東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: へブル11章4-7節「神は何を喜ばれるのか」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/10/20

へブル11章4-7節「神は何を喜ばれるのか」

*** 10/18(日)主日礼拝 説教概略 ***

 神は何を喜ばれるのか。いつも私たちが勘違いしやすいところです。なぜかと言うと、私たちは、「罪の世の価値観の影響」を少なからず受けているからです。
 何かを成し遂げることや多くの奉仕をすること、あるいは、過ちを犯さずに生きることが最善(それこそがみこころだ!)だと考えがちです。もちろん、それらは良いことです。

 しかし、神のみこころにおいては、それ自体が最善ということではありません。


今日登場するのは、アベル、エノク、ノアという3人です。彼らの生涯はそれぞれ違います。しかし、神様が彼らの何を喜ばれたかと言えば、業績の大きさや成功ではなく、その信仰です。

その信仰とは、どのようなものでしょうか。神の存在を信じるだけではなくて、神様がとても良いお方であるとその人格を信頼し、またその将来の報いをも信じることです。人格への信頼がないと、神様は怒っているのではないか、見捨てるのではないかと不安になり、弱気になりがちです。また、主が私たちの信仰の歩みを天で報いて下さるとの信頼がないと、していることが空しく思えます。でも、主は求める者に豊かに与え、労する者に存分に報いてくださるお方です。

この3人の生涯からご一緒に教えられて参りましょう。

 

1. 神のご人格への信頼  

最初に6節を味わいましょう。

6節 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。 

 神に喜ばれること、それは「神への信仰があること」だとされています。良い行いや成果を挙げていません。「信仰」です。そして、第一に語られているのは、「神はおられる」と信じることとあります。これは説明の必要もないですよね。

 しかし、6節の後半は、第二のことが語られています。それは、神というお方の人格と力への信頼です。「神がご自分を求める者には報いてくださる方であること」を信じるとあります。まず、「人格面の信頼」ではないでしょうか。神様がとても良いお方で、誠実に報いて下さる方だと信頼することです。

 例えば、新約聖書のタラントの例え話があります。1タラントを預かった人は土の中に埋めてしまいました。その理由は何でしょうか。こうあります。マタ25:24 では、『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。 それで怖くなり埋めたのだと言います。

 どういうことかと言いますと、この主人を信頼していないのです。ご主人様は意地悪でとても厳しいという自分の思い込みの方を信じてしまったのです。とても残念ですよね。ただ、この点は私たちもよく気をつける必要があります。自分の思い込みで聖書を読まないことです(来聖日、このテーマを詳しく話します)。 

 そして、良い人格に加えて、神様のその全知全能の力を信頼することも大切です。どんなに良い方でも、何も出来ないなら任せられません。主が何でもお出来になる方であると信じることも重要です。ですから、ヘブル書の著者は「この信仰」を教えるために、アベル、エノク、ノアの3名を例に挙げて、信仰の実例を証ししています。

 

2.3人の信仰  

 アベルから順に味わいましょう。

4節 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。 

 アベルはカインよりすぐれたいけにえを献げたとありますが、単に品質の話ではありません。確かにアベルは、自分の家畜から良いものを主にささげました。しかし、神が喜ばれたのはその質ではなく、神様に最高の価値を置く信仰です。アベルは神が良いお方で、豊かに報いて下さると信頼するゆえに、最高のささげ物をしたのです。

 私たちも、そうではないでしょうか。本当に信頼できる誠実な相手に対してなら、色々なことを任せ、ゆだねられますよね。しかし、反対に「怪しい、信頼ならん」と思う相手には、与えることも任せることも難しいはずです。


 続くエノクはどうでしょうか。 

5節 信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。 

 エノクは他の人物と比べるとマイナーですよね。「彼は何をした人?」と尋ねられても、「死なずに天に上げられた人」ぐらいしかエピソードがない。しかしここに「彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていた」と語られていますよね。何を指すのでしょうか。実際のみことばを読んでみましょう。創世記5章21-24節です。

 聖書中、彼の人生の記録はわずか4節です。ただ、よく見るとわずか4節という短さなのに、その中で2回もあることに言及されています。何でしょう?「神とともに歩んだ」という点です!目立った行いは何も記されていない。ただ「神とともに歩んだ」ことが繰り返し強調されています。しかし、この短い表現が彼の人生をよく表しているように思うのです。高い地位に就いたのでもなく、何かを成し遂げたのでもない。ただ神とともに歩む人生だった。そして主はこの信仰を喜ばれた。エノクの生涯の説明は、とにかく彼は神とともに歩む人だったよという説明なのです。

