*** 1/5(日)新年礼拝 説教概略 ***
長いと思っていたお休みも終わり、今週から仕事や学校という方も多いでしょうか。休み明けってしんどいですよね。必ずしも晴れやかな気持ちでここに来たというわけではないかも知れません。むしろ、ややブルーな心境の方もいらっしゃるでしょう。だからこそ、主のいのちのみことばをいただきましょう。内側から力をいただき、主の力で歩んでいきましょう。神様はあなたといつもともにおられます!
さて、かつて「成人病」と呼ばれていたものが、今では「生活習慣病」と呼ばれています。このことばを広めた方をご存じでしょうか。聖路加病院の元院長、クリスチャンとして知られる日野原重明さんです。彼は「生活習慣病」と表現することによって、日々の歩みの大切さを強調し、これによって病の予防に大きく貢献したと言われています。健康に劇的な治療薬はなく日々の積み重ねなのです。
その点は信仰生活も同様ではないでしょうか。急劇な信仰の成長はありません。一度のキャンプや修養会で劇的に変化し、「もう試練が全く怖くなりました!」ということもないでしょう。そういったことも含めての信仰生活の積み重ねではないでしょうか。ですから、普段から「恵まれやすい器」になることをお勧めします。霊的な体質改善とでも言ったら良いでしょうか。恵まれにくい体質ならば、恵まれやすい体質へと、生活習慣の改善によって変えられていくことです。何を見るにも神様がご覧になるように見る。何をするにも主イエス様がするようになす。誰もがわざわいを経験するし、誰もが老いるし、誰もが病になる。そして、例外なく誰もが死ぬのです。分かっていることですから、それに対して良い備えを日々積み重ねて参りましょう。ご一緒にみことばから教えられていきましょう。
1.若い日に造り主を覚えるとは
1節 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
あなたの若い日々に、あなたの造り主である神様を覚えなさいと教えられています。
「覚える」とのことばには「思い出す」という意味もあります。単に「記憶せよ」ということではなく、心にしっかり記憶した上で、いつでも思い起こし、それに従って生きなさいということです。神様がこの世界の造り主であるということ。また、主の教えは本当に良いすばらしいこと。神様の愛の深さ。その真実なお約束。これらを丁寧に心に刻み、いつでも思い起こし、思い巡らしながら生きることです。
これが今日のみことばの結論。いや、この伝道者の書全体の結論でしょう。人生は儚く、むなしいものであるとこの書は語ってきました。世界には人の罪が蔓延し、どこに行っても非道なこと、不条理なことで満ちている。そしてそれは、神の民の集まりでさえも、罪人ゆえに、未熟なゆえに起こりえます。
だからこそ、絶えずこの世界を造られた主を覚え、この方を通して世界を見なさいと語られるのです。人には理解できない理不尽なことがあります。しかし、その奥には神様の深いご計画が必ずある。その意味を解くマスターキーを、ただ主おひとりがお持ちです。だから、このお方を深く知り、この方の考えや思いを知り、この方と歩みなさいと言うのです。
こうして、神様を通して人や世界の現実を見るようにせよと言うのです。Ⅱコリント5章16節に「ですから、私たちは今後、肉に従って人を知ろうとはしません」と語られています。キリストを信じたならば、今後は、この世と同じ肉の基準を用いません。同じ基準なら、地の塩・世の光とはなり得ないからです。私たちは、造り主なる神様、私たちのために死んでくださったイエス様が見ておられる景色を、特別にともに見させていただく特権を受けたのです。それを忘れてはいけません!
