東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エステル記4章1-17節「神があなたをここに置かれている」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/08/06

エステル記4章1-17節「神があなたをここに置かれている」

*** 8/6(水)祈祷会 説教概略 ***
 神様にはいつでも、人の考えを超えた不思議で豊かなご計画があります。ですから私たちは、自分が置かれているところで、与えられた役割が「何かある」と心に留めたいと思うのです。「もしかすると、このために?」と、主のみ旨に目を向けていきましょう。



 ペルシアの宰相ハマンは、ユダヤ人を憎み、彼らを皆殺しにする命令を出しました。特に彼は、モルデカイという神を信じるユダヤ人が、自分にひれ伏さなかったことに腹を立てたのです。それでハマンは、「モルデカイが王に反逆している!その仲間のユダヤ人たちも、きっと王に逆らうだろう!」として、皆殺し命令を出すことになったのです。

 これを知ったモルデカイとユダヤ人たちは大きなショックを受けました。深い悲しみに襲われました。それが1-3節です。

 それでもモルデカイは神様に信頼して行動を起こしているようです

2節 そして王の門の前のところまで来た。王の門の中には、粗布をまとったままでは入ることができなかったのである。 

 意識して王の門の前まで来たのでしょう。その理由は、おそらく娘として育てた王妃エステルと連絡を取るためです。しかし、モルデカイは、粗布を着たままでそれ以上中には入りません。それは、エステルがユダヤ人であることを知られないようにするためでしょう。それが今知られては、望みが絶たれると考えたのでしょう。4節にこうあります。

4節 エステルの侍女たちとその宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃は非常に痛み苦しんだ。彼女はモルデカイに衣服を送り、それを着せて、粗布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。 

 エステルはモルデカイの様子を知り、衣服を送って門の中に入れるように計らったのです。しかし、モルデカイはそれを拒みました。モルデカイは距離を置き、エステルの立場が危うくならないよう配慮しているのです。そこで5節にあるように、エステルは宦官のハタクを呼び寄せ、モルデカイのもとに派遣します。おそらくハタクはエステルにとって、王宮で最も信頼できる人物なのでしょう。エステルはハタクを介してモルデカイとやり取りをします。その中でも、モルデカイが一番伝えたかったことは8節後半にあります。

そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。 

 「王妃」という特別な立場に置かれたエステルにしか出来ないことでした。彼女から王にお願いして、このひどい命令をストップさせようと考えたのです。モルデカイはエステルの養父です。これまで、神の民としての誇りと忠実さを彼女に教えてきました。そして、今こそ、その信仰と献身が必要な時であると彼女に示したのです。とはいえエステルも人の子です。現実を見て難しさを覚えていたようです。11節で、エステルはその難しい現状をモルデカイに伝えています。

11節 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」 

 王に気に入られていたエステルでしたが、勝手に入って行く事は死刑を意味しました。しかも、この30日間一度も王のところに呼ばれていないのです。力のない自分、まだ一度も呼ばれたことのない自分です。「一体何ができるだろうか」とエステルは悩んだことでしょう。
 しかしながら、そのエステルのことばを聞いた時、モルデカイはエステルに次のように伝えました。

13節 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。

 あなたは皆から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはいけない。まず「自分だけ助かろう」という自己中心でいてはいけないと示します。これは、これまで、彼女にずっと教えてきたことだと思います。さらに、モルデカイは14節でこう言いました。

14節 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」 

 このことばは、明らかに神様を意識した信仰によることばです。これぞ「神の人の生き方」です。あなたが黙って何もしなくても、主は必ず別のところから助けと救いをくださるに違いないと言います。なぜなら、神の救済は昔からの約束で、確実に成就するからです。真実な神様は約束を必ず守る方です。

 ですから、彼は、この状況でも主が救ってくださると信じているのです。ですが、もしエステルが自己保身の道を選ぶのなら、「あなたはかえって神の祝福を失い、あなたの一族もやがて滅んでしまうだろう」と正しい道を示します。神を侮ってはいけないということです。

マタイ1039にこうあります。自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを得るのです。 自分のいのちを守ったつもりが、かえって神を敵にまわし、いのちや祝福を失うなら本末転倒です。

私たちを生かしてくださるのはいつでも、神様なのだということです。もう一度言いますが、私たちを生かすのはいつでも、神様のみなのです。

 そして、さらにモルデカイは言いました。「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」不思議な導きによって、エステルはペルシア王に最も近い立場に置かれました。この状況で最も影響を与えることができる立場です。神様が遣わしたことには意味があります。だから、もしかすると、このような時のために、神様がこの国の王妃の地位にエステルを置かれたのではないかと。この考えはとても大切ですよね。あなたが今置かれているところは、あなたが選んだようでいて、実は神様があなたを置いた場所です。偶然ではない。そうであるならば、そこであなたに与えられた役割があるはずです。その際「もしかすると、このような時のためかもしれない」と、私たちも思いを主に向ける者でありたいのです。

 私の病も、治らないものであり、それほどきついとは思いませんが、手足を中心に痛みもあります。痺れも24時間ある。特に朝は手足が思うように動きません。掴まりながら歩きます。ただ、こうしたいくらかの苦労もあるゆえに、病で苦労される方々と通じ合える何かが生まれているとも感じます。私の病は軽いですが、それでも病で苦しむ方と「一緒に頑張っていきましょう」と言い合える幸いがありました。「ああ、このような時のためかもしれない」と、自らに与えられた病を感謝しました。

 これは、主が良いもので満たされると信じるゆえの豊かさ、強さではないでしょうか。

 さて、エステルは、モルデカイのことばに心を動かされました。信仰から出ることばは人を動かします。神様への信仰がそこに植え付けられていたからです。そこでエステルは決心しました。

16節「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」 

 なんという決意でしょう。神様のご計画の中で、「私は、死ななければならないのでしたら死にます」と受け止めたのです。ゲツセマネの園で祈られたイエス様の姿に似ています。避けたい苦しみでたが、「あなたのみこころをなさってください」と父なる神にゆだねました。そうしてイエス様は十字架で死なれたのです。しかし、それによって信じるすべての者への救いが与えられました。さらに、主イエスは、復活のいのちを得たのです。
 
 あなたが今置かれているところ、そこに神のご計画があります。意味があって置かれています。ですから、「このような時のためかも知れない」と、敏感に主のなさることに心を向けていきたいのです。自らのいのちは主の御手の中にあります。恐れず、主が守ってくださると信頼して、主の手にゆだねていきましょう!それがあなたとあなたの関わる全ての人がいのちを得る道です。


引用元聖書
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