東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅰサムエル記13章11-14節,14章6節「数を見るか、神を見るか」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/07/08

Ⅰサムエル記13章11-14節,14章6節「数を見るか、神を見るか」

*** 7/5(日)主日礼拝 説教概略 ***

 ワールドカップ、日本は残念でしたが、出場している一流のクリスチャン選手の情報をキャッチしました。日本が対戦したオランダのガクポという選手。非常に優れたドリブラーです。彼は熱心なクリスチャンで、キリスト信仰は自分のライフワークだと公言します。彼が中心となってオランダ代表チームで「聖書研究会」を主催しているそうです。



 また、ブラジル代表キーパーのアリソン(日本戦も出ていました)。彼も自分の信仰を公言しています。彼はチームメイトだったフィルミーノに伝道をし、洗礼を授けました。この洗礼を受けたフィルミーノは、「私の最大のタイトルは、イエス様、あなたの愛です」と証ししています。

 私たちにとっても、人生で最高のタイトル、トロフィーは、イエス様を知ったことではないでしょうか。どんなタイトルもやがて忘れ去られます。しかし、神様は永遠に変わることのない愛と恵みによって、私たちを祝福してくださる。

 ある先輩牧師から語られたことばが残っています。「教会において人数が増えようと、逆に数人しかいなかったとしても、神の恵みは変わらない。あなたは、数人でもその恵みを同じように変わらず喜べますか」と。当時、私には無理だと思えました。しかし、それは、私が本当の意味で、恵みに生かされていないゆえだと気づかされました。

 皆さんはどうでしょうか。目に見える成果があると祝されていると思い、成果がないと祝福が無いと思っていないでしょうか。数が多いことこそ良いと考えていないでしょうか。しかし、本当の信仰は、多い少ない、大きい小さいではない。どんな時にも、そこに主がおられることを信じて喜び、主に対する期待と信頼を持って生きていくことです。主イエス様を見上げ、喜び続けましょう!今日のみことばは、王様親子の話です。お父さんと息子。その二人の対照的な姿が語られています。

 

1.減っていく兵士を見たサウル 

 まず、お父さん・サウル王です。この頃イスラエルの国は、ペリシテ人という強大な敵に苦しめられていました。軍事力には圧倒的な差があったのです。ペリシテ人は鉄の武器を持ち、イスラエル人は武器を作ることさえ難しい状況でした。さらに、敵軍は海辺の砂のように多かったのです(5節)。その様子を見たイスラエルの兵士は怖くなり、洞穴や岩陰に隠れました(6節)。サウルのもとにいた兵士たちも、恐れて次々と去って行く始末です。そこでサウル王は怖くなり、とても焦ってしまいました。

 その結果、神様に従うことをやめてしまったのです。兵士たちを繋ぎ止めるために必死で、してはならないことをしてしまった。ちょうどその時に、預言者サムエルが到着しました。1311-12節にこのようなやり取りがあります。 

11 サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。
12 今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」 

 何が問題だったのでしょう。13節を読むと分かります。預言者サムエルはサウル王にこう言っています。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった」と。サウルは、兵士の数が減って行くことを恐れ、慌て、神様が命じたことを守らなかったということでした。預言者サムエルは、少し前の108節で命じていました。「私も行って主にいけにえを献げるから、その到着するまで七日間待ちなさい。その後どうすべきかを示しますと。ささげ物の儀式は、預言者であるサムエルがすべきことだったのです。

 しかし、サウルは兵士たちが減っていくのを見て、恐れ、焦り、待ちきれずに自分でいけにえを献げてしまったのです。それでサムエルは14節でこのように続け、神のみこころを伝えています。

14 しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」

 サウルは神の代わりに人を見ました。数を見ました。また、神の教えよりも、自分勝手な判断を信じました。神の声より、自分の声に聞き従ったのです。私たちも、目に見える現実だけを見て、焦って恐れていないでしょうか。確かに、人が離れて行く現実は、私たちにとって重いものです。人数が少ないとそれだけで、祝福を失った気がするかも知れません。しかし、そうではありません。息子ヨナタンの姿に目を留めましょう。

