*** 8/13(日)主日礼拝 説教概略 ***
祈りは神様との友情そのものです。祈るほどに、主の語りかけが聞こえるようになり、その距離が近くなります。友情が深まるのです。そして主の偉大な力を知ることになります。
先の4章16節では、エステルが覚悟を決め、「私は死ななければならないのでしたら、死にます」との決意がありました。そして、このことばは、人間的な覚悟として語られたことばではありませんでした。これはエステルによる「信仰による決意」でありました。なぜなら、彼女は祈りに専念してから行動を起こしていくからです。4章15-16節で、彼女が育ての親モルデカイに頼んだことは「断食の祈り」でした。多くのユダヤ人たちに声をかけて、皆で三日三晩祈って欲しいとのことでした。
さらに、自らも侍女たちとともに断食して祈り備えたのです。断食をして祈るとは、食事を摂る時間までも神様にささげて祈りを積むということです。食事という生きる上で必要不可欠なものさえ、祈りのためにささげるということなのです。
こうして5章1節を迎えています。
1節
三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。
1節では「三日目になり」と始まっています。皆が断食の祈りをささげ続ける中、ついに三日目を迎えたのです。断食期間中は、通常は荒布を着用します。エステルも荒布をまとって祈りに専念していたのでしょう。彼女は三日目の祈りをささげてから、荒布から王妃の衣装に着替えました。いよいよ王の前に出るのです。王妃の衣装に袖を通すたびに、否が応でも緊張が高まったでしょう。まるで戦闘服に身を包むように。
2節 王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた。
やはり主が働いておられるのです。多くの場合処刑されてしまいますが、エステルは王の好意を得たのです。その合図が、王の手にある金の笏でした。それがエステルに向かって差し伸ばされたのです。それは近寄って話す許可を得たしるしでした。
なお、「好意を得た」という言い回しに、神の御手が感じられます。「王が気に入った」という表現をあえてせず、「(神様によって)王の好意を得られた」との意図がそこにあるのです。出エジプト記では、エジプト王ファラオの心を神が頑なにされたとあります。その状況によって、神はどの国の王の心をも用いて、歴史を動かされるのだとわかります。
バビロン捕囚のさなか、ダニエルはバビロン王ネブカドツァルに言いました。あなたは、いと高き方が人間の国を支配しておられることを知るようになると(ダニ4:25)。国も歴史をも治めておられるのは神様なのです。主は生きておられます!
3節 王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」
「王国の半分でもやれる」とは、随分と大盤振る舞いです。たいていの願いは聞いてくれそうな雰囲気です。私ならこの誘いに乗ってしまいそうです。ただ、彼女はとても賢明です。このことばを額面通りに安易に受け取りません。慎重にじっくりと事を進めていくのです。それは祈りの備えがあったゆえです。彼女は霊的に研ぎ澄まされてここにいるのです。武器は持っていませんが、信仰の武具を身に着けて、霊的な戦いに命がけで臨んでいるのです。なんと強く美しいことでしょう。
彼女は意図的に真意を今は伝えませんでした。そして、4節にあるように、後ほど王様のために宴会を設けたいので、ハマンと一緒にお越しくださいませんかと持ち掛けるのでした。こうして、王はハマンと一緒にエステルの宴会に来ました。そこで王様は再びエステルに尋ねました。
6節「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
さあ、エステルはついにユダヤ人を救ってくれと言うのでしょうか。違いました。7-8節にありますが、なんと彼女は、自分の願いは、明日、もう一度王様とハマンの二人で、私の宴会に来て欲しいということでした。その折に私の願いをお伝えしますと言うのでした。
なぜエステルは、この場でも王に真の願いを言わなかったのでしょう。なぜ、明日にしたのでしょうか。不安と恐怖のゆえに先送りにしたのでしょうか。まだ決意ができていなかったのでしょうか。どちらも違うでしょう。エステルは祈りの備えをして臨んだのです。そして、祈りの答えを得たからこそ着替えたのではないでしょうか。彼女は死の覚悟を決めてここに来たのです。むしろ、霊的な準備が十分に整えられた上でのこの判断をしているのだと私は思うのです。彼女はいたって冷静なのです。
おそらく、自分に出来る限りの知恵を尽くして「もてなし」をして、王に十分に楽しんでもらうためでしょう。すぐに願いを伝える節操のない愚か者のようにではなく、まずは相手に感謝し、相手をもてなし、相手に楽しんでいただくためでしょう。願いを聞いていただくなら、まず自分は何を相手にすべきか。彼女は主からそれを示されているのです。(ビジネスの営業でも、いきなり本題に入るよりも、美味しい食事をともにし、世間話をして打ち解けながら話していく方がより上手くいくと言われます)。彼女は若くて経験はありませんでしたが、主の知恵があったのです。
そうして、少しでも良い信頼関係を持ちたいと願ったのでしょう。なぜなら、4章11節によれば、彼女はこの30日間一度も王のもとに呼ばれていなかったからです。しばらく交わりがなかったのです。嫌われたと思っていたかも知れません。
ですから、まずはじっくりと語り合い、ともに過ごし、互いに心が打ち解けるよう、愛と礼儀をもって臨んだのでしょう。
その証拠に、9節によれば、ハマンは喜んで上機嫌で帰って行ったとあるのです。おそらく、王も同様だったのではないでしょうか。これでエステルができる準備が整いました。
ご一緒にみことばを味わって参りました。 エステルは、この命の危機の時に、なぜ、こんなにも冷静に、落ち着いて、良き判断ができたのでしょうか。不審な様子が少しでも見えれば、彼女は一気に窮地に陥ったはずです。焦っては、得られるものも得られなくなります。しかし、彼女は落ち着いて、そして「二人に少しも不快な思いをさせずに」この日を過ごしました。それは祈りの備えが豊かにあったからでした。自身も断食の祈りをし、モルデカイや同胞たち皆で祈ったのです。ひたすら祈り続け、霊的に十分に整えられ、神の臨在を身近に感じながら、王の前に立ったのです。王よりも、神様との距離がより近く、主が彼女に判断とことばを与えたのです。
私たちも様々な困難を通るでしょう。恐れや不安を通るでしょう。しかし、私たちには「祈り」があります。祈りのうちに霊的に整えられましょう。主があなたとともにおられるのです。
引用元聖書
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