ただし、それは一朝一夕で見えるようになりません。1節の「あなたの若い日に」のところは、複数形なので、厳密には「あなたの若い日々に」となります。続く「わざわいの日」も複数形で「わざわいの日々」です。そして、その後も、「何の喜びもない」と言う年月(としつき)の部分も複数です。つまり、これらは瞬間的な話ではなく、継続的な話です。信じたその1日だけの話ではありません。洗礼を受けたその日だけのことではない。より少しでも早い日々に、主を覚え続け、思い起こし続けること。いつでもこの方と仲睦まじく歩むことで、この方の見方、考え方、この方のご計画、豊かな導きを知る者となっていくのです。
2.やがて訪れる衰えと死への備えとして
ではなぜ、少しでも若い時、早いうちにと語られるのでしょうか。若い頃はその回復力や勢いで乗り切れる部分もあるでしょう。しかし、その頼りの若さも健康も儚くむなしいものだからです。直前の11章10節には「若さも青春もむなしいからだ」とあります。訳し出されてはいませんが、実は12章1節の最初に「そして」という接続詞があります。幾つかの英訳聖書では「So」と訳すことによって、「それで(だから)、あなたの若い日に創造者を覚えなさい」というニュアンスを表現しています。
元気さや健康を誇っても儚いものだということです。わざわいや老衰は、必ず誰にでもやがて訪れます。病や深刻な怪我に見舞われることもあるのです。それゆえ、わざわいの日、喜びを失う日より前に、造り主と親しくなれと言うのです。
2-5節では人が晩年に近づくほどに、衰え、弱っていく現実を語っています。例えば2節では、光が失われ暗くなることを語ります。喜びイキイキする輝きも失われることがあるのです。3節では守る者も力ある男も、その力を失い弱ると言います。よく働く女性たちでさえ、若い頃のようには動けなくなると。実感されている方々もあるでしょう。
4節の扉が閉ざされるのは、人との交わりが億劫になっていくこと。また「鳥の声に起き上がり」とは、眠りが浅くて早朝に目覚めちゃうことでしょう。
続く5節では、高いところや道を恐れるとあります。それは、危険を恐れ冒険ができなくなること。私たち夫婦も最近のディズニーランドは難易度が高く感じれ、完全に温泉派になりました。アーモンドの花が咲くというのは白い花を咲かせることから、白髪を意図しているようです。私も白髪がありますが、どちらかと言うと毛が薄くなっているのが悲しいです。先日試着室で三面鏡になっていて、ちょうど頭のつむじの辺りが見えて、随分地肌が露出している頭に愕然としました。誰の頭かと思ったぐらいですが、何度見ても自分でした。家族に言ったら、「え、知っていると思っていた」との反応。余計に落ち込みました。皆さん、後で見に来ないようお願いします(笑)。さて、5節の続きですが、軽やかにバッタのように跳んでいた人も、年には勝てず足腰が衰え、動きが遅くなります。「風鳥木は花を開く」とは、欲求や意欲の衰えを意味するようです。
そして5節の最後から7節にかけては、死というすべての人が行きつく現実を突きつけています。6-7節に目を留めましょう。
6節 こうしてついに銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉の傍らで砕かれて、滑車が井戸のそばで壊される。
7節 土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。
どんな高価な物でも、形ある物は必ず滅びます。人の肉体は役目を終えて元の土に帰るのです。このように、老化による衰えは必ずやってきて、その先に死があります。若い皆さんはあまり関係ないと思っているかも知れませんが、20歳過ぎれば肉体的には下降線です。人が神から離れて、人の思いだけで生きていくなら、これらの衰え、様々な困難、必ず迎えることになる「死」に対して、あまりにも無防備ではないでしょうか。
3.霊的に養われていくことによって
それゆえ、その備えを早くせよと、主は言われるのです。
消防署員たちは、火事のない時の備えを怠りません。普段から体を鍛え、道具を整備しています。火事になってから慌てて準備しても遅く、何より人命がかかっているからです。私たちも、霊的ないのちに関わる大切な問題です。わざわいの日、喜びが失われるような試練の日が訪れてからでは間に合いません。
ですから、「あなたの若い日々に、造り主を覚えて歩み続け、備えよ」とみことばは語るのです。今日は2025年1月5日です。これから歩む一年のうちで、最も皆さんが若いのはいつでしょうか。「今日」です。今日という日に、語られたみことばを拒まないで、心に握りしめて歩んで参りたいのです。
そうする時、神様の恵みによって私たちの信仰や霊性が養われます。人間は肉体だけで生きる者ではありません!心やたましいを持つ霊的な存在でもあります。外なる人・肉体は衰えていきます。しかし、内なる人・霊的な部分は時とともに成長し続けることができます!神様は人をそうように造られたのです。そうであるならば、年をとるごとに若さや肉体に頼ることを減らし、霊的な部分を大切に、つまり神様にますます拠り頼むようにしていくのがキリスト者なのです。
それは、己の力で生きる歩みから、主の恵みとあわれみで生きて行く者へと変えられていくことです。水泳が上達すると、無駄な力を抜いて、浮力を上手に生かして泳げるようになるように、恵まれやすい者とされ、恵みの力で輝かせていただくようになるのです。
先ほどⅡコリント5章16節を引用しました。「ですから、私たちは今後、肉に従って人を知ろうとはしません」と。私たちは自分自身のことも、世界の人々のことも、あらゆる出来事も、造り主なる主を通して知る者とされています。
この年も私たちは色々なことを経験するでしょう。悲しいこと、理不尽なこともあるでしょう。様々な痛みを経験するでしょう。しかし、肉に従って知ろうとせず、キリストにあって霊的な視野で知って行く者となりましょう。今日から備えを始めましょう。肉体改造はライザップかも知れませんが、霊的変革は主のみことばに生きること。「恵まれやすい器」を目指し、あらゆることから主の恵みをいただく日々を歩んで参りましょう。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会 引用元聖書