 

2.主を見ていたヨナタン 

 息子ヨナタンの信仰の姿勢は、父サウル王とは対照的でした。13章から14章になっても、状況は何も変わっていません。敵は依然として圧倒的多数、イスラエル軍の士気は下がりまくり、兵が減っていました。そうでありながら、ヨナタンは全く違う姿勢でいるのです。彼はこう言っています。

14:6 ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」 

 サウルは人数が減っていくのを見て、神の恵みが失われ、我らは負けると思ったのでしょう。しかし、ヨナタンは「人数なんて神の前には全く関係ない少なかろうと、多かろうと、神様がお救いになるのに何の妨げにもならない!」と神様を心から信頼していました。多いか少ないか、大きいか小さいかではなく、神をそこに見ているかどうかでした。

 ヨナタンは神様を信頼して、道具持ちの若者とたった2人で奇襲に成功します。主が働かれたので、ペリシテ軍は大混乱で同士打ちを始めました。また、ペリシテ軍に従っていたヘブル人たちがイスラエル側に戻って来ました。さらに、隠れていたイスラエル兵も勇気づけられ加わりました。人をつなぎとめようとせず、ただ神様に期待した時、人が集まって来たのです。そこにあったのは、戦略や武力ではありません。主への信頼です。わずかに2人でも主に従い通すならば、主のみわざが始まります。

 あなたは学校や職場でった一人のクリスチャンかも知れません。でも、ヨセフがエジプトでたった一人のクリスチャンとして主とともに歩んだ時、その周囲に豊かに広がったように、あなたが主を信じるなら、あなたの周囲に神のみわざが起こり、恵みがあふれるのです!!私たちはこのような主のみわざを信じ、期待しているでしょうか。それとも、この世界の原理に信頼し、人数や規模の大きさが、その成果の大きさを左右すると考えているでしょうか。

 ヨナタンはたった二人で挑みました。しかし、主がともにおられました。それで歴史が動いたのです。恵みがあふれたのです。人がそこに惹きつけられたのです。大きくしよう、成果を出そう、名を挙げようとすると、人の心は離れます。サウルのように。しかし、主に期待し、主に拠り頼み、主の臨在を喜び、主とともにあることを楽しむなら、その人は輝き、誰が見てもそのような人のところに惹きつけられます。何故なら、その人の中にキリストを見るからです。恵みをそこに体験するからです。雨の日であろうと、風の日であろうと、嵐の時であろうと、主が働かれるのに妨げになるものは何もありません。皆さんの家庭も、職場も、私たちの人生のすべても、順調な時もあれば、思うようにいかない時もあります。しかし、そこで私たちが見るべきものは変わりません。神様のご臨在です。

私たちは今週、何を見るのでしょうか。礼拝や集会に参加して「人が少ない」と思うでしょうか。それとも、「今日も主がおられる」と思うでしょうか。家計を見て、不安になるでしょうか。それとも「主の山に備えあり」と信頼するでしょうか。自分の能力や年齢や健康状態を見て、「無理だ」と考えるでしょうか。それとも、「主がお用いになるのに妨げるものは何もない」と期待し、楽しみになるでしょうか。

数字も大切です。規模も考える必要があります。現実を冷静に見ることも重要です。しかし、数字や大きさや目に見える現実が私たちの主人になってはいけません。教会もそうです。人数が多いから、希望があるのではありません。若い人が多いから、未来があるのではありません。希望は、主があなたとともにおられることにあります恵みも幸いも、喜びも楽しみも、主のもとにあります


主は今日も語っておられます。「多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」主イエス・キリストは、世界の人口が多いから十字架にかかられたのではありません。大勢だから助けなければと考えたのではありません。世界人口がたった一人、あなただけだとしても、主は何も変わることなく、喜んでいのちを十字架でささげてくださると信じます。ですから私たちも、「数」ではなく、この愛に満ちた「主」を見上げましょう。置かれた場所に、あなた一人しかキリスト者がいないとしても、主がともにおられます。主の恵みはそこに溢れ流れるのです!!


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