から光へ導かれるものです。若い日に、神とともに生きる道を学ぶならば、闇の中に置かれても暗くなくなります。たとえ病に襲われてもそこに神の計画があることを知ります。いつでも希望にあります。
最後に10節です。
10節 あなたの心から苛立ちを除け。あなたのからだから痛みを取り去れ。若さも青春も空しいからだ。
「心から苛立ちを除け」とあります。「苛立ち」というのは、人生の苦悩から来るストレスや苛立ちのことです。それは、パウロがローマ書の中で苦悩している姿に通じるように思います。彼は、自分がしたいと願う善ができず、かえってしたくない悪をしている自分に気づき、愕然としたわけです。やるべきことがあるのに、ついつい後回しにしてしまう弱さ。頭ではわかっているのに、正しくできない自分への苛立ちです。あるいはそれは、続いて語られている「からだの痛みを取り去れ」という話とも関係します。この「痛み」という語は、英訳聖書で「evil(邪悪なこと)」と訳されているものが幾つもありました。その理解であれば、「肉体の邪悪さ」を取り除けといった意味になります。それは、自分のからだを痛めつけるような、「罪深い乱れた生活をやめよ」という警告でしょう。そのような理解が自然であろうと思います。
若い時は特に、暴飲暴食や性の誘惑、肉体を酷使して遊んでしまうこともありますよね。しかし、それらを正しく治めることは容易ではなく、健康を害して反省する場合も少なくありません。パウロは、私は本当にみじめな人間で、「だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」と訴えています。神様がせっかく楽しく有意義で、喜びある人生を与えておられる。
それなのに、心も体もみこころに沿って管理できない。欲望のままに用いてしまう。結果として、様々な問題、病、苦悩が生まれるのです。しかし、パウロは、嘆きへの答えを得た人です。キリストにある救いの恵みを得ました。罪の支配から自由にされ、心もからだも解放される道を知ったのです。イエス様を信じる者は、罪の苦悩から解放され、試練の中でさえ平安をいただけるのです。そして、ここでは少しでも若く、少しでも元気があるうちにと語られます。それはなぜでしょうか?10節後半に理由があります。「若さも青春も空しいからだ」と続きます。
それは、若さも青春もあっという間に過ぎるからだということです。「青春」と訳されたことばが興味深いのは、「夜明け」や「朝の光」を指す時にも使われることです。夜が明け、朝が来た!と思っていると、あっという間に昼になり、「ああ、もう夜だ」となります。ぐうたら寝てばかりいると、一日はすぐ終わるのです。あるいは「青春」という語には、「黒い」という意味もあって白髪になる前の、髪が黒い時という意味で「青春」なのだと解釈する学者もいます。
いずれにせよ、あっという間に時は過ぎます。ですから、弱って衰える前に、元気で色々できるうちに、神様を信じて様々な痛みや課題を早く取り扱っていただきなさい。そして力を得て、喜びある人生を歩みなさいというのです。もう「若くないから」と諦めないでください。少なくとも、来年より今年は若い。来月より今月の方が若いのです。少しでも若い時に、心から楽しみ喜べるようにしませんか。
結局人生は積み重ねだと私は思います。良いものを積み重ねていけば、年を経るごとに、その恩恵を得られるのです。みことばを読み続けてください。恵みを聞き続けてください。良い交わりを積み重ねてください。感動したこと、心から喜べたこと、その思い出を大切に積み重ねてください。始めるのは早ければ早いほどいい。神にある喜びの日々、感謝な日々を少しでも多く積み重ねませんか。それがあなたを支えてくれます。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
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