東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2024/02/13

第一ヨハネ4章13~16節「神と私 相互内在の根拠」

*** 2/11(日)主日礼拝 説教概略 ***

 我ながらとても難しいタイトルをつけてしまったと少し後悔しております。なんだか神学校の授業のタイトルのようです。少し居心地が良くない感じもします。ただ、こういったことばを使わないとどうなるでしょう。
「私たちが神のうちにいるようになり、神も私たちのうちにいてくださる、その根拠」というだいぶ長いタイトルになり、悩ましいところでした。それに、少し難しそうなタイトルも、たまにはいいですよね。


2024/02/07

ローマ書3章27-31節「誇りは取り除かれた」

*** 2/7(水)祈祷会 説教概略 ***

 日本の茶室には「にじり口」と呼ばれる狭い入り口があります。千利休が、聖書の「狭い門から入れ」との教えからインスピレーションを得た可能性も指摘されます。戦国時代、その入り口は狭いために、鎧や刀を置いて無防備なままで入る必要がありました。茶室はある種の聖なる空間と考えられ、地位も名誉もプライドも脇において、ただ相手と親しく茶を飲みかわす空間でした。私たちの信仰生活はまさにそうで、人間的な物を持ち込まないために、ただ神様の恵みによって、行いによらず価なしに救われるのです。それは、自分を誇る生き方から、神を誇り、神を賛美する人生へと変えられていくためです。


2024/02/06

伝道者の書6章1-12節「何が人のために良いことか」

*** 2/4(日)主日礼拝 説教概略 ***

 この罪の世では、理解できない不条理が満ちています。正しい者が損をし、まじめな人が傷を負う。納得のいかないことが多くあり、努力が水泡に帰すこともある。それは、1節で、「私が日の下で見た悪しきことがある」と語られている通りです。

 日の下、それは天の神様を抜きにした、地上のみの世界のことです。神様を無視して、人間の価値観だけで生きるなら、この世に望みはなく、不条理と悪意に満ちた暗闇の世界です。これらの悪が人の上に重くのしかかっていると語られています。



2024/02/05

毎日の聖書【2月分】

1日 創世記19章
 当時のソドムは、滅ぼされても仕方がないほどに荒れていた。不道徳がはびこり、性暴力が日常的にあったことがわかる。13章11~12節によれば、ロトは最初はソドムには住んでおらず、少しずつソドムの町に近づいて行ったことがわかる。そして、この19章では、もはやロトたちは、すっかりソドムの町の住民になっていた。罪の誘惑は、少しずつ始まる。これぐらいならいいだろう・・・1回だけだ・・・と。しかし、人の良心はマヒしやすい。徐々に抜け出せないほどの罪の泥沼に陥るのだ。
 2人の主の使いがソドムに来た時、ロトは熱心にお誘いし、自分の家にお迎えした(3)。しかし、「種なしパン(発酵させていないパン)」を焼いているところを見ると、旅人をもてなす備えがないことが見受けられる。18章6-8節のアブラハムとは対照的だ。経済的繁栄を自ら求めたロトだったが、実際にはソドムでの生活はすさんでおり、あまり豊かではなかったのではないだろうか。目の前の欲に流され、小さな罪の連続の中で、気が付いたら闇の中にいたのかもしれない。むしろ私たちは、たえず主イエスとの交わりにとどまりたいのだ。

2024/01/31

ローマ書3章21-26節「信仰義認、その土台にある神の犠牲と忍耐」

*** 1/31(水)祈祷会 説教概略 ***

 「ただほど怖いものはない」と言われます。それは、この世の中で、見返りなしに与えられるものがほぼないからです。しかし、神様は公平で恵み深く、愛なる方です。ですから、人の行いや財産によって差がつく救いではなく、すべての人が等しく救われる、信仰による義というものを備えられたのです。生まれた環境や地位によらず、能力によらず、ただ信じるのみです。ゆえに、すべての人のための福音であると、私たちは胸を張ることが出来ます。価なしに義とされる救いの恵みを、みことばから教えられて参りましょう。


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