東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エステル記9章20節-10章3節「プリムの祭り」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2025/10/02

エステル記9章20節-10章3節「プリムの祭り」

 *** 10/1(水)祈祷会 説教概略 ***

 エステル記の学びも最後になりました。エステル記では、神の名が伏せられ、一度も登場していない珍しい書でした。しかし、名は登場せずとも、そこに主の臨在が確かにあり、主の救いがありましたね。私たちも、目には見えないお方を信仰によって、いつでもすぐ目の前に見るようにして歩んで参りたいのです。



 そして、モルデカイとエステルのそれぞれの姿は、キリストの姿を示す一つの「型」であったと言えます。

 モルデカイは身を低くして歩みましたが、誠実を愛し神のみこころをなしていました。ハマンによって柱にかけられそうになりましたが、神が彼を救い、代わりにハマンが柱にかけられたのです。そして、モルデカイは主によって引き上げられ「王」に近い立場を得ました。まことの「王」キリストの姿を示していると言えるでしょう。自ら低くなり、迫害され十字架の辱めを受けましたが、それはかえって勝利となり、復活のイエス様はやがて「王」として再臨されるのです。モルデカイが異国の地で「王」として立った時、神の民は元気づけられ、勇敢に悪しき者たちと戦い勝利しましたよね。

 エステルはどうだったでしょう。ゲツセマネの園のイエス様のように、祈りの格闘をもって、権力者の前にいのちをかけて出て行きました。416の「私は、死ななければならないのでしたら死にます。」との決意のことばは印象的でした。それは、わたしの願いではなく、父のみこころをなしてくださいと祈って十字架に向かったイエス様のようです。そして、実際、エステルのいのちをかけた仲介によって、この民はいのちを得ました。仲介者イエス様がいのちをかけてくださったゆえに、十字架を信じる者は皆、永遠のいのちを得たことと符合します。私たちは、エステル記を通しても主イエス様の姿を垣間見るのです。この方から目を離さずに歩んで参りましょう。また、私たち自身の歩みも、キリストを指し示すものでありたいですね。

 さて、最後に、「プリムの祭り」について語られこの書を終わります。モルデカイは、この勝利の日を、決して民が忘れないようにすべきだと考えました。それで、20節にあるように、ペルシアの「すべての州、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人」に書簡を送りました。それは、勝利をしたアダルの月の14-15日を喜びの日とするためでした。

21節 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、
22節 自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。

 この日の感謝、喜びを忘れてはならないということでした。神様が敵の手から救い、安息を与えて下さった大いなる喜びの日なのです。彼らはこの二日間を「プリムの祭り」と名付けました。プリムとは「プル」という「くじ引き」を表すことばに由来します。2426節の冒頭にかけて、そのことが説明されています。読んでみましょう。

24節 実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、25節 そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。
26節 こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。

 ハマンは、プル、すなわち「くじ」でユダヤ人を滅ぼす日取りを決めました。ところが、神様はその日を、かえって神の民の勝利の日となさいました。ハマンとその一族は逆に滅ぼされ、神の民のペルシアでの地位が高められたのです。箴言1633にこうあります。「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。」ハマンは箴言1633節のみことばを知らなかったのでしょう。虐殺のための日取りを占うつもりで「くじ」で決めたのでしょうけれど、それさえもまた、主の御手の中にあったということです。こうして、プルによって決められたその日は、背後で主が定めた日なのです。最初はユダヤ人の「敗北の日」にしか見えませんでした。しかし、主はその日を「勝利の日」に変えられたのです。ですから、22節にあるように、「悲しみが喜びの日に、喪が祝いの日に変わった」のです。

 しかし、人はこうした神の救いのみわざさえ忘れるのが人間の弱さです。あの救われた時の感謝、受洗時の恵み、あの日の初心を忘れてしまうのです。

 だから、それを忘れないために、毎年、記念日として祭りを行うように定め、それを廃止してはならないとしました。27-28節に、そのことが詳しく記されています。

27節 ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28節 また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。

 特に28節の最後に「この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした」とありますね。これが祭りや記念日を定期的に行う目的です。騒ぐためではありません。主の救いのみわざを、思い起こしそれを忘れないためです。この時も、あの時も主が救ってくださった、守ってくださった、勝利を得させてくださった。その記憶を自分はもちろん、その子孫へと伝えていくことを、みことばは教えているのです。 

詩篇103篇に「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とあります。皆さんは、こうした主の教えに従っているでしょうか。私たちはプリムの祭りをしません。けれども、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とダビデが自分に言い聞かせたように、私たちも主のみわざを心に留め、思い起こすことを常に大事にしたいのです。それでも忘れる方は、記憶ではなく記録に留めたらどうでしょうか102節で、モルデカイについての事が歴史書に記録されたとあるように。こうしていつも主のみわざを記憶に留めていることが、私たちの将来を豊かに、確かなものにします。「主があの時のように、今日もお支えくださる!」と信じて踏み出せる。そして、証しとして人々に伝えられるからです。

 こうしてエステル記は幕を閉じます。ユダヤ人がペルシア国内における勝利を経験し、プリムの祭りを行うようになった一方で、クセルクセス王がこの世の権力的な王であった姿が10章でも記録されています。しかし、同時に、この王の下であってさえも、王に重んじられたモルデカイによって、国と民が守られていたことも記されています。 

101節 クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2節 彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3節 実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。 

 少なくともユダヤ人たちは、モルデカイやエステルの存在によって、この国で守られ支えられ、他の民族からも簡単には手出しできない地位が与えられたのです。それが、エズラ・ネヘミヤ時代にもつながっていくのです。

 主から今日も語られています。私たちもキリストの十字架によって、罪と滅びから救い出された恵みを忘れてはなりません。モルデカイとエステルの姿からも、キリストの十字架が示されていました。その救いの喜び、感謝を薄めないように、むしろさらに厚く豊かにしたいのです。主イエス様の尊い愛の犠牲と、主からの一方的な恵み。見返りなしに与えられたこの尊い救い。ここにある大いなる恵みを、信仰生活の長さに比例してさらに豊かに表わす者とならせていただきましょう


引用元聖書
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

教会へのメールはこちらから

名前

メール *

メッセージ *