東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エステル記7章1-10節「御霊によって語る」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/09/11

エステル記7章1-10節「御霊によって語る」

*** 9/10(水)祈祷会 説教概略 ***

 私たちが新会堂に移転する際、あらゆることが主により備えられていました。私たちの知らないところで、多くの備えがあったのです。私たちはある時まで、それを知りませんでした。ただ一つ、大事にしたことは、主を信頼してみこころを行うことでした。

 この時のエステルも、主に信頼してみこころを行うだけでした。そして、彼女に出来ることは王様に誠意をもってお願いすることだけでした。



 彼女は昨晩からこの日の宴会までの間に何が起こったかを知らないのです。モルデカイが急に王から栄誉を受けたことは聞いたかも知れませんが、その背景を知る由もないのです。ですから、エステルはただ神に信頼して、人々の救いのために死を覚悟して、この日の宴会に挑んでいるのです

 王とハマンは、エステルの二日目の宴会にやってきました。そして、王は昨日と同様に、エステルに、その願いは何かと尋ねました。エステルは3-4節にあるように、いよいよその核心を伝えていきます。主の助けにより賢く適切に。4節にそれがあります。 

 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」 

 エステルのことばは祈りを積み重ねたゆえのものだと感じます。主に祈り求め、語るべき適切なことばを備えてきたのです。私たちもここから教えられ、見習いたいのです。

 第一に、彼女は焦ってことばを出していません。彼女は、ユダヤ人の救いを訴えたいのですが、「私も私の民族も滅ぼされ」そうであるとは言うものの、それが「ユダヤ人である」とは言っていないのです。もし、この時点でユダヤ人だと言えば、ハマンは急いで妨害したでしょう。しかし、まだどの民族の話かもしていません。ただ、自分も仲間も滅びの危機なのだとだけ言ったのです。さらに、ここでは「奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょう」と言います。奴隷として売られるだけでも耐え難い屈辱です。しかし、「それだけなら私は黙っていた」とエステルは言うのです。安易に騒いで、王を煩わせるつもりはないという意図が伝わります。さらに、この発言によって、根絶やしにされ、滅ぼされること」がどれほど重大なことなのかが、王に鮮明に伝わったことでしょう。本当に主に知恵を求め、ことばをいただいた人の発言だと思わされます。

 第二に、エステルの素晴らしかったことは、王に対して最大限の敬意を払っていることです。エステルが王に話す理由は、自分たちの為ではなく、王の損失を心配してのことだと言っているわけです。ある民族を滅ぼそうとする迫害者は、迫害するだけして、それによって受ける王の損害を償うことなどできないのだと言うのです。これにより、迫害者の存在を示しつつ、王の利益を第一にする姿勢が伝わることでしょう。

 ちなみに、「王の受ける損失」とは何でしょうか。なぜ、ユダヤ民族が虐殺されることは王の損失になるのでしょうか。

 一つは、経済的、国力面での損失です。ユダヤ人たちが、このペルシアで様々な働きを既に担っていました。さらに彼らはよく働くのです。神の民は、人ではなく神を恐れるので、人が見ていなくてもよく働きます。ですから、労働力における多大な損失になるわけです。さらにこの民が消えれば、その分税収も大きく減らすことになりますよね。

 もう一つは、国の一致を損ねることです。ペルシアは多くの国を併合した「多民族国家」です。もし、ユダヤ人を虐殺すれば、他の民族が不信感を抱き、場合によっては反乱も起こりかねません。

 これらのことから、ハマンがしようとしていたことは、非常に個人的な理由による虐殺で、それは国益を大きく損ねる最悪な一手だったのだと分かります。逆にエステルは主から知恵をいただき、真実を王に伝えることができたのです。しかも、ただ伝えるのではなく、相手の性格や心をよく理解して、相手の利益を考えた発言をしていると気づかされます。でも、これらが上手くいったのは、ただの人間の技術ではないのです。神の知恵によるものだと分かります。なぜなら、エステルは背後で起こっている出来事を知らないからです。すべてをご存知の主が、すべてを整えて、祈りのうちに備えたエステルの発言が、最も有効に働くようにしておられたのです。主イエス様も、権力者の前に立つ時に、御霊によって語らせていただくことの大切さを教えておられます。

マタイ10:18-20 また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。 

 心配しなくてもよいとは、準備をしなくてもよいという意味ではありせん。祈って備えることは大切です。その上で、心配せずに、御霊にゆだねるのです。その時、権力者の前でも、御霊が恐れを消して相応しいことばを与えてくださるのです。


 さて、王はここで珍しく「その迫害する者」とは誰なのか、大いに関心を持ち尋ねました。それでついにエステルはその人物の名を口にするのです。

6  エステルは言った。「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。 

 王の前で、ついに真の悪人が明らかにされました。何かと相談していたハマンこそが、ユダヤ人にとっても、ペルシアにとっても危険な悪人だったのです。さすがのハマンも震え上がりました。エステルの発言によって、彼の行為がいかにペルシアにとって国益を損なう行為であるかも明らかにされたばかりでした。

 エステルは神様ではないので、これらの一連の流れタイミングを知る者ではありません。しかし、主のなさることです。それはすべて時にかなって美しいのです。

 7節によれば、王は憤って一旦部屋を出て行き、ハマンはエステルにいのち乞いをするためにその場に留まるのでした。しかし、これがハマンにとどめを刺す出来事になりました。8節で頭を冷やしたであろう王が戻って来ると、「エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していた」のを見つけます。実にこれが、ハマンにとって最悪のタイミングでした。ハマンはエステルの足元にしがみつくようにして、いのち乞いをしていただけなのですが、その姿がエステルを辱めようとしているように見えたのです。誰かに懇願する際に、その足にすがりついてお願いすることが、当時の社会でもあったようです。

 8節の続きにこうあります。「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔は青ざめた。 もはや、何をしても悪い方向に流れます。ある意味これが、神に敵対する者が辿る道だと言えます。神に敵対することほど、愚かなおとはありません。反対に、エステルのように、神を第一とする時、助けも必要もすべて与えられます。自分の考えをはるかに超えた神のみわざが起こるのです。そこに主の平安がもたらされるのです。

 さて、こうしてハマンは、モルデカイの死刑場として自分が用意した22mほどの柱にかけられることになりました(9-10節)。ハマンの企んだ悪は、すべて自分に返って来ました。

 それにしても、この時代のペルシア王の権限は圧倒的です。そして、クセルクセス王は非常に怒りやすく、王妃ワシュティを簡単に王妃から退け、ハマンの愚かな企みに簡単にOKを出し、それでいて今度は一瞬でハマンを死刑にしました。その意味で非常に恐ろしい人物です。ですから、モルデカイもエステルも一歩間違えば一瞬で首が飛ぶ相手でしたけれども、この国の本当の王は神様です。そして、彼らが信じる神様はあわれみ深く、恵み豊かで、全知全能の主です。私たちも、本当に恐れるべきお方を恐れましょう。そして、知恵も勇気も救いもくださるこの方に信頼して、ついていきましょう。


引用元聖書
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