 そうだとすれば、私たちは何を大事にすべきか考えさせられますよね。私の葬儀の際には、私の生涯はどう語られるだろうかと考えました。「牧師の割に、あんまり信仰なかったよね。イエス様の話よりご飯の話ばっかだったよね」と、語られるのは、ちょっとさみしい気がします。ですから、特別に目立つ何かが出来なくとも、「あの人は、イエス様を愛していて、神様といつも仲良く歩んでいた人でしたね」と語り継がれる者となれたら嬉しいですし、それ自体が良き証しだと思いませんか。 


 次の人物はノアでした。今度はエノクと比べてとても有名な人。クリスチャンじゃなくても「ノアの箱舟」と言えば、多くの人が知っているぐらいです。 

7節 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。 

 ノアの信仰で注目しているのは、「まだ見ていない事柄」について、神の警告を信頼して備えをしたという点です。まだ晴れ渡る日々において、その片鱗もないような時から、ノアは箱舟を造り始めました。まさに見えない未来について、ただ神のことばを信頼して、行動に移したのでした。ノアは船を造る技術を主に喜ばれたのではありません。周囲の人から笑われても平然としている「強さ」をたたえられたのでもありません。彼は「主がお語りになったことだから」と、それを素直に信じたゆえに、主に喜ばれたのです。この信仰の素直さは、子どもたちでも倣うことができるものです。経験も能力も成績も不要です。そして、主は大洪水の出来事を通して、信じる者は信仰によって義とされ、救われることをも明らかにされたのです。

 

3. 3人の信仰を日々の生活へ  

 改めて、この三人の信仰を振り返りつつ、励ましをいただきましょう。

この3人は何かを成し遂げたから神様に喜ばれたのではありません。神を信頼し、神とともに歩む信仰によって、神様に喜ばれたのです。そして彼らは、神様がご自分を求める者に報いてくださる方だと、そのご人格とその報いる力に信頼を置いていました。 

それはもちろん、地上ですべてが報われるという事ではありません。天における報いを見ている歩みです。しかし、天国での報いがあることは、私たちが主によって成す働きが、永遠に残るものだという励ましでもあります。実際アベルは、兄カインに殺されてしまいました。ところが、4節最後でこう語られています。「彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています」。彼の信仰が今も私たちに力強く励まし語り続けているのです。

最近TVで見た映画のタイトルは、「敗れざる者」「生き続ける者」でした(踊る大捜査線のスピンオフ)。タイトルに興味を持ち、どんな意味なのかとの思いながら映画を見ました。主人公は警察官僚で、友との約束もあり、組織改革をしようと必死に努力しました。でも、約束を果たせず、逃げるようにして退職しました。そして、地方で犯罪被害者や犯罪加害者の子どもたちを引き取って育てていました。この子らは悪くないのに犠牲者だと。彼なりの償いでした。

しかしその途上で彼は心臓の病になり、冬山で死んでしまいます。この人生は、世的には「敗者」に見えるかも知れません。でも、実は、彼に影響を受けたかつてのライバルたちが、警察組織の改革実現のために今も動いていてくれていたのです。彼は死にましたが、その思いは引き継がれていたのです。主人公が引き取っていた子どもたちもまた、同じような子どもたちの居場所を作るという、彼の「第二の夢」を引き継ぐようにして成長していく姿で終わっていきます。

私たちイエス様を信じている生きる者は、まさにこの信仰のゆえに「敗れざる者」「生き続ける者」ではないでしょうか。私たちも必死に頑張っても結果が出ないと思われることがあります。報われないと感じることがあるでしょう。誰にも気づかれず、感謝もされない奉仕もあるでしょう。しかし、主がおられます。主の報いを信じて「敗れざる者」として生きるのです。主のゆえになしたことが無駄ではないと信じてなし、「生き続ける者」であることを覚えるのです。

年齢を重ねたり、病気になったりして、以前のように働けなくなることもあります。成果を出せない自分に、もどかしさを覚えることもあるでしょう。しかし、エノクの生涯を思い出してください!繰り返し語られていたのは、「神とともに歩んだ」ことでした。何を成し遂げたかだけでなく、どなたとともに歩んでいるのか。それが大切なのです。 

誰でも先が見えず、不安でたまらないときがあります。しかし、ノアの信仰を思い出しましょう!まだ見ていない事柄について神様のことばを信頼し、行動しました。すべてを理解できなくても、神様は真実なお方だと信じ、今日できる一歩を踏み出そうではありませんか。


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