東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 詩篇10篇1-11節「神の真実に目を留める」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/07/22

詩篇10篇1-11節「神の真実に目を留める」

*** 7/22(水)祈祷会 説教概略 ***
 私たちには、神様が沈黙しておられるように思える時があります。詩篇10篇の前半は、そのような人間の思いや叫びを現わしています。その意味で詩人は私たちの思いを代弁していると思えるのです。しかし同時に、後半の12節以降になると、神様はしっかりと苦しむ者たちを見て下さっていたのだと変化していきます。実は、目に見える現実や、そこで私たちが抱く感情が、必ずしも真実とは限りません(ここが重要なポイントです)


この詩篇は、その現実の向こうにある「神の真実」を私たちに見せてくれます。
ともに、その真実に目を向けてまいりましょう。

 

1節 主よ なぜ あなたは遠く離れて立ち 苦しみのときに 身を隠されるのですか。

 皆さんは、このように感じられることはあるでしょうか。
 自分はとっても苦しいのに、神様がまるで近くに感じられない。まるで身を隠しておられるように思える。ありますよね。

 なぜそう思えるのかと言うと、悪者が栄えて罰せられもしない現実を見るからです。悪い者たちが大手を振って歩んでいるように見えるからです。その現実だけに心を支配される時、神様が遠くにおられるように思えます。苦しみが深くなるほど、そのように感じることがあります。

 しかし、目に見える現実やそこでの感じ方と「真実」は同じではないのです。

 創世記28章で、イサクの子ヤコブが、家を出て野宿をした際に主の夢を見て、こう言いました。創世記28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」 真実は何か。孤独な旅だと思ったのに、主は自分のすぐ横におられたのです。主は見ていてくださった。主は祈りを聞いていてくださった。ここにおられる。だが、私がそれを知らなかったのだと。

 この詩篇作者も人生を通して、神が見えない、感じられないと思える時を多く過ごしたのでしょう。そう思える中でも、やはり神様に求め訴えていったのです。そして気づいたのです。どんなに周囲の人が離れて行っても、孤独だと思える瞬間でも、主はいつも自分とともにおられたのだと(12節以降にそのことが記されています)。

 私たちも、神様が生きて働いておられること、主が私たちとともにおられることを十分に味わい知りたいと思いませんか。もう一度申し上げますが、目に見える現実やそこでの感じ方と「真実」は同じではないのです。ですから、苦しい時もつらい時も、反対に上手くいっている時でも、主を求め続けたいのです。この詩篇作者はそうしているのです。 その上で2節以降に目を向けます。私たちの周囲にもある悪の現実を、神様にそのまま訴え祈っています。ここに悪い者の特徴があり、三つに分けて紹介します。

 

① 悪い者の第一の特徴は、神を恐れず高ぶっていることです

2節では「悪しき者は高ぶって 苦しむ人に追い迫ります」とあります。また、4節を見ていただくと、「悪しき者は高慢を顔に表し」ともありますね。高慢さって顔、表情に出ると思いませんか。そして、その心にあるのは、4節後半にあるように「神はいない」という思いです。罰せられないでいると、人は神をますます無視し、空気のようにしてしまうのです。そのような高慢さは、6節にあるような思いに満たされてしまいます。 6  彼は心の中で言っています。「私は揺るがされることがなく 代々にわたって わざわいにあわない」 まるで神にでもなったかのようです。神様を恐れることをせず、思い上がっている点こそ「悪しき者」の特徴だと気づかされます。しかし、この思い上がりは私たちにも誘惑ですよね。確かに「神はいない」とは言いません。でも、「今ここに主がおられる!」と高らかに宣言して歩めてもいないのではないでしょうか。どの瞬間にも主はあなたとともにおられる。それが真実です。人が神を忘れても、神は人を忘れない。神がおられないのではなく、私たちの心から神が見えなくなっているだけなのです。

② 悪い者の第二の特徴は、自分の利益のために言葉と行動で人を傷つける

2節では「苦しむ人に追い迫ります」とある。7節をご覧ください。7節 彼の口は 呪いと欺きと虐げに満ち 舌の裏にあるのは 害悪と不法です。 特に、悪しき者はその口に毒があります。ことばにおいて罪を犯すのが特徴です。そして、ことばに出て来るものは、心にあるものが出るとイエス様は言われます。 マタイ1518節 口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。 悪い考えは心から出て、言葉や行いになります。ですから、言葉と行いだけを直しても解決しません。子育ても親の体裁中心になると、表面の言動だけを注意します。でも、心が正しく変えられていくことが大切です。そのためには、イエス様を信じて、内側から変えられる必要があるのですよね。また、9-10節ではこうあります。9  茂みの中の獅子のように 隠れ場で待ち伏せます。 苦しむ人を 捕らえようと待ち伏せ 苦しむ人を 網にかけて捕らえてしまいます。10節 彼の強さに 不幸な人は 砕かれ 崩れ 倒れます。 注意したいのは「苦しむ人」「不幸な人」とは、もともと弱い立場の人々。悪人は、強い人を懲らしめようではない。弱い人を狙ってさらに苦しめ、利益をかすめ取るのです。しかし私たちはむしろ、弱い人の味方でありたいのです。なぜなら、それこそが神の真実だからです。神は弱い人を見捨てる方ではなく、その苦しみを見ておられる方なのです。あわれみをもって助けて下さる主です。

③ 悪い者の第三の特徴は「闇に隠れる」という点です

8-9節では隠れて悪を行う姿が語られています。 8  彼は村外れの待ち伏せ場に座り 隠れた所で 咎なき者を殺します。 彼の目は不幸な人をひそかに狙っています。 「村外れの待ち伏せ場」、「隠れた所で」とありますね。光の当たる公の場所ではなく、村の外れ、人気がないところです。私の中学生時代はツッパリ、不良が大勢いた時代です。でも、彼らの悪さをする場所はだいたい決まっていた。体育館の裏、もしくはトイレなのですね。そういう暗い場所、人から見えない隠れた場所で、悪が行われます。光から離れて闇へ向かうこと、それが悪の特徴です。しかし神は、その闇の中にさえ目を留めておられるお方です。これもまた神の真実です。ですから、私たちはこの真実に歩みたいのです。主の前に暗闇はありません。隠れることは出来ないのです。すべてをご存知です。ただ、このお方は同時に、あわれみ深い赦しの神です。隠れたつもりでいるよりも、主の赦しとあわれみの中に出ていき、光のうちにある平安にこそ歩みたいのです。私も牧師だから強いのではありません。牧会を通して主に叫び続けるゆえに支えられているのです。皆さんの交わりの光の中に置かれているからです。私たちは皆、光の中を歩み続けたいのです。

 

さて、 ここでの悪い者の特徴として3つお伝えしました第一に、神を恐れず高ぶること。第二に、自分の利益のために言葉と行動で傷つけること。第三に、闇に隠れて生きること。

そして、これら三つの根底にある問題、それが11節です。11節 彼は心の中で言っています。 「神は忘れているのだ。顔を隠して 永久に見ることはないのだ。」 この時点では、悪しき者が勝っているようにしか見えません。しかし、それは真実ではありません。少し先の14節にこうあります。14あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。 主は見ておられるのです。労苦と苦痛を見つめておられたのです。詩篇記者が体験してきた真実がこれです。私たちは、まず自分自身がこのような悪しき者にならないように、心を見張って主から離れずに歩みたいのです。そしてまた、こうした悪が栄えているように見える時にも、神の真実に目を留めましょう。

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