愛するわが子に信頼を伝えること。それは良いコミュニケーションとも言えます。
人は疑われて育つのではなく、信頼され任されゆだねられ、失敗もしながら成長するのではないでしょうか。
確かに神様というお方は100%信頼に値する方ですが、子どもたちは罪ある存在です。
善悪の判断も十分にできないこともあります。
しかし、それでも「どうせ無理だろう」という前提で伝えるのではなく、「わたしの愛するあなたなら、きっとできる。約束も守ってくれるはず!」と信頼を伝えつつ励ますことは子どもの心を励まし育てます。
十戒の秘密・・・
否定未完了形「してはならない!」という訳をせざるを得ない面もありますが、実は持っている意味は「わたしの子であるあなたがたは・・・しないはずである」というニュアンスです。戒律ではなく人への信頼と期待が含まれているのです。
私の愛するあながたは、こんなことをするはずがないですよね?という期待と信頼の現れです。ですから神様は人に対して、何度失敗しようとも語りかけられるのです。
「殺してはならない」 → 神が愛しているあなたがたは「殺すなんてしないよね。そんなはずがないよね」という意味です。
してはいけないという倫理を教える面はもちろんありますが、それだけでなくそれを守ることができることを期待し、神からの信頼の呼びかけであることを覚えます。
人は、全く信頼されていないと、悪いことをかえって選択してしまうものです。
「ウソをつくなと100回教えられる」よりも、「あなたの言うことを信じるよ。だから正直に話してね。」と伝える方がずっと効果的なのです。
例)☆お手洗いの張り紙
①「きれいにお使い下さい」「汚さないようお願いします」と書かれている場合と
②「いつも綺麗に使っていただきありがとうございます」と書かれている場合
単なる言葉の問題のようですが・・・与える印象がだいぶ違います。
人は 期待され、信頼されると、そのような者になろうと思うので②の方が効果的ですし、お互いに気分を害する感じになりにくいと言えます。
箴言12:18 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人を癒やす。
子どもたちは、もちろん人間ですから信頼を裏切ることがあります。けれど実はそれは私たちも同じではないでしょうか。大人こそ子どもたちの期待をより多く裏切っています。
イエス様の一番弟子ペテロの話があります。彼はイエス様にどこまでもついて行くと豪語していましたが、3度もイエス様との関係を否定します。保身のために信頼を裏切ってしまいます。その後彼は自分の罪に号泣するのです。
けれど、イエス様はどうなさったのでしょうか?
このペテロを信頼して大きな責任をお任せになったのです。彼は今まで以上に良い働きをする者になりました。
信頼を裏切った時、反省してないようならきちんと言い聞かせるべきです。責めるというよりも、親の気持ちを伝えることが大事。約束を守ってくれなかったことがとても悲しかった。神様も悲しんでいる。
しかし、十分反省し、悔いているなら → 励まし、信頼し、またチャンスを与える
年齢と共に次第により大きなことを任せていくようにしたら良いでしょう。
そうやって信頼して任されることで子どもたちは徐々に成長し、その信頼にふさわしい者へと成長していきます。
思春期以降は、「信頼して任せる」ということをより増やしていく必要があります。親が気になって言い過ぎると、結局は「信頼してくれてないのだな」「頼りないと思っているのだな」、「ダメだと思われているんだな」と子どもたちは感じ、自信を失います。ひいては親への信頼をも失いかねません。
未熟なことがわかっていても、失敗することも含めて「やってみなさい」と任されることで、子どもたちは成長します。親に助けてもらいながらでも、自分でも頑張ってやれた!というのが将来への自信と成長につながります。
今までは親が7割、子どもが3割で責任を分割していたとしたら、徐々に親の責任割合を減らしていきます。思春期の子たちは、親3割、子ども7割ぐらいでもいいでしょう。
どうか、信頼していない前提、疑う前提で話さず、「何度でもあなたを信じて期待するよ」と子どもたちに伝えて欲しいのです。