*** 7/15(水)祈祷会 説教概略 ***
現代社会の様々な分野の発展、進歩は目覚ましいものがあります。AIの技術は凄まじい速度で発展していますね。医療も日進月歩です。軍事力においては「恐ろしい」の一言です。大国が本気で戦争をしたら、世界が滅ぶでしょう。しかし、私たちはそれでも「人間である」ことを忘れてはいけません。
ダビデは、神を恐れる人でした。人はどんなに力を持っても、神のあわれみによってのみ生かされる存在です。ですからダビデは、この9篇の最後でこう締めくくります。19-20節です。
19節
主よ 立ち上がり 人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれるようにしてください。20節 主よ 彼らに恐れを起こさせ
国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。
神を恐れましょう。この方の前にいつでも謙遜にへりくだって歩んで参りましょう。
まず、人間は「自分で自分を救えない」と教えられます。13節です。
13節 主よ 私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の苦しみをご覧ください。死の門から私を引き上げてくださる方よ。
ダビデは「主のあわれみなしでは生きられない」と考えています。あわれみによって、苦しみと死の門から引き上げてくださいと祈るのです。私も神のあわれみがなければ、牧師を続けることが出来ていません。ダビデは14節で、神のすべての誉れを語り告げるため、城門で歓声をあげると言います。その救いの素晴らしさゆえです。人は自分で自分を救えない。神のあわれみによって、救われ生かされているのです。
しかし、人はその事実にさえ気づかないでいることがなんと多いことでしょう。私自身も元気で健康な時は、自分の日ごろの努力、健康に気をつけているからだと自分の努力を自慢したくなる。慢心してしまいます。しかし、どんなに努力していても調子を崩すことが何度もありました。その時に思い上がってはいけない。毎週の礼拝奉仕が守られているのも、皆さんに祈っていただいているから、そして、神様の守りがあるからだと改めて教えられるのです。神様の許しと皆の祈りなしには、講壇に立てない弱い者なのです。
そして、人は神ではないので、自分の益になることさえ本当は分かっていないのです。かえって益にならないことをしてしまうのです。15節にこうあります。国々は自分で作った穴に陥り 自分で隠した網に足を取られる。 自分で作った穴に自分でハマることがある。自分で隠しておいた網、その位置を忘れ、うっかり自分が足を取られることがある。人ってそういう存在ではないでしょうか。そして、調子に乗ると大抵「しくじる」のですよね。
「しくじり先生」という番組を以前時々観ていましたが、とても多くを学べる良い番組でした。そして、大抵のしくじりの原因は「思い上がり」なのですよね。面白いぐらいに共通しているな~と見ていました。成功し、ほめられ、おだてられ、偉くなって、人を偉そうに指導し、また上から見下すようになって失敗する。周囲からの意見、忠告を聞かず、自分の考えが正しいと思って固執してしまうのです。
そのような慢心の中にある時、主はどうされるのでしょうか。「砕かれる」のです。
16節にあるように、「主はご自身を知らしめ さばきを行われ」るのです。驕り高ぶり、神を見失って歩んでいるとき、神様は私たちにご自身を気づかせようとされます。「ご自身を知らしめる」のです。神を信じないままなら滅びが待っています。しかし、悔い改めて主に立ち返れるなら本当に幸いですよね。ただ、人は偉くてカチコチな心のままでは聞かないので、砕かれるのです。失敗させ、弱さを通らせる。涙の時を通ります。しかし、貧しくとも、苦しんでいても、神を求めるならば、そこに望みがあります。ダビデは決して立派ではなかった。でも絶えず神を求めました。主はそのような者を忘れないでいてくださるのです。18節 貧しい者は決して忘れられることがなく
苦しむ者の望みは 永遠に失せることがない。
そして、19-20節で、ダビデは神に次のように祈ります。
19節 主よ 立ち上がり
人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれるようにしてください。 20節 主よ
彼らに恐れを起こさせ 国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。
「敵をやっつけてください」とは祈らず、「人間に、自分はただ人間だと思い知らせてください」と祈ります。人間の最大の不幸は何でしょう。世界中にある深刻な問題の本質は何でしょうか。神を恐れないことです。「神を恐れないゆえに、自分を高く見てしまうこと」です。人は成功すればするほど、神が見えなくなる生き物でしょう。成功すると自分の実力、自分の手柄であるかのように思いがちです。
ワールドカップ・・・圧倒的な攻撃力で勝ってきた優勝候補筆頭のフランスが、スペインにあっさりと敗れました。しかも1点も取れずに。慢心や油断があったのではないかと言われます。「油断大敵」とはよく言ったものです。
世界にある問題は強大な軍事力そのものではありません。政治そのものでもありません。AIが進歩しすぎたことでもありません。問題は何でしょうか。人の「高慢」です。神を恐れないで、自分を神のようにする高慢です。それは、創世記の最初の方から既に示されています。3章で、アダムとエバが「神のようになれる」という誘惑に流され、善悪の知識の実を求めて以来、人間は「神になろうとしてきた」のではないでしょうか。バベルの塔では自分の名を高く上げようとし、神様から砕かれました。神を忘れ、自分の欲望を神にした結果、ソドムとゴモラは滅びました。
また、私たちは誰もが、「人をさばいてしまう」という問題にぶつかります。しかし、「自分の罪深さを脇に置いて、人をさばいているあなたは何者ですか」と神様から問われるのです。人をさばいてしまう問題の本質は、やはり自分を神のようにしていることです。真のさばき主である神を差し置いているのです。
だから私たちは、主イエス様を見つめたいのです!主イエス様は世界で最も高い、偉大な神様でした。さばく側の方・さばき主です。それなのに、さばかれる側の人間となってくださいました。 私たちとはまるで正反対ではないでしょうか。さばかれる側の私たち・小さな弱い私たちが高ぶり、さばき主のようになろうとする。その一方で、本当は偉大で力ある神様であるイエス様は、低く低くへりくだってくださった。弱さを身にまとってくださった!神である方なのに、低くなられたイエス様のおかげで救われました。私たちはこの方を愛している。それなのに、イエス様とは反対の道を行こうとしていませんか。
みことばは、イエス様のように自分を低くしなさいと語るのです。そして、神様は、低くなられたイエス様だからこそ、高く上げられました。これが、神が造られた世界の原則なのです。自分で高くしてはいけない。神の前に低くなれば、神が高く引き上げてくださる。こうして神の栄光が現れる。
Ⅰペテロ5:6 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
私たちも、自分を誇るのをやめましょう。神のゆえに自分を低くする者になりませんか。主が高くされます。神様は、己を低くして主の御名を掲げる者を祝し、その人をお用いになるのです。そこに人が集まります。商売をするにも、子育てにおいても、教会においても、へりくだって他の人を尊敬し、神様に栄光を帰す者のところに、神は人を導き、祝福なさるのです。