東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記1章26-28節「なぜ学び、なぜ働くのか」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/11/11

創世記1章26-28節「なぜ学び、なぜ働くのか」

*** 11/10(日)主日礼拝 説教概略 ***

「勉強はあまり好きではない」という方はいらっしゃるでしょうか。学ぶ理由がわからないという方もあるでしょう。しかし、実に3~4歳の子どもたちの多くが、質問して学びなさいと教えられていないにも関わらず、「なぜ?」「どうして?」といった質問を頻繁にします。これは心理学では「質問期」と呼ばれます。これによって子どもたちは、生きるのに必要なことを学んでいくのです。誰からも教えられていないのに、自分から問いかけ知ろうとする。これは、神様が人をそのように造られた証拠でしょう。この時期に大切な真理を教えてあげられるといいですよね。学ぶ意欲も増してきます。



 また、「何のために働くのか」という部分で悩んでいる方もいらっしゃるかも知れません。働くことの中には、家庭を整える家事や育児も当然含まれています。様々な社会貢献、教会の奉仕も大切な働きですよね。この「働く」ということも、創造の初めからあったことであり、人間が人間であるために大切なことでした。「なぜ学び、なぜ働くのか」、その動機やその恵みについて、聖書は何と語るのでしょうか。聖書は、神様が造られたこの世界を大切に守っていくために、人は学び、働く存在として造られたと教えています。

 

1.神の創造を学ぶこと  

26節 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」 

「さあ、人を造ろう」と神様はご自分の意志を表明しています。3択クイズです。創造の中で人間は何番目に造られたでしょうか。

1.最初 2.太陽や月よりは後で、他の動物より先 3.最後 

 人の創造は最後ですよね。それまでに水も太陽も月も、植物も動物も人に必要な一切を主は造られました。神様が働いて万事を整え、それから「さあ、(いよいよ)人を造ろう」と、主は人を造られたのです。ゲストを招くなら、全部整えてから招きますよね。そうすると、人間が神様にとってどれほど特別で、大切であるかがわかります。

 あなたは本当に大切な存在なのだと聖書は言うのです。聖書を学ぶと、人の存在価値が見えて来るわけです。

 さらに言うと、神様は必要な物だけでなく、人が楽しめる多くの豊かな物も造られました。世界にはクワガタだけでも1500種類。いや、まだ見つかっていない新種も沢山いるでしょう。神様は必要な物だけでなく、楽しめるような宝物を世界に散らばらせていらっしゃるのです。「世界は神を映す鏡」とも言われます。世界を学べば、神が見えてきます。なぜなら、世界は神様が造られた物なのですから!

 しかし、それを知らないままでは、創造の素晴らしさもそこにある神の愛もわかりません。実際、皆さんの周りには、神様の創造の意図もこの世界の素晴らしさも、自分の存在価値もわからなくて、苦しんでいる方々がいらっしゃるでしょう。自分が何者か、なぜ生かされているのかという根本的な事がわからないので苦しいのです。本当に大切なことは何かも学ばないと分かりません。学ぶ理由、働く理由にしても「義務だから」、「生きていく上で仕方がないから」という発想にもなるでしょう。

 生ける神様を知る私たちが学んで伝えたいと思いませんか。そういう方々を助け、幸せになって欲しいと願いませんか。そもそも、誰かを助けるためには、無知でいてはいけません。様々なことを学んでいて、知識が豊富な人は、話していて面白いですよね。話題が豊富で、様々な分野に精通しているので、色々な人を楽しませる。だから、話を聞いてもらえるので、福音も伝わるのです。人を助け、救いたいのなら、無知でいるべきではない。もっと学ぶ必要があるのではないでしょうか。

 

2.神の使命を知り、そこに生きること  

 神の創造を学ぶ時、人は自分が何者であり、その使命は何であるかを知ることができます。26節にありますように、人は「神のかたち」に創造されました。27節でも繰り返し強調されていますよね。それは、人は神様に似せられたということです。なんと光栄なことでしょうか。子どもが親に似るように、人はその父なる神様に似せられ、その素晴らしい性質を受け継がせていただいたのです。それで、人は神様との親密な交わりを持つことができ、愛し合い、ともに同じ使命に向かって歩める存在なのです!それでは、神様は人にどんな使命をゆだねてくださったのでしょうか。 28節にこのように命じておられます。

28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」 

 このご命令は、「文化命令」とも言われます。宣教命令だけでなく、世界をみこころに沿って管理し、守り、豊かにしていくという文化命令、世界管理の命令です。ですから、少し後の215節を見るとこうあります。「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。」罪がまだなかった人間は、こうしてエデンの園を耕して豊かにし、管理して守るという仕事を、神様から与えられていたのです。詩篇8篇にもこうあります。

5節 あなたは 人を御使いより わずかに欠けがあるものとし これに栄光と誉れの冠を   かぶらせてくださいました。6節 あなたの御手のわざを人に治めさせ 万物を彼の足の下に置かれました。 

 神様は、有限で小さな私たちに、この世界を治める力と知恵を授け、その使命を託してくださったのです。それを知らないと人生の迷子です。どこに向かえばいいのか分からないのです。私たちは神様から、この世界を任されました。期待され、信頼されて。

