① 悪い者の第一の特徴は、神を恐れず高ぶっていることです。
2節では「悪しき者は高ぶって
苦しむ人に追い迫ります」とあります。また、4節を見ていただくと、「悪しき者は高慢を顔に表し」ともありますね。高慢さって顔、表情に出ると思いませんか。そして、その心にあるのは、4節後半にあるように「神はいない」という思いです。罰せられないでいると、人は神をますます無視し、空気のようにしてしまうのです。そのような高慢さは、6節にあるような思いに満たされてしまいます。 6節 彼は心の中で言っています。「私は揺るがされることがなく
代々にわたって わざわいにあわない」 まるで神にでもなったかのようです。神様を恐れることをせず、思い上がっている点こそ「悪しき者」の特徴だと気づかされます。しかし、この思い上がりは私たちにも誘惑ですよね。確かに「神はいない」とは言いません。でも、「今ここに主がおられる!」と高らかに宣言して歩めてもいないのではないでしょうか。どの瞬間にも主はあなたとともにおられる。それが真実です。人が神を忘れても、神は人を忘れない。神がおられないのではなく、私たちの心から神が見えなくなっているだけなのです。
② 悪い者の第二の特徴は、自分の利益のために言葉と行動で人を傷つける。
2節では「苦しむ人に追い迫ります」とある。7節をご覧ください。7節 彼の口は 呪いと欺きと虐げに満ち
舌の裏にあるのは 害悪と不法です。 特に、悪しき者はその口に毒があります。ことばにおいて罪を犯すのが特徴です。そして、ことばに出て来るものは、心にあるものが出るとイエス様は言われます。 マタイ15章18節 口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。 悪い考えは心から出て、言葉や行いになります。ですから、言葉と行いだけを直しても解決しません。子育ても親の体裁中心になると、表面の言動だけを注意します。でも、心が正しく変えられていくことが大切です。そのためには、イエス様を信じて、内側から変えられる必要があるのですよね。また、9-10節ではこうあります。9節 茂みの中の獅子のように 隠れ場で待ち伏せます。
苦しむ人を 捕らえようと待ち伏せ
苦しむ人を 網にかけて捕らえてしまいます。10節 彼の強さに 不幸な人は 砕かれ 崩れ 倒れます。 注意したいのは「苦しむ人」「不幸な人」とは、もともと弱い立場の人々。悪人は、強い人を懲らしめようではない。弱い人を狙ってさらに苦しめ、利益をかすめ取るのです。しかし私たちはむしろ、弱い人の味方でありたいのです。なぜなら、それこそが神の真実だからです。神は弱い人を見捨てる方ではなく、その苦しみを見ておられる方なのです。あわれみをもって助けて下さる主です。
③ 悪い者の第三の特徴は「闇に隠れる」という点です。
8-9節では隠れて悪を行う姿が語られています。 8節 彼は村外れの待ち伏せ場に座り
隠れた所で 咎なき者を殺します。
彼の目は不幸な人をひそかに狙っています。 「村外れの待ち伏せ場」、「隠れた所で」とありますね。光の当たる公の場所ではなく、村の外れ、人気がないところです。私の中学生時代はツッパリ、不良が大勢いた時代です。でも、彼らの悪さをする場所はだいたい決まっていた。体育館の裏、もしくはトイレなのですね。そういう暗い場所、人から見えない隠れた場所で、悪が行われます。光から離れて闇へ向かうこと、それが悪の特徴です。しかし神は、その闇の中にさえ目を留めておられるお方です。これもまた神の真実です。ですから、私たちはこの真実に歩みたいのです。主の前に暗闇はありません。隠れることは出来ないのです。すべてをご存知です。ただ、このお方は同時に、あわれみ深い赦しの神です。隠れたつもりでいるよりも、主の赦しとあわれみの中に出ていき、光のうちにある平安にこそ歩みたいのです。私も牧師だから強いのではありません。牧会を通して主に叫び続けるゆえに支えられているのです。皆さんの交わりの光の中に置かれているからです。私たちは皆、光の中を歩み続けたいのです。
さて、 ここでの悪い者の特徴として3つお伝えしました第一に、神を恐れず高ぶること。第二に、自分の利益のために言葉と行動で傷つけること。第三に、闇に隠れて生きること。
そして、これら三つの根底にある問題、それが11節です。11節 彼は心の中で言っています。 「神は忘れているのだ。顔を隠して
永久に見ることはないのだ。」 この時点では、悪しき者が勝っているようにしか見えません。しかし、それは真実ではありません。少し先の14節にこうあります。14節 あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。 主は見ておられるのです。労苦と苦痛を見つめておられたのです。詩篇記者が体験してきた真実がこれです。私たちは、まず自分自身がこのような悪しき者にならないように、心を見張って主から離れずに歩みたいのです。そしてまた、こうした悪が栄えているように見える時にも、神の真実に目を留めましょう。