 でも、よく考えてみてください。本来、ご自分で支配できる方です。ご自分でこの世界を全部治めた方が早いし、完全でしょう。しかし、神様は人をご自分の子どもと考え、子である人に世界を任せようと考えられたのです。神様は人をどれほど愛しておられるのでしょう。実際、私たちも他の人と一緒に協力して何かをする方がもっと楽しく豊かではないでしょうか。また、自分が関わった人が成長し、変えられていく姿を見ると嬉しいですよね。リトリートでは、子どもたち、若い世代が、本当に主にあって成長しているのだなと実感し、賛美の最中に涙が出ました。妻も泣きながら賛美したと後で聞きました(笑)。

 若い人に限らず、皆さんの霊的な成長を見ると本当に嬉しくなります。きっとそれは、神様ご自身がそうなのだと思うのです。人は学び成長していける存在です。成長すると、より良く世界を治めることができるわけです。神のかたちですから、神様のお姿へと成長していける存在。そのために学び、世界を豊かに守り管理して欲しいとあなたに期待しています。

 

3.学んだことを活かして、神に仕える  

 また、学んだ知識は持っているだけでは意味がありませんよね。昨日は、ある兄弟に車のバッテリーを交換していただきました、タイヤやその他のことも詳しく教えていただきとても助かりました。また、ある兄弟はベースギターの修理をしてくださって、ジーッという音が鳴らなくなりました。学んだ知識は自分の中だけに留めているのはもったいない!それらを人や神様のために用いる時、こうして役立ち実を結ぶのです。感動や喜びを味わえるのです。実際、神様は世界を人に学ばせ、それを用いることをなさっています。

創世記219節です。
神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。 

 神様は人間に、動物たちの名前を付けさせる仕事を任せました。名づけるために、人は動物たちを観察し彼らを学んだことでしょう。そして、学んだゆえに相応しい名前をつけました。これは、動物たちを管理し守る仕事の第一歩と言えるでしょう。こうして生態系を理解して、その知識を生かして彼らを育て、人や世界に役立て、ともに生きていくことができるのです。我が家ではフクロモモンガを飼っていますが、飼ってみないと分からないことが多いです。でも、わかってくると楽しいし、何がお互いにとって良いのかが分かります。フクロモモンガはトイレをしつけることができないと言われています。でも、実際に飼って学んできた結果、トイレもかなり管理できるようになりました。タイミングがわかり、また尻尾や動きを見ても判断できるようになりました。人は学ぶことで、成長し、この世界をより良く管理できるのだと、小さなことからも教えられます。

 

4.どんな動機で働くのか  

 この世界を治めるのが神様から命じられた私たち全員の仕事だと学びました。家事も育児も、ビジネスも奉仕も世界を管理し守る一環です。ただ、もっと本質的な動機の部分で「どんな動機で働くのか」を考えてみましょう。動機は私たちが喜んで働く上でとても大切なことです。それは必ずしも楽しい好きなことに限らないのです。辛く大変な仕事であっても、それをどんな思いでするのか。どんな動機でするのか。それは私たちが選べることです。

 しばしば、仕事の内容は選べません。希望した働きと違うところに召され、畑違いで困惑することもあるでしょう。やりたくない仕事かもしれません。けれども、それをどんな思いで、どのような動機でするかは選べます。あなたが決められることなのです。

 有名な話で、何度も聞いておられるものかも知れません。沢山のレンガ職人がある場所で働いていました。そこである人が、レンガ職人の様子を見て回り、何人かに「ここで何をしているのか」と尋ねたのです。①ある人は「レンガを積んでいるのだ」と答えました。その人は「なんでこんなしんどい仕事をしなきゃいけないのか」と暗い顔でした。②しばらく行き、別の人にも尋ねました。するとその人は答えました。「収入のためにやっている。家族を養うためだ。大変だが仕方がない。」と。先ほどの人よりは、いくらかやる気は感じられました。③もう少し先に行き、また別の職人に尋ねました。するとこう答えました。「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているのだ。大変だって?いや、ここで多くの人が祝福を受け、希望を持てるようになる。こんなに名誉な仕事はないよ!」と喜んで働いていました。

 3人は同じ仕事をしているのです。作業はみんな同じです。同じ大変さです。しかし、目的意識や動機がまるで違うのです。そして、この違いが、働きの違いを生み、その人の人生そのものをも大きく変えるのです。

私たちは生きるにも死ぬにも、何をするにも神の栄光を現すために働くことができるのです。生きるため「仕方がなく」ではなく、良い評価を得るためでもなく、自分の喜びのためでもありません。あなたのために、死んでよみがえられた方の栄光を現すためです。この愛に応え、この愛を多くの人に知らせるために働くのです。このモチベーションほど堅固で、揺るがないもの、そして、誰にも奪えない強いものはありません

 なぜ学び、なぜ働くのでしょう。神様が造られたこの世界を大切に守っていくために、人は学び、働くのです!私のためにいのちをささげてくださった方の栄光を現すため、この愛を世界中に伝えるため、学び働くのです。



引用元聖書
<聖書 新改訳2017
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会   

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